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9-6 だから教えてやると言うておるのよ! ~小説「女主人と下僕」~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~



前話


女主人と下僕 ツタ


「ザレン様、話がございます」


ディミトリが戻った。


僅かにかすれてはいるが、低いはっきりした声だった。ディミトリが息をするたびに、艶やかな黒灰色の髪が、厚みのある胸板に引き締まった腹の体躯が、ほんのわずかに、上下する。


先ほどと同じように極度に興奮してはいるが、そこには深い、深い、本物の闘争状態の時だけに目覚める、ある種の冷静さが表れて来ていた。


「話だと?ふん、まぁだ怒らないのか、それで男か。尻尾を巻いて、自分の女を差し出しに来たか?んん?」


ディミトリは、ザレンの挑発には乗らなかった。頭にきてケンカをしている場合ではない。


爺を殴り殺すなら一瞬でできる、だが、それではマーヤをこの爺いから取り戻すことも、爺いに勝つことも、このランス国で生き残る事も、できない。

ディミトリの中で10年間眠っていた何かが目覚め、それがいま、カードを切りながら、切り札を探している。


(確かに爺は主人で俺は下僕だ。)


(だが、爺いのこの、マーヤではなく、むしろ俺に対する常軌を逸した異常な執着ぶり。)


(長年の異常過ぎる特別待遇。)


(これは明らかに常識はずれな待遇だということは解っていたんだ。異常な特別待遇にしても、今回の異常な煽りにせよ、とにかく爺は俺に対して何か異常な思い入れがあるはずなんだ。)


(たとえばもし、その特殊な思い入れがどこから来るのか、それがハッキリわかれば、マーヤをこの爺から守り切ることができるはずだ...。)


「話の前に...まず、今すぐ誓って頂きます、ザレン様。今後一切、俺のマーヤに触れないことを...」


「は!じつにくだらんな!さっきのでまだ理解できんのか?わしが触らなければ解決する問題か?確かにわしはお前を怒らせようとはしているぞ?だがそもそも、お前、まさか、わしが自分の手でマーヤをどうにかしようとしてるとでも思っているのか?」 


「...今日のザレン様は、信用もできないし、理解もできません」


ザレン爺はあきれ顔で言い返す。


「やあれやれ。もし今すぐに60年若返るというのなら、また話は別だが、いまさらこんな老いさらばえた枯れ木がマーヤを寝取るだと?自分はたいして昂る事もできないのに、赤ん坊みたいなみたいなマーヤを死ぬほどひいひいイかせたからってだから何だというのだ。ばかばかしい。…聞け。ディミトリ、確かに、わしは、まさにいま、お前をとことんまで怒らせようとしている。マーヤを奪いとる脅しをかけてお前を煽り揺さぶろうとしている。だが、直接寝取ろうだなんて、は、は。このわしがそんなみみっちい悪戯をする訳がないだろう。やるならもっと面白い遊びがたぁくさんあるからなァ?」


いきり立つディミトリは中々迫力があるが、しかしザレン爺はそんなディミトリにひとかけらも臆せず、堂々と言葉を続けた。


「先ほど、わしはお前に、現時点の本当のお前の身の上をな、阿呆のお前でも解るように解りやすく教えてやったのだ。お前はいま、愚かにも、まるでマーヤが既に自分の恋人か女房にでもなったような気になっている…。一度や二度マーヤと抱き合って、マーヤから耳障りのいい言葉をかけてもらい、すっかり調子に乗っている…。マーヤも今はお前との恋に一時的に目がくらんで、お前が正式に市民権を取得して、茶舗の本店の店長になりさえすれば結婚してあげるわ、みたいな、とんちんかんな糞愚かしい世迷い言を言っているようだが…まっこと、馬鹿げた事よ。仮にな。普通市民権を取ったとて、奴隷上がりのお前がこんな店の雇われ店長の状態で結婚して、果たして一か月持つかな?この街の上級市民の男たちやら商人の男達が、もっと言えば、下級市民やら普通市民の男たちや上級市民の既婚者どもだって…街中の男達がざわつき出すぞ…?元奴隷のお前ごときがあの街1番の肉体美の上級市民のマーヤを抱けるなら俺だってあの女とヤッたっていいじゃないか、俺にもチャンスがあるはずだろうと突然やる気を出してくるはずだ…そういう街中の男達が、お前とイチャイチャしているマーヤ殿を素直に指を咥えて眺めているだけで済ますかな?ふ、ふ、ふ。ディミトリ、そこで質問だ、いま、この街でマーヤを抱く権利のある男達は誰だと思ってるんだ?」


