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10-1 風変わりな新店舗と奇妙な建玉 小説「女主人と下僕」


女主人と下僕 ツタ


ザレン爺がディミトリの目の前でディミトリの恋人であるマーヤを鳴かせてから、

二日ほど経ったろうか。

ディミトリは店では、精力的に、かつ、にこやかに、働いていたが、ディミトリと親しい周囲の者はディミトリの隠しきれないピリついた雰囲気を感じてはいた。

満月に近い、非常に明るい月夜だった。

店が引けた後、誰もいないディミトリは店を閉めたあと、店の中庭…店裏にある、屋根のない石畳の広場のような作業場…を通った。

そしてディミトリは、月光を浴びで明るく光っている、店の中庭に積み上げてある木の巨大な茶箱の上に、もたれかかって数秒突っ伏したあと、

むくりと顔を上げて…その茶箱を思いっきり、

バアン!

とぶっ叩いた。

「こっわ!…らしくないね、ディミトリさん」

ディミトリが驚いて振り向くとそこにはおどけた表情のジョルジュが立っていた。

ジョルジュはミルクのような肌に、金髪、青い瞳、整った顔立ちと、浅黒くいかついディミトリとは対照的な、まさに天使のような美男子だ。

ザレン茶舗本店の接客頭、つまりディミトリの第一部下である。

「あ、いや…その、ジョルジュ、まだ居たのか。ええと。こんな時間までどうしたのかい」

ディミトリは誤魔化すように話を振った。

「やだなぁ、ディミトリさん。仕事引けた後に酒を買って戻って来たに決まってるじゃぁないすか。飲もうよ」

「だ、か、ら。俺は下戸だし、茶の仕入れの舌が鈍るから、酒は一滴も飲まねえ、っていつも言ってるでしょ?」

「解ってますよ、俺の酒に付き合って貰いに来たの」

「ふざけんな」 

「えっ!ちょ、本当にまじでどしたの!ずいぶん虫の居所わるいなぁ!いつものやさしいやさしいディミトリさんがどっかに消えてる。あのさ、イラン人街の例の店でレバーと血のソーセージを買ってきたんだけど?これ、大好物でしょディミトリさん。同じ店で買った鶏のローストもあるよぉ?まあ、どうしても今日は嫌ならソーセージだけ置いて出直すけどぉー」

「・・・」

ジョルジュは普通市民だが、ディミトリの出自を全く気にする様子のない、むしろいつもディミトリにやたらと懐いている、変な男だ。

数年前、ディミトリが仮店長となった時も、一番最初にディミトリの事を平気で『さん付け』で呼びはじめ、『たとえ敗戦奴隷でも、鉄の首輪付きでも、職場では店の長なのだからザレン茶舗では従業員はディミトリを敬語で呼ぶのが当たり前だ』という、そういう習慣を店に作り、さりげなく広めてくれたのは、この男である。

そしてそれがきっかけとなり今となってはジョルジュはディミトリの数少ない同年代の友人でもある。

おどけてはいるが、ジョルジュは、この二日様子がすこしおかしいディミトリを心配し、それについてはあえて何を聞くわけでもなく、気晴らしに誘ってくれたのかも知れない。

同じ身分なら、このまま街に繰り出せばいい。

だが、敗戦奴隷身分を示す“鉄の首輪付き”のディミトリと”普通市民”のジョルジュが飲みに行くなんて、やはりいろいろ面倒が多いので、いつものように、ふたりはディミトリが住むザレン茶舗の最上階の屋根裏部屋で飲むことになった。いや、ディミトリは食べるだけだが。

ザレン茶舗の長い長い階段を上がって、2人はディミトリの部屋に着いた。

ディミトリの屋根裏部屋は一見粗末な何もない部屋だが、清潔だし、街の中心部にあるザレン茶舗5階なので窓からの眺めだけは最高にいい。

もしもジョルジュがそのまま酔っ払って寝落ちしてしまっても、職場は同じ建物内だから遅刻もしようがない。だからジョルジュはいつもディミトリの屋根裏にしょっちゅう遊びに来て、面倒がるディミトリにチェスやらカード遊びを仕掛けたり、窓にもたれかかってザレン茶舗5階からの、街の夜景を眺めるのだ。

