ホームレス・よしずみさんと育んだ友情

よしずみさんとの出会いはコロナウイルスによる緊急事態宣言直後の千葉駅だった。
いつもは通勤客でごった返す駅だが、人がまばらになり、路上で生活している方が目立つようになっていた。
よしずみさんはそんな駅の改札を出てすぐのベンチに座っていた。
夜睡眠をとるための寝具や新聞紙、その他の荷物に囲まれてその細い体が隠れそうになり、白髪交じりの長い髪が顔を隠していた。

私は21歳のころ、もうすぐホームレスになるところまで貧困状態に陥ったことがある。
大阪で番組アシスタントをしていたころ、残業が100時間ほどあったが給与は10万を下回り、貧しい生活をしていた。木造で地震が来たら崩れそうなアパートは家賃1万5千円だった。
失業したのは冬だった。隙間だらけの部屋で小さな電気ストーブをつけても寒く、もうすぐ家賃も電気も電話も止められると思うと世界から取り残されたようで孤独だった…今でもそのころの夢を見てうなされる。

ある朝、自分の昼食用に買ったおにぎりをよしずみさんにお渡しした。
良かったら食べてくださいと一言だけ声をかけて出勤した。
次の朝も、その次の朝も。
それ以上声をかけるのをためらった。とても偽善的だし、自己満足のようで後ろめたかった。
それは彼にとってただの一食で、彼がそれを求めているのかもわからない。

ある朝よしずみさんから「いつもありがとうございます。助かっています」と声をかけられた。
しっかりした口調だった。私の中での迷いや緊張が解けた。その日から毎朝、彼と3分間のおしゃべりをしてから出勤する日が始まった。「5年前から路上にいる」「○○商業施設の下で寝ている」「68歳である」など…。
よしずみさんは生活保護を受けられる立場にいた。申請すればアパートにも入れるはずだ。
でも「こうしたほうがいいよ」と指示的なことは言いたくなかった。路上を選んだのはきっと彼にしかわからない事情や感情があるはずだ。尊敬する講師の講義で「5年引きこもっていた人は出てくるのに5年かかる」と聞いていた。普段のカウンセリングの仕事でも、指示的なことを言っても相手が変わらないことは十分わかっていた。

4月末の祝日に私が主催する「おとな食堂」で、失業している方や、困窮している方に向けてカレーを配る催しを行った。
この催しによしずみさんは来てくれた。
当日は弁護士など法律家による生活保護の相談も行った。
感染防止のため屋外でカレーを配り、相談は屋内で行った。中に入り法律家に相談してみるよう促したが「いやいや自分なんて」と結局カレーだけ受け取って帰ってしまった。

5月の初めに船橋市で別の生活相談会があった。千葉駅まで迎えに行って一緒に電車に乗って向かった。
電車の中で色々なことを聞かせてくれた。タイの女性との間に息子がいること、その息子が難病になり守ろうと尽したことが守れなかったこと、最後に病室で見た息子の顔、息子の母である元奥さんとは別れてしまったこと、その後中国人の女性を助けるため籍を入れたが、女性は国に返されてしまいそれきり会えていないこと…
よしずみさんはいつも誰かを助けたくて、そのせいで散財してしまい、路上に至っていた。
「やまぎしさんと自分は似ているんだ」とよしずみさんは言った。
そう、私達は似た者同士だった。だから初めて話したとき、以前から知っている気がした。

翌日も船橋市で相談会があり、よしずみさんは仲間の路上生活の方を連れてきた。そう、仲間を助けたかったのだ。       
この日、よしずみさんと友人は、生活支援センターの方と県議さんの説得で生活保護申請とアパート契約を同行してもらえるところまで進んだ。ゴールデンウィークが終わるまで3日間ホテルに滞在し、役所が開いたら同行してもらえることになった。

しかし市役所が開いた5月7日、同行者と申請に行った窓口でよしずみさんは姿を消した。
そう、「役所は嫌いだ、信用ならない」と何度も言っていた。貧困ビジネスにも騙されたことがあるようだった。会話からも、長い年月で積み上げられ、絡み合っている様々な感情を感じていた。
変化への恐怖や自責の念もあっただろう。
よしずみさんの5年は、私がちょっと関わって変わるようなそんな簡単なものではないのだ。

何日か後、よしずみさんはいつものベンチにいた。
そして夜は、周囲のホームレスに食事を分け、声をかけ、ケンカを仲裁していた。よしずみさんの存在は社会に十分貢献していた。

だけど、この人の人生は誰かに変えられるものではない。

路上でもいいじゃないか。路上で何が悪いのか。

私は気づいた。実はよしずみさんに癒され、慰められ、勇気をもらっていた。
3月から辛い日々を送っていた。労働運動の見返りに職場でボコボコにされ普通でも涙が出そうな日々。
それだけではない。自身の過去から、いつも路上は隣り合わせだった。  長く非正規雇用で働き、いつも先が見えない…いつ路上に至ってもおかしくない。
社会を見るとき、いつも苦しかった過去から物事を見てきた。
彼を応援することで過去の自分も助けたかったのかもしれない。

よしずみさんは、明日もいつものベンチにいるだろうか。いつか他の場所に移動して、千葉駅からいなくなってしまうかもしれない。友情は短い期間に留まることを覚悟している。

それがわかっていても、明日も会えたら、おだやかに、小さなおしゃべりを続けたい。いつもこんな私を助けてくれてありがとう、よしずみさん。