「…そんなことはマーヤ様が決めることだ…」


「は!違うな。この街のある程度金持ちかつ独身の上級市民だけが、あの女に求婚する権利がある。だが、お前には、まだ、マーヤに求婚する権利すら、ない」


「もっと言うなら、仮にマーヤさえうんというなら、この老いさらばえたわしにすら一晩二晩マーヤとこっそり火遊びするくらいの権利はある。なぜならばわしは上級市民の金持ちの爺いだからな。だが、お前には本来はあの女とたった一晩火遊びする基本的な資格が、ないのだよ」

ザレンは、やや芝居がかった、憐みと嘲りの表情を浮かべた。

「残念ながら。お前は、この国では 人 間 で は な い 。いいか、お前は人間ではなく、お前は、敗戦奴隷なのだ」


「だから普通市民権を!」


「馬鹿か。どこまで愚かか。確かにお前はもう自分の金で市民権を買っておるから、3か月後には仮市民から一足飛びに普通市民に上がり、首輪を外せるだろう。だが、上がったところで、だからなんだ?


一文無しの元奴隷の普通市民。


そんな男はな、このランスの国では犬コロほどの人権も無いのだ。


そんな男にはあの女に求婚する権利など、無いのだ。


更に言えばもしいまお前が奴隷の首輪をつけたままマーヤを抱きしめているのを誰かに見られたら、お前は即座に銃で撃ち殺されても文句は言えん。お前を撃ち殺した男は『襲われる乙女を守った英雄』として町中の人に賞賛されるだろうよ。」


「で、ですから、申し上げたではないですか!茶舗本店一店舗だけでなく、まずは珈琲補を俺は」


ザレンはその瞬間、老人とは思えないどすの利いた声で


「生ぬるいといっておる!」


と、一喝した。


「いつだ!お前は一体いつ上級市民を取るのだ!いつだ!お前はいつわしの新しいザレン珈琲補とやらを10店舗でも20店舗もこのランスの国中にぶち上げるのだ!いつだ!いつお前はザレン茶舗の全店の総支配人にのし上がるのだ!何年待たせる気だこの阿呆んだらのクソ餓鬼め…!わしの歳が幾つだと思うておる!」

そしてザレン爺の言葉は罵りから再び徐々に嘲りの色を帯びてきた。

「お前はいま、ままごとのような甘ったるい色恋にすっかり目がくらんでいる。知っているぞ…お前の頭の中には、わしにはまだ明かさずにひとりひそかに思い描いていた、自分の能力の限界まで最高に気張った場合の商売の計画が隠してあるはずだ!…わしにはまだ言ってないが…もしとことん全力で気張るなら…ここまで出来る、と密かに算段していた事が色々あったはずだ、そんな事は全て見えておる。だが!だがお前は、その最高に気張った計画なんぞ、もうすっかり捨てて、安全牌もいい所のずいぶんと小さな計画を実行するだけに気持ちをすっかりしぼませているだろう!」


それは、たしかに図星であった。


「マーヤにちやほやされ過ぎてお前はすっかりふぬけになっている。『奴隷上がりの普通市民のまま、珈琲補1店舗と総本店の茶舗のたった2店舗の店長になるだけでも、これでもう別にいいんじゃないか、それでもマーヤ殿は逃げないんじゃないか、安全に安全を考えた計画を地味に進めるだけでザレン様も喜ぶだろうよ』、とでも、すっかり調子に乗り始めているんだろう?この馬鹿たれめが!」

ザレン爺の声色は、再び嘲笑の様子を帯びていく。

「だからわしはな、だらけ切ったお前の目を醒まさせようとして、こうやってマーヤを騙して一芝居を打ったのだ。んん?そんなざまでは結婚したところで1か月もしないうちに上級市民の男たちにマーヤを掻っ攫われるぞ?その証拠に、見ただろう!目の前の!このよぼよぼのもうろく爺にすら!一瞬で自分の女をやすやすとべろべろ味見されてしまったなぁ!まぬけなものよ!自分が恥ずかしくないのか!さっさと動け!勿体ぶらずにとっとと最高の仕事を見せろ!」

ザレン爺はまだまだディミトリに畳みかける。

「今日のこれはひとつの注意喚起だ。で、わしの今日の脅しの本当の意味を…それすらまだ解らんのかな?お前はまさかそこまでのバカだっかのかな?んん?…仕方がない、教えてやろう。わしはな、お前の恋愛劇を…ゾクゾクする悲恋劇へとちょっと面白く演出してやろうかと思うんだよ。きょうはその悲恋劇のほんの軽い、予告編の予告編を見せてやったのだ。悲恋劇の本編がこんな生ぬるいおためごかしだと思うたら大間違いだぞ?」

次回作


女主人と下僕 ツタ

元々のきっかけは爺が全部悪いのだった。

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