妊娠出産:働き続ける

私の妊娠は遅かった。
40歳で妊娠、出産時には41歳だ。
もう社会人になって20年近く経過し、自分の稼ぎで生活していくことが当然になっていたから、
通常の妊娠出産、育児を理由に仕事を辞めるつもりは毛頭なかった。
勿論何があるか分からないから、選択肢として完全排除したわけではないが、
仕事を辞めるとしたらそれ相応の深刻な理由ができたときだな、と思っていた。

さてはて。
いざ妊娠して、体調面の問題で仕事を休んで、
産休に入り、育休に入るとなり。

その手続きや内容を調べてみると、
なんとも納得いくようないかないような、いや、やっぱり納得いかない。

まずはやはりお金は大事だと、実際問題産休手当とか育休手当とかいくらもらえるのか調べてみると、
なんと育休手当は上限があった。
最初の半年までは給与の3分の2、それ以降は2分の1だが、なんとその額には上限があり、実際の給与の3分の2がいくらであろうと約31万までしか支給されないという。

は?
はあ?
その額じゃ私が毎月額面から引かれている税金と社会保険料を合わせたのより少ないくらいだ。
なめとんのか。

共働きが一般的で、女性だってそれなりに稼ぐ時代にまったく即してないんじゃ。。。
女性のほうが収入が多いだとか、男性と同等に稼いでいるだとか当たり前にあると思うのだが。
その上限額の根拠なんなのよ?と困惑。
ちなみに傷病手当金にも上限額はあるがもっともらえる。
傷病手当金と育休手当の上限額の差はどこから来ているのか。

そうか、元気なら働けと言うことか。
育児できるなら元気、元気だけど働いていない。

ノーワークノーペイの原則なら仕方ないのか?と解釈してみるが、
では、働きますので子供を保育園に預けます、とすると、
今度はそうスムースに預けられるわけではないな、というのが肌感覚。
まず空き枠がかなり限られている。

制度としてあんまり育休手当は払わないよーとしておきながら、仕事復帰したいから預けたいです、と思っても都合よく預けられるところはない。

どうしろっての?

そもそも育児には不安がある。
仕事があるとかないとか関係なく、保育関連については
そういった不安や、家庭内だけで煮詰まって悪循環になることを和らげるためにも
アクセスしやすい環境を作ったほうがよいと思うのだが、
保育園入所に関する書類の束とそのわかりにくさを見るにつけ、そんな改善はする気がさらさらないのか、と勘ぐってしまう。

だいたい、「保育の必要性の証明」って何なんだ。
「あなたがご自分で保育できない理由は何なんですか、
仕事するため保育できない、だから自治体が施してあげなきゃいけないんですね、ただ施しが必ず受けられるとは限りません。
本当に仕事するから保育できないんですかあなた?
しっかりそれ証明してくださいよ」
そんな感じで詰め寄ってくる書類が大量に届く。
なんだか悪いことをしているような気にさせられる。

仕事を辞めて家事育児に専念することはあまり考えなかった。
いざ子供が生まれたらかわいくて仕方なくてずっと一緒にいたい、と思うのかもしれないし、あるいは仕事との両立なんて無理だ!とギブアップするのかもしれないけれど、
仕事を続ける方が長い目で見て私にとっては向いていると思った。

だが世の中はそういうふうにはできていないようだった。
いろんな制度が、未だ専業主婦の存在を前提としたままのようだった。
保育園には入りづらいうえに
育休手当の上限額を見るにつけ、どうも女性の稼ぎというものが軽く見られているように思えて仕方ない。
子供が育ったところで、PTAだなんだと仕事をしている人には到底こなせない役割が当然のようにまかり通っている。
子供をもうければ子供中心の生活になるのは至極当然の流れとしてある程度受け入れるが、どうして女性ばかりにその負担が偏るシステムなのか。


逆に、この時代にもそのシステムを残すのであれば働き方こそを変えよう、とならないものかというと、それはそれでその気もないらしい。

世の中には『小一の壁』というものがある。
保育園までは19時まで、あるいは延長保育があるためフルタイムの仕事が可能であったのに、
小学生になると、小学校は入学してしばらくは午前で終わり、慣れてきても夕方には終わってしまい、かといって学校が終わった小学生が大人に見守られる場所がない。
だから、小学生になった子供を見るために、時短にしたり仕事を辞めざるをえなくなるというのだ。
学童も枠は万全ではなく、外れれば民間にかなりの金額を払うことになるのだという。そもそも民間の学童が都合よくあるとも限らない。
そして、小学生ともなると自我がしっかりとしており、まだまだ小さくて何もわからない子を親がどうにかするのではなく、ひとりの人間として子供の想いに寄り添いながら接するようになるだろう。
子供が『学童はいやだ』と言ったとき、それを無視するわけにはいかない。

