アンチ・オイディプスと格闘する 2

死の充実身体26pとは

てか解説動画とか見るけど、まったくそのとおりに読めなくて草

バックボーンありすぎて、すっげえ何書いてるのかわからないブログ見つけました。

<逆備給>28pとは

備給 (cathexis)
精神分析学
 カセクシスともよばれます。
 その基本的な意味は、心的エネルギーが、心の中にあるイメージや、外的な対象、身体の一部などに向けられ、そこに流れ込むことを指します。
特徴
 エネルギーが向けられる方向性によって、対象カセクシスとか、自我カセクシスなどとよばれます。この心的エネルギー概念は、実在的な概念ではなく、1つの暗喩として理解されます。
 日常的には、関心や注意を向け、情動的エネルギーを注ぐことを意味しています。
 関心や注意、情動的エネルギーを止めることは「脱備給」「カセクシスの撤収」などと呼ばれます。
 また、抑圧など自我防衛に用いられている心的エネルギーを「逆備給」とよぶこともあります。

http://rinnsyou.com/archives/181

C.G.ユングはリビドーを性的エネルギーではなく、より一般的な心的エネルギーとして再解釈したが、『ある対象にリビドーを向ける』という状況は『ある対象に欲求・興味を持っている』と言い換えたほうが分かりやすい。リビドーの概念はそれが向けられている対象によって『自我備給』『対象備給』とに分類することができ、自我備給の強さは自己愛(ナルシシズム)や自我防衛の強さと連動していることが多い。対象備給の強さは、他者(異性)への性的関心や恋愛感情などと相関していることが多く、対象備給が大きい段階で、相手から拒絶されたり死別する事態が起こったりすると『対象喪失の悲哀感情』が高まってくる。
リビドーの心的エネルギーの量が多く向けられ過ぎている場合には『過剰備給』、反対にそのエネルギーの量が少な過ぎる場合には『過少備給』という。備給されるリビドーのエネルギーの性質が性的欲求がメインの場合には『リビドー備給』と呼び、性的欲求ではない一般的な感情・欲求が中心になっている場合には『情動備給』という風に呼ぶこともある。S.フロイトの前期の精神分析では、“性的欲動”としてのリビドーの充足と阻害(不満)の二元論で、人間の精神活動の健康性や病理性(性的欲動の抑圧で神経症が発症するなど)が考えられていたが、精神分析の研究が進むにつれて、一般的な感情的欲求の充足・阻害としてのリビドーを想定することのほうが増えている。
リビドーが自分自身に注がれる『自我備給』の中には、自我防衛機制の発動と維持のために費やされるエネルギーが多くあり、この自我防衛機制のためのリビドー備給のことを『逆備給・反対充当』と呼んでいる。

http://digitalword.seesaa.net/article/218434684.html


器官なき身体ってなに?
いろいろ解説みたけどさ。

全体に対して部分の持つ自由さが顕揚される。器官とは、機能に基づく生命維持のための有機体の一部分であるが(モル的)、同時に有機体としてではなく無意識における部分対象としてまったく別次元の存在(分子的)ともなる。
身体には有機体的サイクルとは別個の欲望する身体とでもいうべき「器官なき身体」が存在し、それにとって個体の生存を維持する諸器官は必要とされない。植物における成長サイクルと生殖サイクルをたとえにすれば、人間にとっては生殖器という器官は性行動にとって結果として使われるものに過ぎず、五感、全身を使って生殖活動があらゆる社交活動、創造活動へと広がってゆく。それは女性的な身体と言えるかもしれない。器官ある身体が、男性的身体、生存してゆく身体、個体を形成する身体だとすれば、器官なき身体とは、女性的な、包み込む、癒しの身体、対象を欲望し、また生み出す身体ということがいえるかもしれない。

https://www.weblio.jp/wkpja/content/器官なき身体_器官なき身体の概要

社会体ってなに?p30

広辞苑見たけど載ってなかった。
ちなみに広辞苑には欲望機械ものってませんでした。そりゃそうか。

<反生産>とはp38

調べたけどわからん。仲正昌樹先生の解説本買ったわ笑

きょうはここまで

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