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やっぱり、これはもう駄目かも解らんね。

正直、今も怒っている。その理由は、『市民グループ見張り番』(以下、『見張り番』)の、2020年(令和2年)11月6日に記されたこのブログの内容に在る。

改めて読み直したら、実に呆れ返るしかない内容である。10月23日放送の、朝日放送(ABCテレビ)の『キャスト』で、『見張り番』の松浦米子氏がインタビューに答えていたことが記事にされているのだが、本来なら、あの内容に対して怒りを露わにしても良い筈なのに、である。

あの番組を見て、視聴者の多くは、『見張り番』の活動によって、大阪府・市政の腐敗に立ち向かうべく、当時の橋下徹氏らを筆頭に『大阪維新の会』(以下、『大阪維新』)が発足し、以後の大阪での行政改革に結びついた、という認識を持っていたと思う。実際に、2005年以降の、『腐敗した大阪市を洗濯する市民の会』の活動には、『見張り番』が深く関与していたのは歴史的事実であり、今もなお、大阪市役所を取り囲んでの『人間の鎖』イベントを記憶している人も多い。

あの活動や当時の報道を振り返るに、今も続く公務員に対する強い差別感情の醸成に繋がったのは疑う余地はなかろう。公にこそされてはいないものの、恐らく公務員の家族に対する苛めや嫌がらせの様な類いも、相当数あったのではなかろうか。

筆者は、今でもこのブログを時折引き合いに出す。2005年に記されたこのブログ。当時この記事にある様な内容を口にしようものなら、それこそ盛大な罵倒をされたものである。

今の大阪で生活を営んでいる人がこの記事を読めば、「はっ!」と気付く部分もあるかも知れない。それくらい、15年前に記されたこのブログは、非常に示唆的なものであった。更新が途絶えてしまったのは残念であるが。

兎も角、今回の『見張り番』のブログから引用してみる。

マスコミが様々な視点から都構想を取り上げました。

うむ、大阪に住んでいて、少なくとも〈様々な視点〉なんてものはなかった様に思うんだが、別世界に住んでいたのだろうか。

関名市長やその時々の市民が賢明に大阪づくりにチャレンジしました。
そして、近年30年の閉ざされた市役所の腐敗にチャレンジした市民の活動が報道されました。

市民は、行政サービスの受け手として、是非が多く取り上げられるなかで、市民を主体としたものはみられませんでした。公正・透明な行政の実現のために、懸命に主権者市民として多様な活動に取り組んできた見張り番が、大阪市の歴史の一端を担ってきたことを、改めて実感させられました。

うむ、關一氏は、それこそ所謂『大大阪』を築き上げた功労者であることは確かに疑いないのだが、記事中の「近年30年の閉ざされた市役所の腐敗にチャレンジ」って、2011年以降に、おたくらどれだけチャレンジしたの?という話だ。その後も、自画自讃の内容で進行する内容に、読んでいて凄く苛ついてきたのを、改めて此処で書いてしまう。

これも時々批判的に持ち出しているが、2011年以降注目して欲しい。殆どまともに活動など出来ていないではないか。

2015年の、住吉川地域活動協議会を巡る一連の出来事については、当時の代表でもあった松浦氏の地元でもあり、筆者は結構胡乱な眼で見てしまう。存廃問題で揺れ続けた住吉市民病院も、同じ地域だ。2013年10月に、『見張り番』の移転前のブログに、この記事が掲載されている。

何故、こんな記事と写真を掲載したのか。この辺りにも、筆者は『見張り番』が決して市民の立場で活動してはいないという見方をしている、一つの理由になっている。

2013年10月の『見張り番』のブログには、他にはこの記事も取り上げられている。

国際児童文学館の記事に隠し撮りの記載があるが、もしやこの団体が隠し撮りに加担していたという事はないのだろうか。記事そのものも、愛着がまるで感じられない内容である。

当時、一緒に議論し、気持ちを共にしてチャレンジした多くの仲間たちの顔が浮かびました。既に亡くなった方々も少なくありません。みんな見張り番を愛し大阪市を愛して、市内在住か否かを問わず、行政の問題に関わっていました

本当に大阪市を愛していたのなら、先ずこういう書き方はしない。少なくとも筆者ならば。大阪市よりも自団体の名前を先に出している辺り、そういう雰囲気はないと見る。なんなら、団体名を引っ込めても良いくらいだ。

とてもじゃないが、『見張り番』の過去のブログを読んでいても、この団体が大阪市を愛して活動していたとは到底思えないし、この様な記述をする辺り、松浦米子氏の自意識過剰も甚だしいのではないか。

一通り記事を読んでいて、この『見張り番』という市民オンブズマン団体は、これからの大阪の停滞からの逆転と発展に際して、断じて存続させてはならない団体だと、筆者は思わざるを得ない。自らの活動が、もしかして市民間の分断を招き、更には『大阪維新』の如き政治勢力拡大の切っ掛けを、関西マスメディア共々作る結果になったのではないかといった自己批判も碌に出来ず、ただただ過去の栄華に甘えて自画自讃しかしない団体、何が発展できるんだか。『大阪維新』共々、長引く混乱を招いたその責任は重い。

もう一つ、止めに突っ込んでおこう。『テレビ朝日』とあるのは、明らかに『朝日放送』の間違いだろう。とことんまで失礼極まりない。

最後にかの革命家、レフ・トロツキーの言葉を、『見張り番』の連中に捧げよう。

「お前たちは哀れで、孤立したばらばらの集団だ!お前たちは破産した。お前たちの役割は終わった。お前たちはこれから歴史のごみ箱行きだ。」

(2021.12.12追記:記事構成と一部言い回しの修正)

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