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元@ほぉーむカフェプレミアムメイド、メイド歴16年目の私の履歴書

はじめまして。おはーたん様です。

現在はフリーのメイドをやりながら、メイドさん、コンカフェキャストさんに向けた情報を主にnote、TikTok、Xなどで発信する「メイドの先生」をしています。(Instagramもやってるよ!)
そんな私の今までの経歴を少しお話しするので、読んでくだされば幸いです。

元@ほぉーむカフェプレミアムメイド。(ディープパープルリボン担当、はかせ)
在籍期間は2008年8月〜2021年6月。
辞めた後は少しメイドカフェやコンカフェのコンサルをしながら、200人以上の女の子を面接してきました。(とある店舗ではバイトルの応募数が2週間で日本1位になったこともあります、、!)
1989年8月15日生まれの34歳(現在)。B型。
ずっと東京、秋葉原のすぐ近くで育ちました。 

家庭環境は結構複雑で、小さい頃から学校には馴染めず家でビデオや本を読んだりパソコンをしているような子で、小学校は完全に不登校でした。

そんな日々を送っていたので小学校低学年から塾に行かせてもらい、中学受験で学歴をつくり商社か銀行に入って人生逆転させることしか頭になかったようなクソガキでした。この世の全てを恨んでました。当時TwitterやTikTokが無くて本当に良かったです。

ではなぜいま「メイドの先生」なのか。
やはり人は、好きなものしか上手くいかないし、続けられないんですよね。
私はメイドカルチャーが大好きです。

その後無事偏差値の高めな中高一貫女子校に入った私ですが大学受験に大失敗。(中高とカルチャーに没頭しすぎました。メイドになったのもその頃の影響です)GMARCHと呼ばれる大学に入学しました。

ですが名前だけで入った大学は長くは続かず、ずっと美術部だった私は美大を受け直し合格。
プレミアムメイドとしての仕事と、半端では無い課題を両立させながらなんとか4年で卒業できました。

ここで24歳。家族とは就職について何度も大喧嘩を繰り返しつつも、私は@ほぉーむカフェにいて、この場所をもっと良くしよう!という想いで燃えていました。
なぜなら、当時はまだメニュー説明も普通の喫茶店より少しメイドらしい位で「世界観」というものがそれほど確立されていなかったのです。その確立こそが私にとっては就職なんかよりよっぽど大切だったのです。

大学を卒業した私は早速当時独自にやっていた言い回しである
・ご主人様認定証を渡す際の「偉い人からお手紙が届いています!」
・片想いパフェというメニューでの
「これを食べると甘酸っぱい胸きゅん!(手をきゅん!のポーズにして)な気持ちになれちゃうかもしれませんよ」
や、その他の所作、やってはいけないこと、やるべきことのアイデアなどを代表達と共に会議し、お出迎え〜お出かけまでの全てをマニュアル化しました。
実際に認定証に本物のお手紙が作られ、改修工事の際には念願だったポストが付いたことはとても嬉しかったです!

それ以外にも、4.5年ほどブロマイド撮影ではスタジオ選定〜プロップスタイリング〜衣装選びをさせていただきました。背景紙にペイントしたり、小物をあれこれレンタルするの、楽しかったなぁ〜。

10周年を迎えた28歳位の頃、「30歳までにもう1つ夢だったことをしたい!」と浅井企画のメディアスクールに入り放送作家としても活動を始めました。
地上波のテレビのお仕事だけでなく自分で構成したラジオをメイドとしてFMでやらせていただいたり、@のアイドルイベントの台本を担当させていただいたりもしました。

ですがいちばん力を入れていたのは「世界観の徹底」です。プレミアムメイドになった2010年〜2021年まで変わることなく、私生活をそのままお見せしてもいいくらいの徹底ぶりでした(今思うとそこまでやらなくても、、と思いますが)。
でもそれが、「@ほぉーむカフェのプレミアムメイドを背負う」ということだと思っていたのです。

そんな私は、「ご主人様お嬢様にお仕えするメイド」という世界観を徹底した上で

顔が可愛い子、アイドルっぽい子、おもしろキャラな子、クールキャラな子、、など
個性豊かなメイドを売上だけでなく様々な方法で評価してあげないと面白みは無くなってしまうと危惧していました。

現に顔が可愛い子、アイドルっぽい子以外が「私は必要ないから」と言ってどんどん辞めていってるのを見ていたからです。

その他にも「あれ?」と思うことがたくさん起きていましたが、私には太刀打ちできませんでした。

そんなことや、あんなこと、こんなこと、、

いろんなことがあり

私は心を壊してしまいました。
お給仕にも立てなくなり、入院し、2年間SNSもやらず、誰とも会わず、完全に引きこもりました。

そしてやっと@を辞めて2年後、美人百花という雑誌のオーディションに誘われたことをきっかけにSNSをはじめ、今に至ります。

これからは、自分自身も新しい「メイド像」を確立しながらも

・メイドさんになりたい子
・コンカフェキャストさんになりたい子
・現役メイド、コンカフェキャストさん
への応援をさせていただく立場になりたいと思っています。

私が味わった何にも代えがたい楽しさ、青春
いくつも歳下の女の子達にも経験してみてほしいのです。
そしてまた、新しいカルチャーを作っていって欲しい。

私はアキバブームが去り、悲しい出来事が起きた2008年にメイドになりました。人々が「秋葉原」に見向きもしなくなった年です。 
AKBやアイドルブームもまだそれほどおとずれてはいなく、「全く」と言っていいほどメイドカフェの流行りは消えていました。

そこから昨今のメイド・コンカフェブームまで、人気が全くないところからプレミアムメイドになり、挫折し、心を病みながらもいままで走ってきました。

そんな私が発信する思いや言葉は、もしかしたら身近に感じていただけるかもしれません。

どうか私の@での13年の経験、辞めたあとのフリーとしての活動の全てが、メイドさん・コンカフェキャストさんになりたい女の子、現役キャストさんのお役にたちますように。

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