半藤一利氏の視点の鋭さ。。

半藤一利氏の言葉が、

私が子供の頃から思い考えて来た事と、あまりに合致していて、驚く程である。

「次の変化は2032年」については、2008年頃に私周辺が認識していた、占星術から導き出された転換期と、全く合致しており、

占術などなくして、それを読み解いている半藤氏の見識の鋭さには、本当に畏れ入るばかりだ。

昨今の権力頼みの政治家達の、見解見通しの薄っぺらさとは一線を画す表れでもあろう。

以下は、私が今回学んだ氏の発言の一部のメモである。

今(平成後期)は、日本で苦労した人々が退き、その後にその苦労をせずに生きてきた人達が幹部になっている時代。

日本は40年毎に変化している。
(開国→1905戦争勝利「勝利病」→1945敗戦(→7年間占領下)?講和条約→1992バブル崩壊→2032(占いと合致))

次世代への伝承がうまくいかない国

スマホネット時代(世代)→自分にとって大事な情報だけ見る事になる→根拠なき万能感、社会性欠如、の肥大化が増加→他者は関係ない感覚、想像力欠如へ?

戦後日本は敗戦から必死に国際社会へ加わろうとしてきた。
→それが現在国際社会に対して閉じている評を聞いており、今後もそれが続く予感。→新たな目標(日本の平和憲法の世界推進)を立てて行くくらいにならないと先がない。

歴史人物は人格までを伝承しないと正確な検証にはならない。
歴史上の人物だけが偉いのではない、庶民こそそこで働き苦労してきた。

(メモ、以上。)

ちなみに私は、学生の頃、
偶々、中国・天安門事件の生中継を耳にし、
その様子があまりに酷くかなしいものだった為に気になって、
当時始まったばかりだった「筑紫哲也 ニュース23」を以降観るようになった
(それまで新聞は日々読むがテレビがあまり好きに視られない環境だった為、テレビニュースには馴染みがなかった。)
のですが、

筑紫氏とも、あまりにも私見が同じ事が多く、
しかし巷では、同意をして貰えた事の非常に少なかった(当時は政治的な話題を話すと、特に同世代の若者からは馬鹿にされた。「自分達がそんな事を言っても何も変わらない」と馬鹿にしてくる若者ばかりでした。)私は、
筑紫氏の発言は「同じ意見の人がいてくれる」という私の心の助けともなっていました。

当時、氏も「自分は少数派」だと常に仰っていましたが、
後の世になるにつれ、
氏の見解の正しさが浮彫りとなっている事を、実感せずにはいられません。

私は私見を、時代時代で常に周囲から馬鹿にされて来ましたが、
結局、それらの私見は正しかった事が、
後の世の「常識」を見ても明らかかと思う。

人を馬鹿にして耳を傾けないような人々の意見こそが、
常に、その後、間違っていた事が明白になる事の連続だったと、
私は思います。

人を馬鹿にして耳を傾けないという事は、
そもそもそこで可能性ある情報を閉ざして将来の展開を馳せない訳ですから、
その先の「間違い」も自然と増えて当然の行為なのだと思います。

しかし逆に近年増えているのは、
そんな上記の愚かさを踏まえて耳は傾けるが、
それを「鵜呑み」にする人達だな、とも
私は感じています。

それは、
耳を傾ける行為はしていても、
している中身は上記と何も変わりませんので、
気を付けてほしいなとも思うところ。。

また、
「気」の穢い人の発言(見解)は、
大体において、将来的には「ハズレ」となっています。

「気」の穢い人を見抜くには、
自らが清い「気」でなければ、
むつかしいのかも知れません。

清い「気」を持つのは比較的簡単です。
誰に対しても愛と思い遣りで真に接していれば、
持てるものだろうと思います。

一時的には比較的容易なのかも知れませんが、
常に継続する事が肝心で、
それが、もしかしたら大変な事なのかも知れませんね。。

2022.2.1筆