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1-1 奇妙な下僕、ディミトリ 【小説「女主人と下僕」】


ランス国の首都の街、デュラス街区。

そのデュラス街区の石畳を進んだ商店街の奥に、ザレン茶舗の総本店がある。

ザレン茶舗の総本店といえば、上流夫人御用達の街で一番の大きな高級な茶舗で、高級街区のマダムたちのほとんどは、ここで買った茶で大切な来客をもてなすのが通例だ。

店内は重厚なチーク材やら大理石やらがふんだんに使われ、なにより壮観なのは、茶舗のカウンター側の壁で、黄金色に輝く真鍮の巨大な茶缶が壁のすべてを埋め尽くすようにはめ込まれている。

カウンターや扉などはすべて丁寧な流線型に削られた赤味がかった焦げ茶の重厚なチーク材でできている。

そんな豪華なザレン茶舗の総本店であるが、この本店には、ふつう高級店の常識ではありえない、毛色の変わった妙な店長代理がいる。

名はディミトリ・ゲラシモフ。

ディミトリが、洗っただけの皺しわの麻のくすんだ灰白のシャツとこげ茶の下履きという、高級店の店長というよりは、まるで山の上の羊飼いか、村の大工みたいな、場にそぐわぬひどく簡素ないでたちで、腕まくりまでして、すこし日焼けしたみたいなちょっと浅黒い、太い筋肉質の腕を晒して、ぴかぴかの赤濃茶色のチークのカウンターに立ち、大きな黄金色に輝く真鍮の秤に茶を載せて計っている。

黒灰色の髪も油で撫でつけたりせず洗いっぱなしだ。

だが、この、一見、朴訥な羊飼いみたいな青年、接客態度や商品知識ならば見事なものだ。

ふつうの客に対してははもちろん、すぐ文句をつける嫌味な中年のでっぷり太ったマダムや、しかめっ面のやせた鳥のような始終無言の老婦人にも、大きな口からずらりと並んだ歯並びのいい白い歯を見せ、大きな黒い目とやはり黒い濃い眉をほころばせて、温かい、いい笑顔で愛想をしては、はきはきと働いている。

クソまじめで無駄使いもせずよく働いており、商売センスもすばらしい。

ただし、この男の太い首には黒鉄の錆びた首輪がはまっている。

じつはこの男、先の戦争で捕まった元ゾーヤ帝国軍の捕虜、ゾーヤ人の敗戦奴隷なのだ。

この男、敗戦奴隷の首輪も取れてないままで、街一番の高級店舗の店長代理…実質的には本物の店長…として働いているのである!

卑しい身分の奴隷でも、店の護衛やドアボーイなどをやらせるのであれば、まだ解る。わざとこういういかつい男を雇い、きちんとした黒っぽいスーツでも着せて、高級店の門に立たせておくなら、よくある話である。

だが、このように、貴婦人が集まる華やかな店舗に敗戦奴隷を店の筆頭として働かせるなんて、常識外れもいいところだ。

ザレン茶舗の社主であり総支配人であるザレン爺が、周囲の当惑を押し切って、強引に、このディミトリを総本店の「店長代理」にしてしまった当時は、街の人々は相当にざわついたものだった。

ザレン爺様には唸るほどの財力があるのだから、せめて、ディミトリを店長代理にさせる前に、まずザレン爺様が金でディミトリに下級市民権でも買ってやって奴隷から開放してやって、奴隷の首輪を外してやり、体面を取り繕えばすこしは格好がつくだろうに、ケチなのかなんなのか、ザレン爺様は何もせず、

「何?ディミトリの敗戦奴隷の首輪?なんでわしがディミトリのためにそんな金を払って首輪を外してやる必要があるか。体面が良くない…だと?はん、近いうちにディミトリが自分の力で稼いだ金で奴隷の首輪くらい外すだろうよ。なぜって、わしはディミトリにちゃんと他の店の普通市民の店長たちと同じ額の給金は払ってやっとるからな。そうだな、きっとディミトリが所帯でも持ちたくなったら、その時にでも…頑張って貯めた貯金をはたいて下級市民権くらいは自分で勝手に買いとるんじゃないか?もちろん、その時が来たら、わしはディミトリに隷属の解放のサインくらいは喜んですぐしてやるつもりさ」

と、とぼけて放置している始末だ。

しかもディミトリは、「絶対怒らない男と評判の、呆れるくらいおだやかな風変わりな敗戦奴隷」としてこの街では受け入れられており、ディミトリの人となりを知っている人々はあの禍々しい錆びた首輪を見てもだれも怖がらないので、こんな常識外れな話でありながら、なんとなく街の人々はこの異常事態を受け入れてしまった。

ディミトリが店内で接客をするようになった時、大半の上流夫人達はディミトリなんぞちっとも怖がらず、いかつい体格に似合わずちょっと赤面症でうぶなディミトリをむしろ面白がって、積極的に受け入れた。

一部の、ごく気の弱いタイプの「敬虔なキリスト教信徒」な上流夫人達も、はじめの頃だけはディミトリのいかつい体格と首輪におびえてディミトリをこわごわ遠巻きに見ていたが、じきにむしろディミトリの、ほかのふつうの店員よりずっと優しくおだやかな、話しやすい雰囲気と、飛び抜けて確かな商品説明などの仕事ぶりを気に入ってしまい、むしろ店に来るとディミトリを探して呼ぶくらいである。

