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Life is a stage

あるコアなちゃんみねファン??から、note書いてよーと言われたので、久しぶりに自分の考えていることをアウトプットしてみようと思う。
書くのは苦手だけど、年末だし勢いでw

この世は舞台、人はみな役者

All the world's a stage,
And all the men and women merely players.
知っている人も多いと思うが、これはシェイクスピアの名言である。

私は色々悩んでいた時、この言葉を恩師と言うほどではない元上司に言われて少し救われたことがある。
今回はそんなお話。

自分とは何者か考えてみる

POOLOの同期の人は驚くかもしれないが、一時期私は「自分は何者か」という問いに迷走していた時期があった。
自分は一体何者なのだろう?と考えたことはあるだろうか。
例えばということで、私が何者か棚卸ししてみる。

時にはいち男として、夢を求め、やりたいことをやりたい!自分の思うように生きたい!とする自分。
時には旦那であり、子供たちの父親である家族としての自分。
時には息子であり、長男としての実家の自分。
時にはサラリーマンとして働く一職員であり、上司から見た部下であり、部下から見た上司である職場の自分。
時には仲の良い友人・仲間であり、時にはただの一個人としての集団の中の自分。
時には相談相手となり、相談する側にもなる自分。
時にはファシリテーター、時にはいち参加者としての自分。

細かくあげるとキリがないが、その時々によって自分の役割が目まぐるしく変化する。
もちろん複数同時並行の時も往々にしてある。
自分は一体何者なのか、どれが本当の自分なのかと、数年前まで分からない状況だった。

そん時の状況

当時、第一子が生まれ2〜3ヶ月が経った頃だったと思う。

まだコロナ禍になる前で、外回りの仕事も忙しく、早く家に帰れて19時〜20時頃だった。
労働組合の役員も請け負っており、土日祝も関係なしに打ち合わせ。
当時はzoomなどのオンライン会議が普及する前で、たった2時間ほどの会議のために甲府⇄新宿間を片道2時間、計4時間かけて往復していた。
今思うと本当に時間も金も勿体ないが、当時はそれが当たり前だった。

子供の夜泣きもまぁまぁ激しく、夜は2〜3時間毎に起きてしまい、十分な睡眠が取れず、ついイライラしてしまうことも多かった。
妻は妻で、産後のホルモンバランスの関係もあり気持ちの上下動がかなり激しかった。

そんな色々な要因が重なり、HP(体力)もMP(メンタル)もかなり消耗していた。

そんな悩みを打ち明けたのは、特に慕っていたわけでもなく、特に仲が良かったわけでもない当時の上司だった。
相当弱っていたようで、自分でもなんであの上司に当時相談したのか分からない。
吐き出すことで、自分としては理解して欲しくて、共感して欲しくて、承認欲求を満たしたかっただけだったのかもしれない。
ただそのちょっとした相談で返ってきた言葉に、だいぶ気持ちが楽になったのだった。

そこで言われたのが
「Life is a stage.人生は舞台」
という言葉だった。
正確には「All the world's a stage.」なのだが、当時はすぐに間違いであることに気付かなかったし、妙に納得してしまったので、それはそれで良しと思っている。

一言一句は当然ながら覚えていないが、こんなニュアンスだったと思う。
「俺も当時子供が小さい時に嫁さんと喧嘩して、よくある話で俺は仕事が忙しい、俺が仕事やめたら生きていけないだろ、と突っぱねていた時期があった。
たまたま俺は文学が好きで、シェイクスピアも好きだったから我に帰ることができた。
Life is a stage.人生は舞台だ。(間違っとるのだがw)
役割に応じて演じることも大切。
仕事は仕事としてサラリーマンを演じ、家では旦那を演じ、子供の前では父親を演じる。
自分が何者かなんて思わなくて良い。
その演じている全てが“自分”なのだから。
演じることは悪いことではない。
色んな役の自分がいて良いと思うことが大事。」

「メタ認知」と「原因自分論」のバランス

てっきり自分は自分らしくいたい、自分らしく生きなきゃ、という思考が強かったので、少し驚いた。
と同時に、肩の荷がスッと降りた気がするのを覚えている。
そうか。色んな役割を演じるのかと。
つい肩に力が入りすぎて、色々なことに対して自分が主人公でいなくてはいけないと錯覚していた。

一つの役をこなす役者という考え方に徹すれば、第三者的に冷静に自分を見つめ、その役をこなすことができる。
また、どんなにしんどい役であっても、いずれは舞台を降り、自分本来の姿に戻ることができるのだと、辛抱することもできる。

ただ一方で、どのような役を演じるのかを選択するのはあくまで自分であり、その役割を演じよう!と決めるのも自分である。
自分でやると決めたのだから、幕が閉じるまで演じ切りたいという解釈もできる。

役に徹することをし過ぎると本来の自分を見失いかねないし、
自分ばかりを中心に考え過ぎると、周りが見えない自己中心的になってしまう。
「メタ認知」と「原因自分論」のバランスが非常に大事だなと思う。

楽な役を増やす

「演じる」というと無理をしているように捉えられてしまうかもしれないが、決してそうではない。
あくまでマインドセットの話であって、どの役も自分は自分なのだ。
自分で選択してその役になるためにはどうすれば良いかを考えて、その役を演じることに意義があるのだと思う。

父であるときは全力で子供たちと向き合い、最高のパパでいられるように!
パートナーである時は本音をぶつけ合い、相手が一番幸せでいられるように!
POOLOでは誰かの役に立ち、頼られる存在になれるように!
これらは自分なりに無理なくこなしている役割だ。

一方で、職場ではできる上司、できる部下として自分の能力でできることをやれるように!
これは現状努めてはいるものの、少し無理やり演じている自分である。
私は人から評価されるのが嫌いだ。するのも嫌いだ。
だからこのような役(サラリーマン)は、今後降りようと企んでいる次第だ。

さいごに

みんな、自分探しに必死になりすぎていないかい?
自分を探すとか、自分に正直になるってのはもちろん大事だ。
だけど一度、今の自分の役割を棚卸ししてみてはいかがだろう?
その中で無理なく演じられている自分と、無理して演じてる自分は何だろう?と考えてみてほしい。
きっと無理なく演じられる役や、楽な役、自分が好きな役が増えれば増えるほど、人生は豊かになるんじゃないかな!

そんなことを一緒に見つけるお手伝いができたら嬉しいな!

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