京都の路線バスに中国製EV、圧倒的低価格で日本市場に殴り込み

JBpressより
年末の日本に、衝撃的とも言えるニュースが入って来た。12月22日、京阪バスが、京都市内を走る路線で、中国の電気自動車メーカーBYD(比亜迪)製の4台の電気バスの運行を始めたのだ。これまで長く、「日本車を中国で売る」のが常態だったが、ついに日本の公共交通機関で中国製の車が採用される時代になったのだ。

なぜ京阪バスが、BYDのバスを買ったかと言えば、それはアメリカから制裁を喰らう前にファーウェイ(華為技術)製品が日本を席巻したのと同じ理由――「安くて性能がいい」からだ。今回の場合、国産の電気バスが約7000万円と高価格なのに対し、BYD製は約1950万円。まるで7割引きで買うような感覚だ。BYDは今後10年内に、4000台の電気バスを日本で販売する計画だという。

 この一件で日本では、「中国政府は不当な補助金を出しておりダンピング輸出だ」という非難の声が上がっている。この非難は一面正しいのだが、一気呵成にEV(電気自動車)シフトが進む世界の自動車業界で、日本が置かれている状況も、反省してみる必要があるのではないか。

「トヨタから学びたいことはない。欲しいのは『世界のトヨタ』の看板だけ」

いまから8カ月前の4月後半、上海モーターショーで、トヨタとBYDは、「『BYDトヨタ電気自動車科学技術株式会社』を3月に設立した」と発表した。日中の両雄が、初めて合弁会社を設立したのである。

このニュースは、日本でよりも中国での方が話題になった。それは、「ついに世界のトヨタがBYDに合弁会社設立を求めてきた」という文脈だった。「BYDはトヨタの何を欲しているのか?」という中国紙記者の質問に、匿名のBYD関係者はこう答えていた。

「電気自動車というのは、いわば『走る電気製品』であり、われわれがトヨタから学びたいことなどほとんどない。それでもトヨタと合弁したのは、何より『世界のトヨタ』の看板が欲しかったからだ。この看板があれば、世界市場にどこでも入っていける」

この記事を読んだ時、株式の時価総額で日本最大を誇るトヨタも舐められたものだと思った。だが今年10月には、BYDの時価総額は、トヨタの半分まで来た。この勢いが続けば、2010年に日中のGDPが逆転したように、いずれ逆転する。

携帯電話のバッテリー製造からスタートしたBYDの歴史

BYDは、漢字で書くと「比亜迪」。「ビーヤーディ」と発音する。「アジアの他社よりも道を開く」という意味に取れ、アジアでナンバー1の自動車メーカーを目指すという気概を感じる社名だ。

BYDは、1995年に王伝福(おう・でんふく)CEOが、香港に接する広東省深圳で創業した。現在55歳の王伝福CEOは、今年のフォーブス世界長者番付で118位、163億ドル(約1兆8600億円)という途方もない資産を誇る立志伝中の人物だ。

王CEOは1966年、安徽省の貧農家庭に生まれ、湖南省長沙の中南大学冶金学部を卒業。北京有色金属研究所で修士号を取得し、同研究所で金属を分析する研究者だった。

この頃、中国で一世を風靡していたのが、米モトローラの携帯電話だった。今後、中国で携帯電話が大量に普及していくと見込んだ当時29歳の王氏は、携帯電話のバッテリー電池を作る会社を創業した。これがBYDである。

「EV開発は大きな賭けだった」

私は3年前に、深圳のBYD本社を訪れ、王CEOと、その側近でエンジニア出身の丁海苗副社長を取材した。彼らは、いまから約20年前の日本にまつわる興味深いエピソードを話してくれた。

「当時、バッテリー電池を作っていた私たちは、自動車産業への進出をもくろんでいた。その際、行ったのが、ダイハツのシャーリーを解体して、自動車の構造を徹底的に研究することだった。日本車は、深く内部構造を理解すればするほど、その精巧さに感銘を受けたものだ。

2003年、われわれは重要な決断をした。それは、このまま自動車の開発を続けていても、永遠に日米欧のメーカーにはかなわない。それよりも、わが社の得意分野は電池なので、電池を動力にして走るEVを開発することにしたのだ。

これは大きな賭けだった。もしも将来にわたって、ガソリン車の時代が継続していくなら、私たちは敗北者だ。しかし、EVが主流となる時代が到来した暁には、BYDは世界の先駆者になれる。その時は、もしかしたらトヨタの方が、コダックになるかもしれない」

コダックは、世界最大のカメラフィルムの会社だったが、今世紀に入りデジタルカメラの時代が到来し、淘汰されてしまった。そのデジタルカメラでさえ、いまやスマートフォンの出現によって淘汰されつつある。

この時のBYD最高幹部へのインタビューで、「トヨタ」という名前は、もう一回出てきた。

「EVを世に問うていった時のわれわれの心境は、1965年のトヨタと同じだった。当時のトヨタは、自分たちは果たしてアメリカ市場で通用するのかという不安を抱えたまま、乗り込んで行った。実際、アメリカ人は当初、日本の自動車メーカーに疑心暗鬼だったが、やがて受け入れた。同様に、わが社のEVも、やがて日本を含めた世界が受け入れてくれると信じている」

人気のテスラを押しのけ中国EV市場で首位に立つBYD

結論を言えば、BYDは「賭け」に勝った。周知のように、世界の自動車産業は、脱炭素の波を受けて、いまや一斉にEVに向かいつつある。

トヨタも12月14日、豊田章男社長が、今後4兆円規模の投資を行い、2030年に30車種、計350万台のEVを世界で販売すると発表した。これまでの目標は200万台だったので、EVシフトを鮮明にした格好だ。

だが、EVに関しては、BYDに一日の長がある。昨年の中国国内でのEVの販売台数のベスト3は、BYDが1位で17万9054台、2位は上海通用五菱で16万5609台、3位がテスラで13万5449台だった(中国乗用車連合会発表)。BYDは、世界中で人気を誇るテスラを押しのけて、中国市場でトップに立っている。

特にBYDが有利な点は、もともと電池の会社なので、「EVの心臓部」と言える電池を自社でまかなえることだ。この点は、トヨタが電池メーカーと提携しないとEVが作れないことを考えれば、大きな経費とリスクの回避になる。

実際、BYDは、今年10月31日から11月13日までイギリスのグラスゴーで開かれたCOP26(国連気候変動枠組条約締約国会議)の公用車に採用されるなど、飛躍的に知名度を上げている。その意味では、「満を持して」日本市場に乗り込んで来たのである。

日本車を解体するところから始めたBYDにしてみれば、苦節20年。12月22日は、記念すべき日となったことだろう。

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