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5-2 下僕、爺をぎゃふんといわす ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~


ディミトリがザレン爺に語った「儲け話」はいくつかあったが、ザレンを最も喜ばせ、かつ、苛立たせたのは、この話である。

「ザレン様の名前で...ちょっと今までの茶舗とは毛色の変わった店を出したいんです」

「言ってみろ」

「ザレン珈琲舗」

ザレン爺はカッとなって書斎机をぶったたいた。

「お前!茶業60年の!よくもわしに向かって!あんな汚らしい流行りの飲み物の話をしたな!」

「お怒りになると思っていたぜ...。しかし爺様... ”売れるものが良いものだ” ってのは爺様の口癖じゃなかったっけかい?」

「...話して見ろ」

「...珈琲は、確かにいまは一時的な流行りのちょっと下等な飲み物みたいな位置づけだ。だが、あれは一時の流行じゃねえ。珈琲はこのランスの国に、必ず、定着する。珈琲は必ず茶を凌いでいく。必ずだ。世の中の流れは変えることはできねえ。だったら俺たち茶商はガタガタいうのをやめて、ケツをまくって開き直り、街一番の最高の珈琲の店をやるしかねえだろ?」

ザレン爺は返事をせず、ぴかぴかの大きな書き物机の天板を睨みつけながら煙を吐いた。ディミトリはザレン爺がとりあえず抵抗せず黙って聞いてくれているその様子を満足げに確認して続けた。

「それに、最高級の茶の微妙な味の違いなんてよ、煙草やら酒やらで鈍った男どもの舌では到底解らんでしょう?...ザレン様だって茶の目利きを自分でやってるころはいっさいの煙草は、いや、酒すら自分に禁じておられた。珈琲が流行りだした昨今、高い茶を買いたがるのは、煙草を吸わねえ女ばかりになり始めてる...しかも珈琲は茶の何倍も中毒性がある。たいして旨い訳でもねえのに3回も飲んだらもう一度飲みたくなって堪らなくなる...しかも茶と違って生豆の状態ならほとんど劣化せずに10年でも取って置ける...むしろ古い豆の方が美味いと言う人も居るぐらいだ。ありゃあ最高に都合のいい商品だぜ」

「…そんなことは知っとる」

「ザレン様、この茶舗から歩いて3分くらいのところにアラビカ豆だけの最高級の豆の珈琲店を出しましょう。さしあたっての焙煎士やら豆の仕入先のめどはついている」

「...ここの客が減るだけだろう」

「反対だよ。ここで紅茶やら菓子やら買ってるご婦人どもの、連れの旦那がいるじゃねえですか。長い買い物に付き合わされてぐったりしてる旦那衆。茶舗の中じゃあ煙草も吸えねえからイライラしてる。あの旦那衆を、新しい珈琲店に引きずり込むんだ。そうすれば茶と珈琲の両方が売れて売り上げはむしろ増えますぜ。...まあそれはおまけで、俺が本当に狙ってるのは、この通りは官公庁やら相場取引所への通り道だってことよ」

「...」

「官公庁やら相場取引所に出勤前の男どもやこの街の金持ちの店主達に向けて、早朝からガツンと営業する。全部の銘柄の新聞も数部ずつ置いて、ただで新聞も読めるようにする、いろんな銘柄の煙草も置く、ラジオなんか鳴らしてもいいな。男どもの情報交換の場だ。あえて一切の酒は置かない、長居用のふつうのテーブルの他に、座りごごちの悪いカウンターを多めに設置して、パッと飲んで出勤する、退勤の時にも、ぱっと立ち寄る、そういう雰囲気だ。回転率の高い店だ。金のある男は、出勤前にザレン珈琲舗で珈琲を一杯飲んでいくもんだ、会社帰りに夜遊びに出かける時も眠気覚しに一杯。そういうムードを作りたい」

ザレン爺は黙って聴いている。

「そんでよ、ザレン様は上級市民のパーティーでよく茶の試飲をやってるって聞いているが、それの珈琲版をやりましょうや。で、飲んで気に入ってくれた殿方には、住所を書いてもらって、数回分の無料だか割引だかの回数券を渡すのさ。3回も飲めば中毒になるぜ?書いてもらった住所あてに時々特売の券でも送ろう。煙草で馬鹿になってる舌だって、うちの煎りたて挽きたてのアラビカに慣れたら他の店の古いロブスタなんか飲めないよ。3倍の値段でもこっちに来ますぜ」

「…建物の目星は付いているのか」

「通りの先の交差点にサヴァランって古いレストランがあるでしょう、古い時代の石造りの綺麗な建物だ、それでいて水道の状態もいい、あそこの店主が引退しそうで、後継もいねえから、近々売りに出そうとしている。ほとんど居抜きで開業できまさあ。ただザレン様の店らしく内装はたっぷり金をかけて高級感を出しましょう。上品かつ、金ぴかに。...まずはあの店が第一候補じゃないですか?」

「しかもあの距離ならお前はザレン茶舗本店とザレン珈琲舗本店の2つの本店の店長を兼任できると」

「…左様で御座います」

ディミトリはニッと笑った。

「…仕方がない、やって見ろ」

ザレンは言いながら思った。

(こいつめ…!もしわしがこいつにいまマーヤを焚きつけることが無かったなら。あと10年もして、隷属の主人であるわしが寿命で死んだ時、こいつは自動的に開放されて、ただで下級市民権を得るはずだった。その頃にはこいつにはこの倍は金が貯まっていたはずだ。こいつはその金で、まず、安あがりに普通市民権を買った上で、まだまだ余った残りの金で、ゆうゆうと自分の店を始めるつもりだったんだ。もしそうだったなら、こいつは、たとえば、まさにこの案のような珈琲店でも始めて、わしが死んだ後に残されたわしの茶舗をひとつひとつ潰していったんじゃないだろうか…。なあにが「人間には分というものがございます」だ!遠慮した振りをして、全く!喰えない奴め…。)

苛立ちながらも、ザレンはそうやって、ただでも自分の若い頃そっくりの顔のディミトリが、商売っ気のある頼もしい本性を垣間見せるたびに、わくわくと胸が沸き立ちディミトリが本当の自分の孫、いや、本当の息子であるかのような気持ちになるのだった。

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