(後付けタイトル)結果的に何が言いたいかわからなくなった話
日常に潜む些細な幸せを見過ごしラッキーと呼んでます。
簡単に言うなれば、店員さんの愛想がとても心地いい時です。
そんな時は心の底から「ここに来て良かった」と思います。
でも逆に、店員さんが無愛想な時は色々と考えてしまいます。
ちなみに私は店員さんが無愛想でもイライラしないタイプです。その自分の性格には感謝です。しかし、色々と考えてしまって、その店にいる間はずーっとその人のことを考えてしまい、楽しめなかったりしてしまいます。誰かといる時はそんなことはありませんが、1人っきりの時です。
店員さんの愛想が・・・
①素晴らしいとき
②無愛想だったとき
どちらに心を動かされますか?関心を持ちますか?
残念ながら、私は②の無愛想だったときの方が心が動いてしまう。関心を持ってしまう。
①のときは(心地いいな~この人。ここに来て良かった~)と感じる程度です。見過ごしてしまっているのです。
しかし、②の時は………
(何故この人はこんなに怒っているのか? いや、怒っていないのか? こうゆう顔なのか。それにしても無愛想過ぎる。一体何がこの人をこうさせたんだ。絶対にバックヤードで何かあっただろ? 何か不満があるんだろ。いや、でもこの人はアルバイトだからもらえる給料は同じだから、それなら楽してもらえたらいいのか。でもせっかくなら笑顔で働いた方がプラスじゃないか!? たまにいるよね、アルバイトなのに利益を求めるヤル気ある人。でもそんな人はアルバイトから嫌われるし。アルバイト同士の円滑な関係を築きたいなら、気だるそうに働く方が利益を求めていない感じが出て、うまくいくのかな。でもなー。愛想良く働いた方が絶対にキミにとってもプラスだよ!? ほら、あそこの利益を求めるタイプのアルバイトの人を見てごらんよ! あの人の接客は心地いいよ。いや、待てよ! 利益を求めるヤル気あるアルバイトの接客が心地いいとは限らない! むしろ変な感じがする! 機械的な感じがする! 人間味がない! この人、機械みたいな笑顔だなと思うときに限って名札に〔店長〕と書いていることが多い! いや、気のせいか!? でも店長が利益を求めるのは当たり前のことで、アルバイトなのに利益を求める、これがポイントだ! うん? 何を考えているんだっけ? あ! 利益を求めるアルバイトと無愛想なアルバイト、どちらがいいか!? 的なことを考えているのか。それならこれくらい無愛想な方が人間味があるか!? どうだろうか。機械的な笑顔と無愛想な顔。どちらが人間味を感じる!? まぁ機械的と言ってしまっているから、無愛想な顔の方が人間味があるのか! そもそも愛想がいいというのはなんだろか!? ひぃーーーーーーーーーーー!!!!!!)
と、ご覧のように、無愛想だったときの方が圧倒的に心が動いてしまっているのです。関心を持ってしまっているのです。
そして、後悔します。
何故、愛想が心地いい店員さんの時に、関心を持てなかったのか。心が動かなかったのか。勿論、心は動いたけど(この人、いい接客だな)と少し動いただけ。もっともっとこの人について色々と考えることができなかったのかなと。見過ごしてたんだなーと。だから見過ごしラッキーと名付けて、意識を高めるようにしました。
店員さんが無愛想な時は(この人どうした?)と思うだけでいい。たったこれだけでいいのです。むしろ何も思わなくてもいい。
店員さんの愛想が素晴らしいときに、もっと色々感じろ! 関心を持て! 大切なことを何か忘れていないか!? と自問自答して、見過ごしラッキーを見過ごさないようにしました。
かなり大袈裟な表現になりますが、こうゆうことだと思います。
①世の中にとって善いことをした人
②犯罪を犯した人
どっちがレポートを書きやすいですか? となると、残念ながら、私は②です。
本来ならば、①の人についてレポートを書いて、分厚い本にしたい。
しかし②の方が、色々な疑問が抱いてしまう。だからレポートにしやすい。
(何故そんなことをしてしまった)
(何があったらそんなことになる)
①の人については……
(すごいなー)
(偉いなー)
(それをしようと思ったことが凄い)
何故?と疑問を抱けないのが悔しいのです。意識改革しよう! と思いました。
そして、、、実は・・・
その意識を持ち始めて、5年が経ちます。
そして、私は今、見事に意識改革に成功しました!
世の中にとって善いことをした人に対して、たくさんの疑問を持てるようになりました!
店員さんの愛想が素晴らしい時、心地いい時、たくさん関心を持てるようになりました。その人のバックグラウンド、育った環境、親の職業、家、部屋、まで様々な関心を持てるようになったのです!
分厚いレポートも書けるでしょう!
もう見過ごしません!
そもそも、店員さんの愛想が素晴らしい時に、ラッキー! と思ってしまうのは、店員さんの愛想の基準値が無愛想なモノと設定してしまっていたのです。
今は基準値なんてものはありません!
基準値があるから人はイライラしたりしてしまいます。
基準値がないからこそ、全てを受け入れられる。
と、言いながらも、まだまだ(この人、無愛想だな)(この人、愛想いいな)と思ってしまっています、、、
無愛想は〔愛想〕に〔無〕と書きます。この時点で〔愛想〕の基準値があるのです。
まだまだです。
店員さんの笑顔についても考えさせられることは山ほどあります。
機械的な笑顔と自然な笑顔。
この違いは何? って考えたとき、おそらく〔帰り道〕がキーワードになると思います。
帰り道でもその笑顔をしていますか?
ということです。
自然な笑顔で接客してくれた店員さんが帰りの電車内で、1人なのにその笑顔をキープしていたら気持ち悪いですよ! しかし、笑顔が残っている顔? なんと言ったらいいのでしょうか。笑顔がなくても笑顔がある、というか、店にいる時と別人!と思わせないのです。
しかし、機械的な笑顔の人は、帰りの電車内で、笑顔がなければ、別人!と思ってしまうのです。
何が言いたいのかわからなくなってきたところで、さようなら。
元々タイトルは【日常に潜む些細な幸せ】でしたが、書いていくと意味がわからなくなり、なんか頭がパニックになって、ここで切り上げたいと思います。そして、タイトルを【結果的に何が言いたいかわからなくなった話】にしました。
本当は日常に潜む些細な幸せをたくさん書きたかったのです。
見過ごしラッキーについてもっと書きたかったのです。
悔やまれます。