近代日本舞踊史 Ⅰ

第1章 序文

社団法人日本舞踊協会では「日本舞踊」について以下の様に定義をしている。

『日本舞踊はコトバの意味を単純に言い表せば「日本の舞踊」ということになる。
しかし歴史的にその発祥から現代までの少なくとも400年の歳月の中で、それを更に300年を遡る時代に存在した<能>を始めとする先行芸能の技法を継承し、これに新しい時代に工夫された技法を加えて洗練を重ねて大成されたのが日本舞踊である。
これを要約して言えば「日本舞踊」とは、その大成以前から伝承された古典技法を基礎とし、舞台で表現される芸術舞踊ということになる。』

引用元:社団法人日本舞踊協会ホームページ http://nihonbuyou.or.jp/Aboutus/index


わが国最古の書物として名高い『古事記』の天岩戸説話では、乳房や陰部を露わに踊り狂う、美しいアメノウズメノミコトの姿が描かれている。このことは、我が国の舞踊の歴史が神話時代まで遡ることを物語っているし、元来神事と密接に結びついていたことを端的に示している。

中世には一遍上人の踊り念仏、田楽踊り、風流(ふりゅう)が盛行し、舞踊には「神事」としての役割に「芸能」という役割が加えられた。近世に入ると出雲の阿国が「歌舞伎踊り」を創造。今日の日本舞踊の基となった。そして、江戸時代の歌舞伎の隆盛とともに舞踊も発展してゆくことで、今度は「娯楽」としての意味が付加された。

幕府が倒れ、鎖国が崩れ、近代を迎えると日本舞踊も大きく変化する。ヨーロッパの芸術を貪欲に取り入れ「芸術」という高みを目指し様々な試行錯誤がなされるのである。初めて「舞踊」という言葉ができたのも、舞踊を専門に行う「舞踊家」が誕生したのもこの時代であった。

今日、日本舞踊と同じ我が国の伝統芸能である歌舞伎や能はメディアで取り上げられることが多い。市川海老蔵や野村萬斎の名前は誰もが耳にしていることだろう。

また、ロシアやフランスなどの名門バレエ団が来日するとなると盛んに宣伝がなされる。個人的な経験だが、私の通っていた小学校、中学校、高校、大学のそれぞれに必ず「バレエを習っていた」という同級生がいた。同じ舞踊であるバレエもそれなりに広く浸透しているように感じる。

ヒップホップダンスやフォークダンスの隆盛は言わずもがな。中学校で必修になっているほどである。

翻って日本舞踊はどうであろうか?少なくとも私はライティングの仕事でやむにやまれず日本舞踊について調べざるを得なくなるまで、全く日本舞踊に対して興味も、関心も持っていなかった。と、言うより、持ちようがなかった。周りで日本舞踊に関わっている人物などいなかったし、授業でもやらなかった。つまり、他の芸能と違って情報が入ってくることがなかったのだ。日本舞踊だけが。

それだけに、大正~昭和期における「新舞踊運動」の隆盛を知った時の衝撃はすさまじいものがあった。と、同時に「何故、日本舞踊の存在感がこれほどまでに希薄になってしまったのか」という素朴で強い疑問を抱いた。

よって、ここからは「日本舞踊」というジャンルが確立された近代~現代までの日本舞踊界について歴史的叙述を試みながら、日本舞踊界が何故衰退したのかについて論述を試みていきたい。

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