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バトン

私の息子の話をする。この春小学5年生になる。

息子は2歳頃から程度は軽いものの吃音がある。

息子の兄は発達障害がある。発達障害は遺伝的要素があるため、弟の彼は吃音という形で出たのだと言い聞かせている。
でももし誰かに私の育て方が悪かったと言われたらそうかもねとしか答えられない。

さて、そんな息子は年中から体操教室に通っている。
そこでは始めと終わりの挨拶の号令を生徒たちが先生とじゃんけんして勝った子が言うことになっている。
みんなが挨拶の係を競い合う中、吃音がある息子がわざとじゃんけんに負けるようにしていることに気づいたのは小学2年生の頃。
でも私も息子も何も言わなかった。
学校や保育園で周りの友達に吃音でからかわれたことがあったのは知っていたし、だからと挨拶の号令を避けるのは別に目くじらを立てることじゃない。皆と一緒に挨拶はしていたし。


そんな息子がハンドボールを始めた。小学3年生の時だ。
ゲーム性のある遊びが好きな息子はすぐにハンドボールに夢中になった。

ある時、練習が終わり迎えに行くと、息子は眉間に力を入れて決して涙がこぼれないように、険しい顔をして一刻も早く帰ろうと言った。
チームの子に吃音を真似され、複数の子にボールを取り上げられたのだという。
  
でも息子はハンドボールをやめなかった。
息子には好きな選手がいたから。
その選手は実業団のハンドボール選手で決して大きな選手ではないけれど、鮮やかな鋭いプレーをした。
その選手のことが息子は大好きになった。
多分背が大きくない息子は「自分もあんな風になりたい」と思ったのだろう。

たった一度だけ、息子は憧れの選手と話したことがある。まだコロナが流行る前だ。
試合後の選手を見つけて息子はずっと聞きたかったことを自分で言った。

「どどど、どうしたらハンドボールが上手くなれますか?」

緊張しただろうから多分早口でどもったと思う。聞き取りづらかったかもしれない。

「うーん、そうだなあ。……」


小さな子どもと同じ目線になる為に床に膝をつけて、その選手はしばし考えてゆっくりと答えてくれた。



…その答えは選手と息子の秘密にしたい。




それから息子は教えてもらった方法を毎日実行した。
コロナ禍になり家から出られなくなりハンドボールの練習がなくなっても家の中でずっと教えてもらったハンドボールがうまくなる方法を実行し続けた。それは本当に毎日。それは今も続いている。


練習が再開され、息子は進級した。

新チームは勝つことに必死。ハンドボールはコミュニケーションが大切な競技だから息子はどもることを厭わず発言するしかなかったしそしてチームメイトも先生も吃音をからかわなかった。
そんな中で息子は次第にコートの中で積極的に声を出し動けるようになった。

背が低い息子は大きな6年生と並ぶとまるで親子。足ひっぱることも多かったかもしれないけど、ハンドボールの戦術をよく理解している、声を出してチームの雰囲気をよくしているということでレギュラーの端くれとして憧れの6年生達と一緒に試合にも出してもらった。

「お母さん、俺、副キャプテンになりたいなあ」
年が明けた頃、あれだけ前に出てどもるのを恐れていた息子がぽつりとそんなことを言った。
録画したバスケットボール選手の番組を観ていた時だ。難聴がある中、大学で活躍するバスケットボール選手の番組だった。
ハンドボールが好きで仕方ない気持ちは息子の背中を押した。
どもるから後ろにいる必要はどこにもない。

私は副キャプテンは無理じゃないかなあ、吃音はさておきもっとハンドボールが上手い子がやるんじゃないかなあと思った。
それでも息子のその変化は嬉しかった。

3月、来年度の副キャプテンに息子は指名された。
その日は家で喜びを爆発させながら、足をパタパタさせて憧れの選手の試合映像を観ていた。

そんな矢先、息子の憧れの選手が引退することになった。早過ぎる引退だった。

最後のプレーオフを息子と観に行った。
憧れの選手の最後の試合での姿は一生懸命で、誠実で、やっぱり息子の憧れの姿そのものだった。

最後に憧れの選手は
「これからは僕が応援しているからね」
と息子に言ってくれた。
憧れの選手は息子に未来への希望というバトンを渡して、現役生活を終えた。

息子が憧れた選手は日本代表ではなかったし、「その選手は知らない」という人もいるだろう。
でも私はスポーツ選手の役割って何だろうと考えた時に希望や元気を与えるということがあるんじゃないかと思う。
憧れの選手は、その役割をちゃんと果たしたのだと思う。それを息子は証明している。




「そういえば、この前あいつに『副キャプテンになるよ』って言ったんだ。」
息子が言った。
あいつとは、昨年吃音をからかった子。
その子は年度途中でハンドボールを辞めていた。

「そしたらさ『うそつけ』って言うんだよ。『どもるお前が副キャプテンなんか出来る訳ない』『挨拶でどもったらカッコ悪い』って。」

「だから言ったんだよ。『はあっ?どもるとか関係ないし。できるできないじゃなくて、やるの!!』って」


もう何度と観た憧れの選手のプレーは次のシーズンは見られないけれど憧れの選手からもらったバトンを離さないように拳を握りしめたらきっと力が入って

息子をいろんなハンデから
いろんな悔しさから
いろんな弱さから
強くしてくれる。

さあ新年度。
バトンを握りしめて前を見て走ろう。

その先にはきっと憧れの選手と約束した夢がある。

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