さよならぼくたちのトイレットペーパーラジオ

いやぁ〜、冗談じゃねえよ本当によぉ!!!!


本当に冗談じゃない。普段は外面をちょっとは気にして記事は全て敬体で書いているけれども、そんなお行儀の良いことはしていられない。12月29日、ガッチキールのトイレットペーパーラジオの最終回が配信された。現在、GERAで唯一毎週ちゃんと聴いている番組がトイレットペーパーラジオだった。

「さよならぼくたちのトイレットペーパーラジオ」というタイトルはハッキリ言って「さよならぼくたちのようちえん」の捩りである訳だが、「『ぼくたちの』トイレットペーパーラジオ」という表現自体は自分の嘘偽りない気持ちを記したつもりだ。トイレットペーパーラジオはいつだってリスナーに寄り添ってくれていた一方で、時としてそのリスナーすらも置いていくクローズドでアットホームなラジオだった。
普通のラジオだったら、いくらリスナーからのリクエストでも直腸内に小銭を入れようだなんてならない。そんなの突っぱねてしまえば終わりだし、映像のないラジオで何もそこまで身体を張らなくたっていいのだ。自分はガッチキールさんのそのサービス精神に時として勇気をもらい、時としてドン引きし、そしていつでも大いに笑わせていただいた。

でも、そんな素晴らしい番組が終わってしまった。


ですます調で毒にも薬にもならない記事を書いているいつもの品行方正な自分であれば、ここから下で「今からでも遅くない!オススメ回ベスト3」とか書いているのかもしれない。我ながらぞっとしない文章だ。しかし想像以上に番組終了のショックは大きく、今から代打回を含む全ての回を改めて何度も聴き直すのは心身にとってあまりにもハイカロリーな作業だと悟った。そんなことをしてしまったら余計に#34が待ち遠しくて堪らなくなってしまう。
だから、これから先では単なる思い出や個人的な話をするに留める。そもそもこのnote自体の閲覧数が大したことないし、ましてやその中でトイレットペーパーラジオを聴いたことがある人は何人いるのだろうか。でもそんなことはどうだっていい。これはある一人のリスナーの感傷に過ぎない。


このご時世のため毎月やっていた新ネタライブが3月のTwitter生配信を最後に事実上中断してしまい、夏頃に何となく色々なライブが再開されるまでガッチキールさんのライブ出演は無くなっていた。だからこそ4月中旬に代打とはいえガッチキールさんのラジオ出演が決まったときは本当に嬉しかったし、その後正式に番組が決まったときははしゃぎすぎて全てのアカウントで宣伝した。大抵の友人はリア垢で急に見知らぬ芸人のネットラジオの宣伝を始めた自分に、シカトという極めて正しい対応を取った。
講義の時間割の都合上火曜日にバイトを入れざるを得ないので、夜帰宅した後に一日のご褒美的な感じで聴けるトイレットペーパーラジオに大いに救われていた。正直内容がご褒美たり得るかと聞かれればそうではないが、お二人が楽しそうにラジオで喋っているのを聴けるだけでも元気が出るし、クソ客によるストレスはクソみたいな下ネタで大体緩和された。(終盤のア◯ル開発へと向かっていく流れはもはや下ネタですらなかったように思える)

トイレットペーパーラジオ、という番組名は他人の尻拭いばかりしてきたという理由でつけられている。そういう経緯で生まれたからか、番組は大抵「冗談じゃねえよ」というこの記事の冒頭にも記した中村さんによるお決まりのボヤきから始まる。自分はこのフレーズから始まるオープニングトークが非常に好きだった。結成して間もない頃のエピソードであっても中村さんは昨日のことのように話していたからだ。多くは些細なことだが、ガッチキールとしての活動に誇りと愛着を持っていることが何となく伝わってきてファンとしてはとても嬉しい気持ちになる。
「落語とは人間の業の肯定である」という立川談志師匠の言葉は有名だけれども、狭義のお笑いも当然それに当てはまるものだと自分は認識している。特に、ラジオだとよりパーソナルな部分を晒け出す必要があるのでなおさらだ。穴井さんが限りなく黒に近いグレーな方法でオナ禁をしていることが判明した回や、中村さんが中学時代の色々な意味で苦い経験を告白した回など、人によっては聴くに堪えないこともここではエピソードとして昇華されていく。もちろん良いことばかりではないが、やはりラジオはこうでなくてはならないと思う。

最終回を聴いたとき、自分は何故かサークルの部室を思い出した。大学一年生のとき約1年弱所属していた軽音サークルの部室は、それはもう雑然としていた。いつ開催したのか分からない自主ライブのポスターとハイロウズのポスターは角が剥がれかけていて、物を収納するはずの棚はその体を成すことを諦めてひしゃげていた。はっぴいえんどのアルバムや教科書やふたりエッチが積まれていた机の上はいつも雪崩が起きそうだった(ちなみに、そのふたりエッチを開いたら中身は20世紀少年で心底ガッカリした記憶がある)。……話が逸れてしまった。とにかく、ふと頭に思い浮かんだのはそんな荒れつつも居心地のいい部室に放置された連絡ノートだった。
トイレットペーパーラジオは登場人物が少ない。勝手に名前を出すのは迷惑だと思うのでここでは書かないが、メールを読まれたリスナーやスポンサーのラジオネームは全部覚えている(だからこそ、某リスナーの正体がロックスの千葉さんだったことは大きな衝撃だった)。リスナーからのメールや冠スポンサーの一言とガッチキールさんの掛け合いは、言わば連絡ノートでのやり取りである。部室にいつもサボりに来ているような奴らは基本的にサークルが大好きだ。連絡ノートを用意した人も、連絡ノートに書き込んだ人も、それをただ読むだけの人も、みんなトイレットペーパーラジオが大好きなのだ。

では、我々は部室を失ってしまったのだろうか? 確かにトイレットペーパーラジオは終わってしまった。しかし、来年からYouTubeチャンネルが始動してついにネタ動画が見られるようだし、YouTubeでのネットラジオ配信もお二人は前向きな様子だった。何より、ラジオが終わってもガッチキールさんが終わる訳ではない。きっとこれからもガッチキールさんはコントをやり続けるし、きっとこれからも自分はガッチキールさんを応援し続けるだろう。それだけで十分じゃないか。

それでもやはりまだ、何だかとても寂しくて仕方がないのだ。
さよならぼくたちのトイレットペーパーラジオ。


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