キョロ充は「知ってるつもり 無知の科学」を読もう!
キョロ充がこの本を読むべき理由
他人に頼らないことがどれほど損しているか知れるから。
この本の主張
人間1人1人はだいたい「わかったつもり」に陥ります!無知の無知に気付きましょう!だけど集団になると人間はすごいものを生み出すから、いろんな人から情報を聴こう!
今の時代でも人間は無知なの?
文明がめっちゃ進歩したから、人類に怖いものはなくなったんじゃない?だって知らないものはなくなったから!
病気も宇宙も古代の謎も科学もわかるようになってきた。
それでも私たちは「知らない」が原因で問題を起こしてしまうのはなんでなのでしょうか?
身近な例を取ると、買い物に失敗したり、詐欺にあったり、資産運用をしなかったりといったさまざまな失敗があります。
もう少し大きな話をすると、原発事故を起こしてしまったり、差別したり、反ワクチン運動をしたり、政治的に過激派になったりといった、無知が原因で起こる事故や言動もあります。
この本は、
「人々が協力すれば大きなことを成し遂げられるが、どんな人でも1人では無知である」
と言っています。
一人一人がもつ知識は限られています。これらの失敗は「知ったつもり」が原因で起こっています。
例えば、原発事故は「ちゃんと管理はできてるから大丈夫」という慢心から、本来予測できたであろうことに注意を向けられなかったから起こったとも考えられます。
過激派になる人は「わかったつもり」になってるから、複雑な事を排除するのです。
大人数であつまる人間の知力はとてもすごいです。
ですが一人一人は「無知」なのです。
これがこの本の主張です。
説明深度の錯覚
「わかったつもり」ということを「説明深度の錯覚」と言います。
簡単な実験をしましょう。
あなたはトイレについてどれほど知っていますか?
7段階で評価してみてください。
1が全く理解していない、7が完璧に理解している、です。
つけましたか?
では今からトイレについて説明してみてください。
トイレはどういう仕組みで水が流れていますか?
ウォシュレットはどういう仕組みですか?
トイレを作るためにどんな材料が必要ですか?
ではもう一度7段階評価をしてみてください。
この実験をおこなったところ、後につけた評価を始めのものよりも下げたことがわかりました。
ここから説明深度の錯覚がわかります。
人間は生きる為にはこの錯覚はある程度必要なのです。なぜなら謎というものは永遠にあるからです。
それよりも割り切った方が効率がいいからです。
それに周りの人が自分にない知識を知っておけばそれで生活ができるからです。
例えば、1人東京に詳しい人がいれば自分はもう東京を調べる必要はないですよね。その人に聞けばいいのですから。
この時にも説明深度の錯覚が起こります。
他人があることを知っていただけでも、自身も「わかったつもり」になることが実験で明らかになりました。
人間とはそういう生き物なんです。説明深度の錯覚が仕方は人間の性質として仕方がないんです。
コミュニティの知力が最強
ところが人間は集団になると絶大な力を発揮します。
お互いが持っている知識を組み合わせて大きなことを成し遂げることができます。
「知識の分業化」こそコミュニティ知性の真髄です。
例えばトイレを作るときにはさまざまな分野の知識が必要になります。
トイレの機能面分野、デザイン分野、ウォシュレットの電子分野、工事分野、水道分野、衛星分野、精密部品分野、運送分野…
沢山ある分野の知識を分けて専門家に任せることで作り上げることができます。もちろん1人じゃ無理です。必ず協力しなければなりません。
知識は1人では限界がありますが、協力することで力強いものになります。
これはささやかな悩み事にも使えるのではないでしょうか?個人的な話などもいろんな人に聞いて知識を共有するのはとても利益的な行動だと思いますよ〜
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