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火山島にて

三宅島へ一人旅をした。
2016年神津島ぶりの伊豆諸島。

船旅が好き。窮屈な空が一気に開ける。
東京の煌びやかな夜景は徐々に遠ざかり、船は真っ暗で静まり返った海の上に浮かぶ。
波風の音と、船の汽笛だけが聞こえる時間。
気張らずにいることを許してもらえるような時間だ。

まあほんとうは、一人でインドに行きたかったのだけれど、紆余曲折があって三宅島になった。

2016年の神津島は、部活が嫌になりすぎて逃げ出すみたいに船に乗った。
当時はもうほんとに弓を引きたくなかった。(船旅のおかげでなんとか踏ん張れたわけだけど。)
ひとりで登った天上山頂上からの景色は、海と空の境界が曖昧だったことをよく覚えている。

今回の三宅島は、至る所に火山活動の爪痕が残る島で、ここ100年で4回の噴火。
直近の2000年の噴火では、多量の有毒火山ガスが放出したため、4年半の全島避難が続いていた。
現在は避難解除されているものの、島の中央に位置する雄山は未だ立ち入り禁止区域だ。

小学校跡地
火山体験遊歩道は
流れ込んだ溶岩流によって小学校屋上の高さにある
新澪池跡


火山湖があった場所は、辺り一面緑に覆われていて、過去に湖があった気配は全く感じられなかった。噴火による水蒸気爆発で一瞬にして消え去ってしまったとのこと。
噴火によって成り、噴火によって消滅した湖。

噴火は一瞬にして故郷を失わせるのだと感じた。
仕事で地震保険(地震・噴火・津波が補償対象)の案内の時、「地震と津波はやっぱり過去の事例見ちゃうと怖いですよね。噴火は〜……富士山とかですかね?笑」みたいな温度感で仕事してたことが恥ずかしい。
全然「笑」じゃない。

それでもここには地元の人の暮らしがあった。

島には慰霊碑・墓地・神社が点在している。
遠くから眺めると、異様に手入れされていてカラフルなのだ。近づくと、もれなく造花が供えられていることがわかる。
暮らしている島民の、故人を悼む気持ちの強い表れのような気がした。

溶岩流の隙間からでも花は咲く。

遠くには御蔵島が見える
初カメノテ
ペンションにて

展望台からの景色は、以前の神津島のときと同じように、海と空の境界はおそろしく曖昧だった。
けれどあの時のような淀んだ気持ちはなく、空に近いことを純粋に心地好く眺めていられた。


一人旅をしてきたなかで、今回過去一写真を撮った。数えたら175枚。
多分一般的には少ないのだろうけど、なんせ今までは5枚撮ればいい方だったから。

普段撮らないわたしがなぜ写真を撮ったか。
なんと、明確に寂しさを感じたのだ。(!)

「あ、ちょうちょ」
「ねえここの温泉しょっぱい!」
「聞いたことない鳥の声がいっぱいする……」
「今イタチいた!」

ふいに出る言葉を共有する夫が隣にいないことに気づいて、
「ハ、今ひとりだったわ……」となるわけである。(文字化するとまあまあ滑稽だ。)

そんなわけで、わたしが見たものを夫と共有したくて写真を撮った。
「あ、こういう気持ちで人間は写真撮るんだ〜」と思った。

一緒に暮らすようになって、日をまたいで別々でいることが今までなかったから、ひとりでいることに寂しいと思う自分がいることに気づかなかった。

島のカフェでたまたま手に取った絵本。
わたしは本との巡り合わせが抜群に良い。


このことを家に帰って夫に話したら
「それ俺が今生きてるからいいけど、死んでたら(寂しさ)やばいよね。」と言われた。
「ほんとそれね〜!笑」と返したけれど、これも全然「笑」じゃない。



生きてるうちに伊豆諸島制覇するのもいいなと思いはじめた。

お世話になった宿のお兄さんに聞いたら、隣の御蔵島は今の時期、一週間に1回船が着くかどうかくらいに着港が難しい島らしい。
あまりに船がたどり着けないと、物資を運びに自衛隊が発動するのだとか。
そして伊豆諸島のなかで最も水が綺麗で、ドルフィンスイムが有名とのこと。

いつか時がきたら、「船じゃ寝れない…」と言ってる夫をひきずって御蔵島で一緒に泳いでみたい。

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