読まずに「いいね」だけ押す人の内心

不思議な事が起きている。

先ほど「いいね」が押されたのだが、その記事を今週閲覧した者は、皆無なのである。

noteのダッシュボードから確認をすれば、そんなことは容易にバレてしまうのだが、表向き「絆」「一人じゃない」等々、善人風をうたって、その実、自己中な損得事しか考えていない輩が、近年の日本には非常に増えた。とても残念である。 

身体不自由者への社会の支援が、車椅子と手話が花形で他は殆ど何も行われていなかったり、社会が指定難病とその他の難病患者への姿勢が雲泥であるのは、こうした自己中損得で言動を決める輩が特に世の上層に絶えないゆえの歪みと思う。 それが損得意識ではなく視力のなさなのであれば、そんな上層に世の中を任せている国の将来は、それこそ暗澹たる予測がつく。政治までが口先に終始している今である。

別のSNS等で使用する、内容パクリ目的の「ツバ付け」か、自分の記事を読んで貰いたい、見返り目的の「宣伝」にも思ってしまう。 

それって、皆がひっきりなしにのたまっているような「絆」「一人じゃない」ですか?

ちなみにそれらを押した人々の記載の経歴たるや、きらびやかなエリート三昧で、まるでTwitter初期の非実在のナリスマシかと思う程であったが、 もし実在ならば、エリートも堕ちたものだと思うしかない。


(この記事は先々週に書きました。)