いつものようにジョルジュはディミトリの棚から、酒のつまみになりそうな干し肉とクルミを勝手に引っ張り出して、粗末なテーブルに自分の土産と一緒に並べ、そして勝手にディミトリの部屋の出窓を開けて、自分は酒を片手に窓べりにもたれかかって、気持ち良さげに風に吹かれている。

「ディミトリさん、仮店長からついに本店長に昇進決定っつーのに、ここ二三日、やったらピリッピリしてるねーーー。あ、わざと、ビシッとした感じにイメチェンはじめたの?うん、たしかにそうだな!前から思ってたよ。いつものあれ、へらへらし過ぎ!もっとピリッとしてた方がいいってね」

「・・・」

「あ、違うか。イメチェンで茶箱ぶっ壊さないかぁ。んーまぁいくら『ザレン爺様の隠し子様』でもたまには嫌なこともあるわいな」

「やめろ!今一番聞きたくねぇ冗談をピンポイントで言うな。俺があんなおぞましいクッソ爺いと血が繋がってる訳ねえだろ!俺の母ちゃん、いや、婆ちゃん?…いや、ひいひいひいおばあちゃん…?の貞節を疑うとは俺に対する冒涜だ!侮辱だ!」

「『ザレン爺様×ひいひいひい婆ちゃん』てww…なにそのあさっての方角に歳の差カップリングww」

「それですらあり得ねえと言ってるんだよ!」

ジョルジュは、くくく、と小さく笑って、まばらな灯りが広がるデュラス街区の夜景を、眺めている。

「意外と馬鹿だなディミトリさん」

「なんだと!」

「…気に食わなくても、肚、決めなよ。使えるもんは使いなよ」

ディミトリは赤黒いぶっといレバーと血のソーセージをモリモリ食べながら一瞬固まる。

「店長就任の今こそやるべきだろ?」

「何を」

「解ってるくせに。『隠し子ぶりっこ』だよ。鉄の首輪付けたまま一等地の店長に正式になっちゃったんだから、これからどんどん風当たり強くなるぜ。まずは、疑惑の噂、思いっきりわざとらしく広めようぜ?あのね、店長のディミトリさんがへこへこしてない方がディミトリさんの下で働いてる接客長の俺だって茶舗で仕事しやすいの。それにザレン様だって、ザレン様はこのデマをむしろ積極的に黙認していくつもりだよ。ディミトリさんが店長になった以上は、ザレン様がこの店を潰したくなければ、そうするっきゃないだろ」

ディミトリは木のテーブルの上で頭を抱えてため息を吐いた。

「そもそもさ。俺、あんなおぞましい爺いに、そんなに、似てるぅ?」

「似てるもなにも。完全に一致。生き霊レベルだよ、キモいほど似てる」

ディミトリは、粗末な木のテーブルの木目を睨んでいたが、そのままもう一度ため息をついた。

「まじか…。たしかにまぁ…この仕事続けるなら…仕方ねえか。…いつもありがとうよ、ジョルジュ。解った、やるわ。練習してみる。付き合って」


「は?練習?」


その直後、ディミトリの唇から、ディミトリの皮の中にザレン爺が化けて入っているとしか思えないほどそっくりな声がするすると出てきたのだ。

「かような、本来の仕事とは無関係な、まっことくだらん猿芝居、寒気がするが…たしかにここぞという時に、上客やら役人やら取引先をけん制するには…この、クソ忌々しい噂を有効活用するしかないな?ジョルジュよ」

窓辺にもたれたジョルジュは目を見開いて固まった。

屋根裏部屋の粗末な木のテーブルに座っていたディミトリから出てきたのはザレン爺の声だけではない。ザレン爺独特の、あの、射るような眼光やら、まばたきの癖、喋る時の顔の前で手を振るような手の動かし方、時々眉間に人差し指と中指を当てて一瞬考えこむしぐさ、どこもかしこも薄気味の悪いほどにザレン爺そのものであった。

「・・・・!!!」

ディミトリはゆっくりと椅子から立ち上がって、かすかに首を伸ばすように傾げ、背筋を伸ばして立った。そのときの動きも、ザレン爺そっくりだ。

いつも恥ずかしがりで人に見つめられるとはにかんで下を向いてしまうディミトリのはずなのに、いまのディミトリの瞳は一欠片もはにかみなぞせず、ザレン爺そっくりに、ぎらり、と光り、落ち着き払った笑みを浮かべてジョルジュの瞳孔をしっかと捉える。

