ファンブックも出たことだし改めてKOUGU維新について考えてみる

これらのツイートからずいぶん月日が経ち、決して忘れてはいなかったのですが色々と忙しく後回しにしているうちに鮮度が失われてしまった感じがありやる気がほとんど無くなっていました。しかしDVDやファンブックが新たに発売され、もうこのタイミングを逃してしまうと一生書けない気がするので今頑張ってキーボードを打っています。
※あくまでもKOUGU維新を”何となく”好きな人間が”ゆるく”書いている記事だと割り切った上で閲覧していただきたいです。

はじめに

元となったレポートでは文中に出典表示などを挟みましたが、流石にnoteでそれをやると見づらいので先に参考文献のリンクを貼らせていただきます。その他にもレポートの参考にさせていただいたものはありましたが、ここではその部分を削ったため割愛します。

KOUGU維新が”本当に”ミュージカルをやるようになるまで

そもそもKOUGU維新とは日テレ系で毎週水曜夜7時から放送されているバラエティ番組『有吉の壁』の1コーナー、「『流行語大賞の壁』を越えろ!ブレイク芸人選手権」に登場したキャラクター群です。当初はきつねのお二人がそれぞれ「プラスドライバ」「平やっとこ」というキャラクターに扮し、2.5次元舞台のパロディであるミュージカル風の寸劇を繰り広げる……といった内容でした。
『有吉の壁』を毎週欠かさず観ているので、もちろんこのKOUGU維新の初登場も私はリアルタイムで目撃していました。しかし、正直に言うとこの時点ではKOUGU維新を一歩引いたところで見ていたと思います。というのも、初回の段階では2.5次元舞台に対するリスペクトよりはアイロニーの要素を(少なくとも私は)感じたし、そもそも2.5次元コンテンツにそこまで興味が無かったからです。あと単純に笑いどころがあまり無かったのもあります。
あれ、と思ったのは翌月。二回目の登場で既に新曲を用意しており、さらにYouTubeチャンネルでは新キャラの「キリ」「鉄槌」(それぞれトム・ブラウンが演じています)が登場しました。こちらが思っているよりもちゃんと展開が広がっている、もしかしたらこれからもっと大変なことになるかもしれない、という予感はすぐに現実となりました。

KOUGU維新がコンテンツとしてここまで大きくなるのを決定付けたのは2020年の9月だと思っています。まず9日に初の生配信があり、そこでTwitter上で投稿されたファンアートが多数紹介されます。そして16日、先の生配信で予告されていた新キャラ「巻尺」「紙やすり」が本編に登場。21日には『有吉ゼミ』にプラスドライバと平やっとこが出演し番組の垣根を越え、30日には新キャラ「砥石」「丸ノコ」が登場し同時に「KOUGU維新のテーマ」が各音楽配信サービスでリリースされました。この一連の流れで、KOUGU維新がだんだん”ガチ”寄りになっていると感じたのは私だけではないはずです。
その後あれよあれよとKOUGU維新の規模は拡大し、さらなる新キャラの登場だけでなく、音楽番組『バズリズム02』に出演、グッズ発売、公式Twitter開設……とかなり活動が本格的になっていきました。そして、ついに12月24日にオンラインで「最初で最後のミュージカル KOUGU維新±0 ~聖夜ヲ廻ル大工陣~」が開催されることになります。初めてKOUGU維新が放送された2020年7月の段階ではあくまで2.5次元ミュージカルのパロディでしかなかったものが、5か月後には本当にミュージカルを行ってしまったという訳です。

何故ここまで勢いが拡大したのか

身も蓋もないことを言ってしまえば、KOUGU維新はあくまでもテレビ番組から発信されたもので、そこには様々な企業や個人がたくさん関わっており多くの物事を巻き込めたからだと思います。もしKOUGU維新がお笑いライブやSNSから生まれた企画だったなら、一定の人気を得られたとしてもミュージカル化、そしてそのDVD化までは漕ぎ着けられなかったでしょう。しかし、それを言ってしまうと終わりなのであくまでもコンテンツ自体の魅力について考えることにします。
いわゆるオタク的なコンテンツでは”二次創作・考察” ”メディアミックス”、そして特に女性向けであれば”ニコイチのキャラ(シンメ)” が作品人気を後押しする傾向にあると私は考えています。これらの要素が上述した9月に大体揃ったのがKOUGU維新が躍進する大きな理由になったのではないでしょうか。

まずは二次創作。「KOUGU維新ファンアート」というハッシュタグを添えた多数のファンアートが初登場回の直後からTwitter上に投稿され、普段はお笑い芸人のファンアートを描かない人もKOUGU維新のイラストを載せるなどかなり活発でした。また、途中から登場した「マイナスドライバ」の過去を考えたり、満を持して配信された「KOUGU維新のテーマ」のラストのラップパートがちょっと不穏だ!と歌詞を見て色々と想像を巡らせたり、考察もファンの間では盛り上がっていたと思います。
次にメディアミックス。 先述したように、9月30日に「KOUGU維新のテーマ」、12月9日には「焔(エン) ~kougu memory~」が各音楽配信サービスでリリースされます。また、様々な雑誌やWebインタビューを通して本編では明かされなかった設定や裏話が公開されていきました。(ただし、雑誌の特集やインタビューが掲載されだしたのは9月以降) 他のバラエティ番組やドラマ、さらには他局への出演も特筆すべき活動なのではないでしょうか。
そしてニコイチのキャラ(シンメ)。マイナスドライバ以外のキャラクターは追加される際には皆ペアで登場しています。これは単純な覚えやすさに加え、フィクションで人気が出やすいバディ・相棒の要素やジャニーズをはじめとしたアイドルにあるシンメという概念を踏襲しているのだと思います。特に、巻尺と紙やすりは演じた空気階段の水川かたまりさんと四千頭身の石橋遼大さんの両者がそのビジュアルから元々一定の女性人気があり、かなり”本気度”の見えるキャスティングでした。