だが、もしもザレン爺様がデュラス街区で有数の地域の有力者でなかったら、このような奇抜すぎる人選を押し切る事はさすがに不可能だったに違いない。

ところで。

ディミトリの出身国であるゾーヤ帝国といえば北の最果ての、寒く貧しいが、極めて広大な国土をもつとてつもなく大きな国である。

北欧系の大柄な白人が多い国というイメージだが、実質は混血の多民族国家で、イスラム、東南アジア、中華系、蒙古民族、果てはジプシー、ありとあらゆる民族がより集まり、混血を重ねた、混沌とした民族のるつぼでもある。

だからこの男も基本的には西洋的な目鼻立ちで鼻筋も通っているが、東南アジアか?太平洋カリブ海の島か?極々僅かなアフリカか?すこしだけ南方系の血が混ざっているようだった。小鼻の張ったちょいと猿面で、西洋人らしからぬやや浅黒い肌、瞳も漆黒、髪も漆黒だ。

目鼻立ちは…やや小鼻が張った猿面な鼻といかつい体格に似合ったすこしエラが張った頑丈そうな顎あたりを除けば…がっつりと二重の大きな目、やや厚みのある唇の大きな口、濃い眉、すべてがいくぶん大きめ濃い目ではあるが、ひとつひとつのパーツはそれなりに端正ではある。

典型的な北欧系白人のゾーヤ人のようなすごい長身ではないが、身長もランスの男の中ではやや高い方だろう。

同性の男達に兄貴的に憧れられ羨ましがられるような男らしい顔と体格ではあるし、たとえば彼が高級店の店長ではなく、闘技場のプロの闘士であるとかなら悪役扱いではなく美男枠に入れて貰えるかもしれない。

だがしかしやはり典型的な美男子…ではない。

若い女にキャーキャー言われる見た目では決してなく「ゴリラ寄りの美男子」「愉快な造りの男前」と褒めるあたりで限界だ。

太く筋肉質な二の腕、厚みのある分厚い胸板。

厚みのある広い大きな肩は少々なで肩で、手足は非常に長く、腕をだらりと下げると、手のひらが平均より下の位置まで垂れさがる。運動選手のような、厚みがあって天に向かって盛り上がった、硬そうな、筋肉の塊みたいな尻。立体的な体というのだろうか、正面だとやせて見えるが、横から見ると厚みがある体幹。しなやかだが、比重の重そうなみっしりとした筋肉が張り巡らされた、長い腕。

なのに、腰をかがめて奥様相手に、ちまちま茶葉など計って、にこにこ、ぺこぺこしている姿には何の威圧感もない。

しかも実質の売場頭でありながら、炊事場のおかみさんにもアゴで使われても決して怒らず、にこにこしながら樽に入ったじゃがいもを運ばされたりしているのだ。

本来ならゾーヤ国の敗戦奴隷といえば、通常はどうしようもない荒くれ者ばかり。ゾーヤ帝国への狂信的な忠誠心を持った人殺しの訓練をみっちり受けた大柄で反抗的な者が多く、あまりに反抗的なために奴隷として使えないために、処刑されて処分された者がほとんどで、奴隷市場でもめったに見かけない珍しい存在である。

生き残ったゾーヤの敗戦奴隷といえば、ほとんどが、たとえば、闘技場でぞっとするような殺し合いの見世物にされるとか、足枷を付けられて石切り場で力仕事をするとか、そんな用途だ。

なのにこのゾーヤの敗戦奴隷、こんな金持ちの奥様連中が集まるこんな高級店でふつうに働いているなんて!しかも首輪までついた市民権も持たぬ状態のままで!

しかも裏の力仕事だけではなく、平気で店頭に立ち、さらには金庫や伝票まで任せられている!

正式な店長は長い病気でめったに店に来ないので、代理と言っても実質はディミトリが店長なのだ。

このように異常に身分が低い妙な店長ではあるが、ディミトリの穏やかな気質を慕い確かな指示を信頼する従業員は多い。

一方で、ディミトリの地位が低いことや怒らないのをいいことに、意地悪な嫌がらせを吹っ掛けてはみんなの前で謝らせ、それで自分の男が上がったように勘違いする低俗な男たちも、少数だが、いないわけではない。

ザレン爺は嘘か誠か、

「こいつは凶暴な奴じゃない、実際は戦争に出てもいない、名ばかりの少年兵で、罪もないのに奴隷市場に売られていたんだ。可哀そうじゃないか。足を止めると、なんとわしの若いころに顔がそっくり。思わず買って帰ったのさ」

と説明していることもあって、周囲はあまり怖ろしいイメージは感じなかった。

むしろ「ザレン爺さんに異常に顔が似ているし、ゾーヤ人なのも敗戦奴隷なのも大嘘で、ザレン爺さんの隠し子(孫)ではないか」なんていう噂すらあった。

とにもかくにも、この男のあまりの穏やかさ、あまりの無害っぷりに、町中の人はちょっと不振がったり、面白がったりしながらも、なんとなく許し、

...そこにあるいろいろな不自然さを忘れていった。







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