いや、ディミトリが恥ずかしがり屋であり、人に気を遣う性質なのは事実であり、別にウソという訳ではない。

ただ、そういう、一見おどおどとした、恥ずかしがり屋の人間には案外結構な割合でじつは『他人の視線がこわい』訳ではなく『むしろ威圧感も眼力も強すぎて相手を動揺させてしまう事にあべこべにおびえているだけで、だからいつも相手を目線をそらしはにかんでいる』そんなタイプがかなりいる。しかも、自分が怖がっているのか、相手を怖がらせることを怖がっているのか、そこの部分が半は無自覚なまま。

ジョルジュは窓辺に張り付いたまま無意識に後ずさりした。

ディミトリはそのザレン爺の声色のままジョルジュに喋りかける。

「俺は、本音としては、あんなクソ忌々しい爺いに似てることがもう心底キモい。キモ過ぎて、長年の間、極力自分を爺いに 似 せ な い よ う に 努力もして来たよ…。だが。俺ぁ、泣き言はもう止める。…ザレンの、ちょっとした仕草とか、歩き方とか、そういうのを、今の歳の俺らしくアレンジしてみるか…全くだ、ジョルジュ。首輪付きだとなにかと交渉が進まん時がたしかにあるよね。そういう時に、取引先をドキッとさせるには、そうだな。目には目を、猿には猿芝居、か。…ジョルジュ。いまからいろいろ爺に寄せてみっからよ、こっちの方がグッと来る、とか、似てる似てないとか。こう、ちょっとアドバイスをくれ」

その声も、眼光も、仕草も、ゾッとするほどザレン爺にそっくりなのに、その姿は ふ だ ん の デ ィ ミ ト リ よ り も むしろ生き生きと自然であった。

ザレン爺が憑りついたような声色や目つきがいくぶん残った、いつものディミトリらしくないどこか凄みのある声のまま、ディミトリは話を続ける。

「なあジョルジュ。お前こんど結婚するんだよな」

「は…はいッ!」

「つうことはお前、これから金も要る。どうだ、このままザレン茶舗の接客長のままより、…新店舗の副店長をやってみる気は、ないか?すぐ近くで店を出すんだよ。給料はいまの2倍出そう」

「…えっ?はあっ?!新…店舗!?給料2倍?!なななにそれ?」

「が、このザレン茶舗と違い、紅 茶 の 店 で は ね え」


「はあ?!?!」


「いや、大丈夫。店はれっきとしたザレン様の店だからそこは安心してくれ。難しいこともないしやり方も全部俺が教えっから何も戸惑うことはない。俺に任しとけ」


「はあ?!」


ジョルジュは窓枠にもたれかかる姿勢のまま、しばしの間、目を見開いて、その、自分の知らないディミトリを、見つめていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


話は変わるが、ランス国の相場取引所のアラビカ珈琲に妙な注文が入り始めた。

いかれた大量の建玉。
買い手の名前は、おそらく偽名だろう、今まで聞いたこともない名前ばかりである。

連日、電報による成り行き注文で、最高級のアラビカ豆だけが値段を気にせず買い上げられて行く。

値段はみるみるうちに釣り上がったので相場関係者もざわついたが、1番困ったのは実際の珈琲店舗であった。

いつのまにやら今年は上質なアラビカ豆をまともな値段では買えなくなってしまったのだ。

そもそも、まだこのランスでは、カフェイン飲料と言えば、紅茶の方がよほど一般的であり、珈琲などという飲み物は一般的ではなく、新し物好きの、都会の男性が、煙草の間の手にいきがって飲みはじめたような段階だ。

ちょっと下品な新奇の飲み物であり、女性や、上品な紳士は飲んだりしないのが常識だ。

しかも、珈琲を飲みはじめた男達でも9割の人々は珈琲といえば安くて苦いロブスタ豆に砂糖を大量にぶち込んで読むだけなので、良質なアラビカ豆の輸入の絶対量などはじめからほとんど無かったのだ。

国内店舗のストック分を考えに入れても、おおよそあと2、3ヶ月後には、今年はランス国中の珈琲店から、最上等のアラビカの珈琲はほぼすべて売り切れてしまい、誰の口にも入らなくなるだろう。


女主人と下僕 ツタ


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