妊娠、出産、子育てしやすい社会って何なのだろう?と否が応でも考えてしまう。

子供がいるから、とか関係なく労働時間を9時17時に固定しないで生産性を上げて対応できないのか。
保育のアクセスをもっと簡便にできないか。
産休育休手当の上限を見直してはどうか。

特に、働き方に関してはこれから労働人口がどんどん減少していくのだから、本当に考えたほうがよいように思う。

個人的には、若い人たちに報酬と時間を十分にあげて、働きながら子育てすることに希望を見出せる社会になってほしい。
それには、既婚であれ独身であれ、子供がいようが子供がいなかろうが、どんな人でも働きやすい形にするのが結局一番よいと思っている。
既婚独身子持ち子なし、そこで妙な分断を生むことなく社会が回るように。

我が子は保育園に入所することができた。
最初は慣らし保育が必要だ、ということで預かり時間2時間から始まり(預けたと思ったらもうお迎えだった)、
通常の保育時間になるまでには2週間程度かかると思ってください、
復帰はそれからにしてください、と言われた。
だから月初から保育園に通い始めたが、復帰は慣らし保育の終わる月の中旬以降にした。
そしたら早速自治体から「復帰してないやんけ、このままやったら退園や」とざっくりこんな内容のお手紙が届いて度肝を抜かれた。
復帰した証明書をさっさと出せ、とのことであるが、文言が怖い。
保育園に通わせることがまるで、できればやってほしくないけどセーフティネットのためやってる施し、かのようなのだ。
いや、慣らし保育の間働けませんけど、どうしろっていうのですか?
もうちょっと言い方どうにかならないもんなんでしょうか。

とにかく余裕のない制度の回し方、回す態度にあぁこれは疲れるわ、とつくづく思った。
我が子の可愛い盛り、平日は見られる時間が少なくなってしまうことに罪悪感や寂しさを感じないわけがない。
けれど、実際一緒にいると本当につきっきりで仕事なんてできない。
かけがえのない子供との時間ではあるけれど、それだけにすべてを費やすとキャリアや収入が失われ、犠牲になるものが大きすぎる。
ここで失われたら、これから成長していく我が子に与えられる選択肢もガッツリと犠牲になり、自分の老後も不安定になり、巡り巡って子への負担としてのしかかることは想像に難くない。

職場にシッターさんと我が子を置いて、成長を見守りながら横で仕事できたらいいのに。そんな贅沢叶わないのはわかっているけれど。

出産後子どもを連れて歩いていると、身軽だった大人だけの移動と違って思うようにいかない場面は多々ある。
荷物は増えるし、ちょっとした段差が大きな障壁になるし、行ける場所は限られるし、行程に大幅な余裕を持つようにして予定はすっかすかなつもりでも気づけばケツカッチンである。
ただ、行く先々でかわいいと声をかけてくれて、困っていたら手を差し伸べてくれる人がいる。
SNSなどの大変だ、日本は子どもに不寛容、の大喧伝におびえていたが、
実際のところは普段のお出かけでは概ね助けてもらって感謝の場面ばかりだ。

たぶん個人個人では本当に根心のよい、気持ちのいい人がたくさんいる。

だから、前へ前へ。
こうしている間にも我が子は成長して、赤ちゃん時代を疾走していく。
我が子と笑顔で過ごす時間が多く持てるよう、バランスを見極めるために
これからも葛藤していくのだろう。

あとは、この葛藤に寄り添ってくれるもう少し余裕のある社会があれば。。
育児に伴ってやってきた莫大な量の手続きのシステムが、育児をさらに疲弊させるものにしているから、まずはこれだけでも簡潔にしてくださいお願いします。
産休手当も育休手当も保育園入所申し込みもだいたい一回は放り投げた。
我が子の持ち物の何から何まで全てに名前を書くのだけでも精一杯なのよ。




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