「参加型文化」と呼ばれる、今日のSNSや各種メディアを通したファン同士の交流が盛んなのがKOUGU維新の”本家”である2.5次元や2次元のコンテンツです。(3次元でもアイドルなどでは参加型文化が一般的だと思いますが、芸人の場合事情は少し異なると思います) KOUGU維新も、視聴者や時として演者である芸人すらも”参加”させて盛り上がってきました。ラジオ番組『空気階段の踊り場』で生まれ、ある意味二次創作に近い存在だった「インパクトドライバ」が後に公式のキャラクターとして登場したのが良い例でしょう。
確かに最初の段階ではリスペクトが100%ではなかったかもしれません。しかしその後の快進撃とも言える流れは、間違いなく発起人であるきつねの両氏が2.5次元舞台やいわゆる乙女向けのコンテンツをしっかりと研究し、それをKOUGU維新に反映させたからこそ生まれたものだと思います。(寸劇の虚無感や生配信の何とも言えない空気も本家を忠実に再現しているそう) そのおかげで「KOUGU維新から入った」というファンも生まれ、いつしかKOUGU維新は番組、ひいてはお笑いという枠を超えた人気を獲得していきました。

”中の中の人”というシステム

基本的にパロディであるKOUGU維新において、唯一本家には無い要素があります。それは”中の中の人”というシステムです。例えば、プラスドライバと平やっとこを演じているのはきつねの大津広次さんと淡路幸誠さんではなくあくまでも「乙ルイ」「淡川幸一郎」ということになっています。全てのキャラに対してそれを演じている俳優がいて、生配信や一部のインタビューでは本人ではなくその俳優として振舞うややこしい状況になっていました。(特に生配信だとその設定のせいで演者が追い詰められて地獄の雰囲気になることもしばしば)

先述したような参加型文化的な要素が元々オタクである人やそのような文化に理解のある層を引き込むためのものであるなら、こちらは「いや2.7次元アイドルとかちょっと……」という人たちに向けたものなのではないかと私は考えています。(もちろん2.5次元舞台の俳優ごとパロディしているという側面もあると思います)
一般的に、芸人の”顔ファン”や、芸人をアイドルやキャラクターと同じように”推す”行為はあまり歓迎されません。また、忠実なパロディをすればするほどお笑い的な分かりやすい面白さはどんどん失われてしまいます。本来であれば”2.7次元”のKOUGU維新と”3次元”のお笑いは水と油のような関係です。そんな相容れない二つの属性の橋渡し役になっているのがこの”中の中の人”システムなのではないでしょうか。

正直KOUGU維新をネタとして見れば笑いどころはほぼ無く、良い意味でくだらないネタや滑ってしまったネタをそのまま流すことも多い『有吉の壁』の中でもひと際異様と言えます。しかし、キャラクターと芸人の間に架空の俳優という存在を挟むことによって「これはあくまでも壮大なコントだから大丈夫ですよ」と視聴者に示すことができます。
また、そうして虚構性を強調することでキャラクターを”推す”抵抗感は薄まります。何故なら、”中の中の人”を通して芸人はキャラクターと一度完全に切り離されるからです。もしもKOUGU維新の”中の人”として芸人本人が出ればキャラクターと演者は地続きになり、結果的に芸人をキャラクター的に”推す”のとあまり変わらなくなってしまうでしょう。
”中の中の人”はKOUGU維新のお笑いらしさに説得力を持たせる一方で、お笑いらしくなさも担保する無敵のシステムなのです。

おわりに ―― 虚構と現実の狭間で

ここまでかなり長々と書いてきましたが、結局KOUGU維新とは何だったのかと聞かれてもきちんと答えられる自信がありません。恐らく当事者である芸人の皆さんも完全には分かっていないのかもしれません。(先日発売されたファンブックには出演した全芸人へのインタビューが載っていますが、KOUGU維新に対する各々の姿勢や想いが丁寧に掘り下げられていてかなり良かったです)

きちんと答える代わりに何となく私にとってのKOUGU維新を形容するならば、”虚構と現実の狭間にあるもの”です。
KOUGU維新の、”2.7次元”という数字は言い得て妙だと思います。”2.5次元”に比べて現実寄りと言いますか、ビジュアルやパフォーマンスは当然ですが本家には及びません。生配信の空気に耐えかねて素が出てしまうところなんかはもはや2.7ではなく3です。しかし、何故だか時折夢に溢れた完璧な虚構を見せてくれます。彼らが虚構と現実の狭間で揺らいでいる様はとても魅力的に映りました。
このまま、平熱とするには少し厄介な温度を心のうちに抱えたままうっすらと好きで居続けるのかもしれません。あるいは、そのうち興味が失われて「そんなこともあったな」と想いをあっさり片す日が来るかもしれません。別にどちらでもいい気がします。こういったどこか矛盾している感情に上手く折り合いをつけさせてくれるのもKOUGU維新の不思議で素敵なところです。

実はこの「おわりに」の部分はレポートには全く書いていない、非常に個人的な感想になります。だからこんなふわっとした文章になってしまったのですが、まとまらないなりに言語化した意味が少しでもあればいいなと思います。

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