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ゴミ収集から考察する、自治体職員の資質問題

ごみの分別方法って、各自治体でまちまちでわかりにくいですよね。
僕が環境課で働いていたときは、市民の方からの分別の問い合わせに対して僕も一緒に悩むケースも少なくありませんでした。
”ごみ”という単語自体は普遍的なものですが、その中身は時代とともに変化し続けています。そしてもちろん、そこで生じる”ごみ問題”の中身も。
ただ、その社会変遷に行政側の対応がついていっているかといえば疑問符がつきます。そこでいちばん割を食うのは市民や事業者なんですけど、なんでか僕たち行政側もいち被害者みたいなスタンスで仕事をしてる人が多い(あくまで個人的な見解です)ので、それについて考察してみたいと思います。

ちなみにわが市の家庭ごみの分別区分は「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」「資源ごみ」の大きく3種類に区分され、その中でも資源ごみは「ペット・プラ」「かん」「びん」に細かく分類されています。それぞれ専用のごみ袋があり、各地区ごとに決められた日に、各町内会が管理しているごみステーションに出すことによって収集しています。

ここでもう既にわが市のごみ処理の大きな問題が2つあります。

ひとつは、分別の複雑さとわかりにくさ。
もうひとつは、収集ステーションを町内会で管理しているという実態。

先日、僕がお世話になっている人がFacebookでこんな投稿をされていました。

昼から天気が良くなり、ゴミステーションの残ったゴミを再分別して整理しました。浜田市では、ペットプラのブルーのゴミ袋は、綺麗に洗ったペットボトルやトレイしか収集しません。この中に残飯や汚いペットボトルや弁当のトレイは燃えるゴミ袋に出すことになってます。またタライなどのプラスチック製品も燃えるゴミ袋です。ここらへんがまだわからない人が多いです。残念です。

わがまちでは、きちんと分別されていないごみを「違反ごみ」といい、違反ごみが入っているごみ袋はステーションにそのまま取り残されます。
一応、ごみ袋は記名制になっており、間違えた方が次回以降のごみ出しの参考となるようにと、教育的な視点で取り残している、とのことです。

まずこの時点で”中の人”である僕からみても「むごいことするなぁ」と思うわけです。だって、分別区分が曖昧過ぎるから。

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「ペット・プラ」という名目で専用袋を作っているので、その響きに該当するものは何となく入れてもよさそうな気がしますよね。「プラ」っていうのは「プラマーク」がついてるものだけが対象なんですよーと言われても、いちいちプラマーク探しますか?って話です。
それから、プラマークついてるものでも、汚れがひどかったらその袋では回収できないっていうんです。
じゃ、どこまでが回収できる汚れで、どこからが回収できない汚れなのか、何をもって説明するのか。
これは僕も実際に相談を受ける中で、どうしても説明できないもののひとつでした。

分別区分があいまい、しかも間違ってたらごみを取り残される罰ゲーム。これだけですでにごみ出しが恐怖ですよね。

そこに追い打ちをかけるのが、収集ステーションの町内会管理問題。

市は、収集業務やその後の処理業務はするけれども、ごみの集積場所の管理や取り残された違反ごみの対応はそこの町内会でやってね、と、地域住民のごみ出しの責任については地域に丸投げしているんです。
例えば違反ごみが発生した時には、記名をもとに排出された方に連絡して適正な分別を促すか、再分別専用のごみ袋に詰め替えて個別に収集してもらえるよう市に連絡するとか、常に収集ステーションが清潔に保たれるよう維持管理するというのは、町内会にゆだねられているというわけです。
もしかしたら、これは全国的にメジャーな文化なのかもしれませんが、このルールがかろうじて通用していたのもひと昔前の話。
先の投稿のあった地域ではアパート住まいの学生や単身赴任者が増え、それに伴い無記名の違反ごみが慢性的に発生し、町内会役員の負担が増大する一方。
またある地域では、「町内会費を払わない奴にはここのごみステーションにごみを出す権利はない」と町内会長から高圧的な態度をとられ、ごみ出しすらできない住民がいたり。

ごみ出しのルールを作っているのは行政側。地域住民に責任を押し付けているのも行政側。これによって多くの市民が困っている現実がある。
結果、環境課には多くの相談電話や苦情電話が入ってくるわけです。

これって、どう考えても根本の仕組みを変えるべきじゃないですか?
なぜこういう問題が増えてきているんだろう?どうやったらこうした問い合わせが減るだろう?よりよいごみ出しの仕組みはないだろうか?こうした考えを課内で建設的に議論して、少しでも改善できるように努力するのが僕たちの仕事じゃないの?

それなのに、環境課職員の多くは、
「市民はなんでこんなこともわかってくれないんだ」とか「それくらい地域で解決してくれよ」とか、意味わからん被害者目線でぶつぶつ言いながら変わり映えのない仕事してるわけです。
市民のくらしに密着している業務を行っている我々行政側が、変わりゆく時代や社会の流れを気にも留めず、地域のひずみに耳を傾けず、何の努力もせずにただただ増える相談件数を嘆くのみ。

僕はその中にいて、頭がおかしくなりそうでした。
(実際頭おかしくなりましたが)

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こうしたごみ分別をめぐる市民と行政のかかわりを捉えるだけでも、行政職員の資質が問われます。
「分別方法を変えたらいいというけれど、そうするとまた違反ごみが増えて仕事が大変になる」だとか「分別方法が少し変更になったんですよ。既に広報誌やホームページでお知らせしていますよ、見てないですか?」とか、いやいやホントに市民生活のこと真剣に考えたらありえん発言でしょ、というのは日常茶飯事なわけです。そんな職場環境の中に新人職員が放り込まれて、なんとなくその空気に染まっちゃう。そして残念な職員がまた量産されていく。そんな負のスパイラル。

そろそろこの流れ、終わりにしませんか。
僕たちの働き方、働く姿勢、行政職員としての資質、今すぐ見直すべきです。
とは言っても人は簡単に変わるものでもないので、とにかく自分が信念をもって愚直に行動し続けるのみ、と、最近ようやく腹がくくれた僕でした。

最後に、先日亡くなられたプロ野球界の名将、野村克也さんの名言を引用。

35歳を過ぎて敵がいないということは、人間的に見込みがないことである

目の前敵だらけな気がしますが、誰のために仕事してるのか真剣に考えて働こうと、ゴミ収集にまつわる諸問題からそう強く思いました。


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