神様とおじさんとマイルストーンとXデー

 交際のはじまり、私達は「一日三時間は通話する」という日々を過ごしていた。そして、それはそれとして、我々は「神様」と「おじさん」だった。
「なあ神様」とか、「ねえねえおじさん」なぞと話していた。睦言感はない。

 何故、私が神様などと呼ばれていたのかというと、某チームでの恋人氏の相方にして私と共通の友人であるM君と私の音楽活動武勇伝(主にダメな方の)で「あいつぁ神だ」とよくわからない盛り上がり方をした末、私の預かり知らぬところで勝手にあだ名として定めたらしい。私はわりと面倒くさいオカルティストなので、「神はその人に宿る、ないし肉体のあるものは神は狭義の神にあてはまらない」論者なので、他人から神様神様言われることにかなり否定的だったのだけれど、つきあい始めたら慣れてしまった。

 なお、呼ばれるようになってから私が慣れるまで、3年ほどの間がある。
 その後、何故か(たぶん傍目には)唐突に結婚の取り決めを行い、唐突に付き合いはじめ、済し崩しに事実婚に突入したわれわれの事情を知ったM君曰く、

「神様がかみさんになってしまったのか……」

 とのことで。

 誰が上手いことを言えと言った。

 * * *

 おじさんは最初からおじさんだった。知ってる人は知っている。

 それはまぁいい。

 * * *

 付き合い始めて三ヶ月経たないある日、例によって延々と通話していたあるとき、唐突に「おじさん」が言ったのだった。

「なあ神様、あだ名を決めないか」
 あだ名。我々。付き合う前から本名で呼び合ってませんね。
「いや、そうじゃなくてだな! 我々にも来るべきXデーがあるわけだ」
 来るべきXデー?
「人は初体験とそれを呼ぶ」
 
 なるほど。

 そのときだな、我々は『神様』『おじさん』と呼び合うわけだ。ベッドの中で。笑わない自信が俺にはない。と恋人氏の主張。いやでもそれはそれで面白くないですか。

「決めなかったら絶対呼ぶからな。神様って呼ぶからな」

 正直なところ私はどっちでも良くて、何故、はじめてセックスをしたときには各自の呼び名が決まっていたのか、流れをよく覚えていない。

 それはそれで面白かったのに。

 * * *

 その後の話として、マイルストーンルールというのがあった。

 マイルストーンルール。彼のセックス昔話を話せ話せと電話口でせがむ私に対し(私は若干倫理観が壊れている上、わりと他人のそう云うところに興味を持つ人間なので)、よしルールを決めよう、と真面目ぶって恋人氏は宣言したのだった。いや面白話が多くてさ。『猫が見てる』とか。

 ルール。

「我々は今日、初めて手を繋いだ。だから、以前の彼女と、手を繋ぐ程度の関係だった頃の話はしてもいいことにする。キスをしたらキスまで、Xデーが来たらセックスの最中の話をしてもいい。それまで、それ以降の話はなしだ。大学の頃の彼女をスクーターの後部座席に乗せて裏道は知ったとか」

 私が話せ話せとせがむ、というのは、まぁつまり既に幾つか話を聞いていたということだ。だから言った。今から? これまでのやつは?

「忘れろ」

 無理です。
 このルールはこの後、守られたり守られなかったりした。

* * *

 さて。

 ここまで散々前振りを重ねたXデーなのだけれど、皆目記憶にない。確か私の家で、無印ソファを下敷きに、だったと思うんだけれど、というか何月だったかすら特に覚えていない。

 特に何事もなく終わったし、当然ながら初回というのはあっちは急いてるしこっちはこっちでよくわからないし、特に顕著な特徴もなかった。その後、同じ場所でそれなりに真面目にPDCAを回し、現代ギリシャ平均ノルマを軽く通過、私は初交際にして日本平均のノルマ10年分をクリアすることなるわけで、完全に記憶の彼方に埋没している。なんで私たちあんなにセックスしてたの。

 かろうじて思い出せる与太話として、行為中、恋人氏で無我の境地でニックネームを連呼しているところにぽつりと「ルイズコピペみたい」と指摘したところ、ものすごい落ち込まれた、というのがある。でも、この記憶は初体験のときのやつじゃない気がするし。他にも、時期がはっきりしない会話は多い。D様とイカ腹の話とか。猫の海に飛び込む夢の話とか。

 場所が同じだと、記憶が完全に上から塗り重ねられていく形になるので、原型がほとんど残らないのだ。もう廃棄されたハロゲンヒーターの明かりを前に、恋人氏が「いつ救助くるかな……」と唐突に独り芝居始めたとか。つぶいりのコンドームをやたら楽しげに見せられた記憶とか(最初のころは皆目気持ちよくなかったのでその後お蔵入りになり、その後、盛り上がるもゴムがない! という間一髪な状況で発掘されるという働きを見せた)。

 なので、この話は特にオチもなく終わる。

 * * *

 しかし、呼び方が「おじさん」「神様」でも特に何も変わらなかったのでは、というのが今になって私が思うところで、恋人氏、人にムードとか「えっちな煽り」を要求する割に、当人は全く雰囲気を作る気がない。セックスの最中、というか、ひっつきあっていて、ちょっと盛り上がった空気になると、途端に照れ隠しで変な小噺とかAV男優なりきりとかを挟んでくるので、「ロマンチックな導入」って記憶にない。

 あ、でも、そうだ、強いて効用を言うなら、若返った気がする?

 いや若造が何を言ってるんだと申されましょうが、なんせ我々、私が齢108歳、恋人氏アラフィフ(交際開始当時)だったから。あのあたりの会話で普通に同年代の恋人同士に戻ったというか。でも、これ、なんだかもう10年くらい昔の話に思える。

 Xデー。Xデーだったんだなあ……

 全然覚えてない。

 一つだけ開いているキッチン窓からの光で、部屋の中が真っ青だったことは覚えている。でも、その色の記憶というのも、私が、あのワンルームで徹夜明けに見た晴れた朝の色と何も変わらないのだった。いや、最後になんとなく綺麗っぽく書いてみたけど、完全に記憶がばらけてしまっている事実は変わらない。ばらばらのふわふわ、曖昧模糊としている。