神に意思などなく

 
1.はじめに
『沈黙』における中心的な宗教観は基督教であり作中内から『死後に救われるため命ある限り試練を耐えなければいけない』といったような心理描写が存在する。この批評ではいかにして日本人は棄教をさせようとしたか、そしてどのように宗教観が変わっていくのか、この作品が伝えたいことは何かを考えていく。
2.人の思想の根幹にある『死』
まず私の宗教に対する価値観を述べる必要がある。時に日本人は人生に行き詰った際安易な心の開放手段として『死』を選ぶ傾向がある。それは『死』が何もかもを終わりにしてくれる最も楽で後先のデメリットなど考える余地もない手段であるが少し待って欲しい。そもそも『死』はいわばゲームオーバーであってエンディングではない。もし私が人々の人生を司る神ならもう一度やり直させるだろう。それに『死』というものの先に何があるかなど誰にもわからない。箱の中に当たりが入っていると思い込んでいる抽選箱を引くように、首から下を隠されたものを人間であると楽観視するように、人々は見えなければ自分に都合のいいように解釈するのだ。ならば『死』の先に何があるか分からなければおのずと甘美なものに見えてしまうのも道理である。
そこで宗教が存在する。『死』の先に何があるか定義し死後の世界を人々に思い込ませ生きることに対し死ぬことが決して楽になる手段ではないこと、そして死後楽になるためにはどうすればよいのか、そしてこれらを救いとして授けてくださった『神』に類する存在がいることを、大昔人々を先導する人間は生み出した。これによって人々は自身の望む時期ではない『死』を恐れ救いを与える『神』を敬いこの考えが広く広まることになる。例え宗派が違えどもそこにあるのはやはり上位存在による救いであり根幹は同じであると考えられる。これが私の宗教観である。
3.作中における宗教観の対立
作中では生きるより死を選ぶ方が辛いと考えざるを得ない場面がいくつも描写されている。私なら自死を考えるが作中のキリシタンは決して自ら死を選ぶことはなかった。それは彼らが死後救われるための試練を果たしていないからと思い込んでいるためであり彼らは神に近い存在から死を選んでもよいとされるまで決して自ら死にはしないだろう。ここで一つ疑問が生まれる。
 
では幕府はキリシタンやパードレ共々全員殺せばよかったのではないだろうか。
パードレに棄教させた上そのことを本国に伝えるなどと言った遠回りな方法を行うより早急に殺してしまった方がよいのではないだろうか。
救いだなんだと戯言をほざくような思想異常者など消してしまえばいいのではないか。
 
これに関しては解が伺える描写がある。
まず彼らにとって他者から与えられる『死』はいわばエンディングであり自死はゲームオーバーに等しい、仮に殺され本国に殺されたとの報告があろうともそれは神を信じぬき使命を全うしたとして名誉に値するだろう。それでは意味がない。彼らにとって自死に近い状態、それは神に対し自ら唾を吐くことであり自身の親を殺したうえで死体を燃やすことに近いだろう。パードレは最低一人、棄教させるしかなかったのだ。宗教において自ら選ぶ棄教とはそれほどまでの強い意味を持つと考えられる。
とは言っても棄教したところで人間は人間、神を裏切ろうが救いを求めるのが道理である。仮に自身の信ずる神の存在を疑うことなく棄教を余儀なくされもはや人生に救いなどないことを悟るような人間がいるとすればそもそも人間ではないだろう。我々無宗教にとっては理解しがたい話だが一つの信ずる神に対し冒涜を働いた人間はもはや信仰するものがないらしい。日本側の狙いはそこにあると考えられる。
なにせ自ら死を選ぶことなく棄教したのなら次にやることなど死ぬことぐらいしかないだろう。神を本当に信ずるなら神に対し唾を吐いた人間などこの世にいてはならぬと思えるはずだ。だが日本の狙い通り神などいないのかもしれないと疑い棄教させたのならば救いを求めるが神は信じない我々のような人間が出来上がる。
全ては日本側の掌の上と言ってもよい
 
4.まとめ
人間の信仰において最も重要なのは『神を信じる』という行為のみで得られる対価が大きいことである。無から救いを発生させるものならば例え神という概念がこの世になくとも同じ形のものは必ず存在するだろう。日本側はどうしてもそのようなものを破棄させる必要があり取った手段が『神などいない』という結論を先に述べることではなく『神がいないとするならば』という証明方法を悉く提示しQ.E.D,の文字を破棄の認証として書かせるという手法で行った。実に合理的であり迅速な方法であったと考えられる。この作品が伝えたいことは恐らく『神は救いを与えない』ということではなく『救われたと思うならそこに神は存在し救われていないと思うなら神は存在していない。ただし神に意思はなく自身に干渉もしない』ということだろう。なかなかひどい話である。

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