下北沢にて、また明日

下北沢駅前。

小田急線のホームを上って、セブンイレブンの前の小さい改札をでていたのは今はもう昔の話。

6,7年前の下北沢は今とは全然違った街並みで。

いつからこんなに変わってしまったんだろう?

街を眺めても、今はない景色を歩いていた自分の姿がぼやけてはっきりとしない。

きっとそんな風に、僕もあの頃と比べたらいつの間にか変わってしまったのかもしれないな。

こんな気持ちにさせられるなら、こんな街好きにならなければよかったなぁ。

凍える指先を握りしめながらそうぼやく。

まるで君がいなかったような、変わってくこの街で。









6年と少し前のとある日、そんな街で出会わなければ、今必死に離すまいと抱えてるこの奇跡には巡り合えませんでした。 


僕の好きだった人がよく言っていました「夢で会おうね」って。

夢みたいだった。

今思うと、ここ数年間の全てが夢みたいでした。


自我形成に物凄く大切な中学高校という6年間よりも長い期間。

おおよそもう大人だったけれど、紛れもなく青春だった日々。

泡沫のように消えていった過去たちは、悔しくて愛おしくてどうしようもない煌めきを鮮烈に脳裏に焼き付けて、弾けていったんです。


夢から醒める日、最後まで夢の中みたいでした。

名前も知らない、夢で会えるだけの人たちが、

眩い光に溢れて輝いていて。

醒めないでくれと必死に願っても、夜が更けるのと反比例して光の中の人達は消えていってしまいました。

なのに、夢から醒めた新宿歌舞伎町の喧騒が、微睡みと混ざりあって変に心地よかったのを何となく覚えています。





「またね」って、

もう言えないんだという実感が刻々と胸を蝕み、

あのさんざめく星のような笑顔たちが忘れられません。

そんな気持ちを押し殺して口から絞り出した最後の「またどこかで」は、

あまりにも苦くて、飲み込むのを躊躇うばかりの味がしました。










寒い冬を越え、年を越え、

緑芽吹き桜が舞う季節になったら、

下北沢へ行こうと思います。


かつては近くに住んでいて、今や離れた海の街に暮らしている人生の不思議さを憂いながら。


もうあの人たちには会えないあの街に、行ってみようと思います。




大好きでした。

本当に本当に愛していました。


月並みですが、失ってからその偉大さ、愛の素晴らしさを痛感して、

もう傍にいられないんだという気持ちが苦しくてなりません。




それでも、下北沢に行こうと思います。


出会ったたくさんの大切な人たち

数え切れないほどの思い出

今まで歩いてきた足跡の上にぼんやりと笑顔で浮かぶ、愛の具現化であるそれらに、



下北沢の街を歩いて笑い返したいと、そう思っています。

今はもう6年前とは違う、色付いた麗らかな街だから。

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