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見送る:猫のこと

我が家の猫が虹の橋を渡った。

2006年5月生まれ、17歳と11ヶ月。

公園生まれ、母猫と暮らしているところを保護され、
夫のもとにやってきた。
若い頃はやんちゃな猫でずいぶんと手を焼いたそうだ。
仙台で暮らしていた頃、東日本大震災で被災するも乗り越え、後に仕事で東京に引っ越し。

私と初めて対面したのは8年ほど前だ。
猫にしてみればすでにシニア期だったが、6kgを超える大柄な猫で
動物病院の先生からはダイエットをするよう指導を受けるほどよく食べる元気な猫だった。

一緒に暮らし始めて、2019年に結婚し私は正式な家族となった。
結婚の日には婚姻届を踏みつけてくれた。

私は猫に格下認定されていたように思う。
クッション、ソファ、枕。
何を買ってもどれもこれもすぐに我が物顔で使用し、結局猫に献上する形になった。

今年2月には子供が生まれた。
夫と私でかかりっきりで大事にしている様子を見てなにか感じたのか、
子どものものには決して手を出さなかった。
ときどき、子どもの頭や足の匂いを遠慮がちにかいでいた。

猫は2、3年前から飲水後にむせる様子を見せていた。
年齢的に誤嚥だろうかと考えていた。
昨年には目に見えて疲れているようだったので病院に連れて行ったところ、
甲状腺機能亢進症と診断され投薬を開始。
投薬により改善を見せた。
ただ、咳き込む姿を見ることが多くなった。

今年に入り、甲状腺機能亢進症の通院時に咳き込むことを相談したところ、
胸のレントゲンを撮ることになった。
そこで右肺下葉に腫瘤影が見つかった。
翌週に針生検を行い、悪性の診断を受けた。

CTも撮影した。
腫瘍は孤立性で原発の可能性が高く、画像上転移は見当たらなかった。
放射線科の先生から、本当にこの年齢の猫なのかとびっくりされるほど
脳の萎縮が見られず認知症の疑いはなく、年齢的に考えられないほど関節がしっかりしているとのお墨付きを受けた。
CT撮影のための麻酔から覚めて帰ってきた猫は、ご飯をくれ、とお怒りだった。

悩みに悩んだ末に、手術を受けてもらうことにした。
我が家の猫はすでに猫の平均寿命を超えて生きているが、元気だ。
幸い完治の見込める段階で見つかった癌、手術に賭けてみようと思った。
まだまだ元気で生きてほしいと願いを込めた。

しかし、手術後6日目に、急変し息を引き取った。

術後の回復が芳しくなく、一旦退院はしたものの、
通院が続いた。
退院した日から自宅ではベッドの下に潜り込んで、
時々トイレに行く姿が見られたが、
亡くなる前夜にはその体力もなかったのか、ベッドの下で粗相をしたようだった。
通院で点滴を受け、会計を待っていたときに急変し夫の腕の中で心肺停止。
救命措置を行うも息を吹き返すことはなかった。

完全室内飼育の猫の平均寿命はおよそ16歳だそうだ。
その数字の表す通りか、我が家の猫も15歳頃から食が細くなり痩せてきた。
運動量も減ってきたが、他の同世代の猫に比較すればかなりしっかりしていて元気だった。

ベッドに上がるのにステップを用意したり、一足飛びでいすに上がらず、前脚を引っ掛けて勢いをつけるようになったり、と、衰えはそれなりにあるものの、
決してよぼよぼではなかった。

そんな姿に、期待をしすぎてしまったか。
手術に耐えられる、手術をすればきっともっと生きてくれる、そう信じた。
平均寿命を大きく越えて。

ペットを飼う人間の宿命として、
最愛のその伴侶を看取る、ということがある。

我が家の猫が幸いにも平均寿命を越えて元気な姿を見せてくれている中で、
そのことはずっと頭の片隅にあった。
この幸せな時間の終わりが、そう遠くないこと。

猫又になってくれればいい、妖怪だろうが長く生きてそばにいてほしい、本気でそう願った。

でも、やっぱり年は年だよね。
癌になった。

猫の肺癌を調べてみると、よい話はあまり出てこなかった。
目の前でひなたぼっこして気持ちよさそうにしている愛猫との幸せな時間の終わりが、差し迫ったものとして突きつけられた。

予後、手術成績、主治医の話、、、

大きな賭。最善と最悪。
そして、後悔。

どうするべきだったのか、いまだわからない。

亡くなった後、術後の病理組織診断結果が出た。
主治医は丁寧に説明してくれた。
高悪性度の肺腺癌。
断端陰性ではあるが、主要な腫瘤の周辺に小腫瘤を認め、肺内転移が疑われる、とのことだった。

結果として、この肺癌は、手術しても予後はかなり悪いものだということだ。
もし手術しなかったら、、
それはそれで、おそらく急激に進行して、苦しい最期であっただろう。
その苦痛を前にしていれば、きっとそのときは、
手術しなかったことを後悔していたのだろう。

間違いがあって亡くなったわけではない、と思いたい。
何をしようと、最愛の者がこの世を去るときに、
なんの未練も後悔もない、なんて、きっとないのだろう。

私と夫が並んで寝ると、目を開ければネコはいつも夫の腕の中で寝て、私をドヤ顔で見つめていた。
部屋の日だまりを見ればゴロゴロしていた。
部屋を歩く足音、トイレの猫砂を蹴る音、鳴き声、
カリカリを食べながら撒き散らす音、そんな生活音があった。

全部なくなった。

朝起きて、夫の脇に挟まれて幸せそうな顔をする姿がない。
静かな部屋で日だまりに目をやっても、
物音に耳をそばだてても、ない。

掃除をするたびに、もう増えることのない猫の生きた痕跡をかき集めている。




最期に辛い思いをさせて、本当にごめんね。

生まれたばかりの娘とのこれからを、
しばらくはそちらから見守っていてください。
いつか私もそちらに逝くから、また会ってくれるかな。
ちゅーるを山ほど抱えていくよ。

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