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署名を始めた人に聞いてみよう。声をあげた瞬間のこと。 [第7回 本郷朋博さん]

このインタビューでは、Change.orgで「キャンペーン」と呼ばれるオンライン署名を立ち上げたことがある方に、署名活動を始めた頃の気持ちやエピソードをお話しいただきます。

第7回目の今回は、日常的に痰の吸引などの医療的なケアが必要な子ども( ’医療的ケア児’ )の甥を持つ本郷朋博さんにお話を伺いました。

医療的ケア児に特化した法律がないことで当事者やその家族への支援の拡充が実現しづらい状況を受け、本郷さんが中心となって立ち上げたキャンペーン:日本中どこでもどんな子でも自分らしく生きたい!医療的ケア児支援法を成立させよう!に集まった多くの当事者の声が後押しとなり、今年6月、めでたく法律の成立が決定しました。

□本郷朋博さん プロフィール
ウイングス医療的ケア児などのがんばる子どもと家族を支える会代表、医療的ケア児支援法の成立を希望する会全体監修。1982年兵庫県神戸市生まれ。妹の子が出産事故で医療的ケアが必要となり支援の必要性を痛感。日中はITコンサル会社でサラリーマンとしてフルタイムで勤務しつつ2017年、ボランティア団体「ウイングス」を設立し、医療的ケア児など困難を抱える子どもたちと家族を支援する活動を行う。趣味は筋トレ、マラソン。

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医療的ケア児の甥ができて気づいたこと

ーー最初にこの問題に関心を持ったきっかけを教えてください。

実の妹が出産時の事故で、子どもの脳に重い障がいが残ってしまいました。自分で唾を飲み込むことなどができないので、日常的に痰の吸引などの医療的なケアが必要な子ども(以下「医療的ケア児」)になりました。24時間のケアが必要で、夜中も30分から1時間おきに痰の吸引をしなければならないため、まとまった睡眠をとるができず、合計してもやっと5時間眠れるかどうかという毎日が続いていました。妹は体力的に疲弊するばかりか、そもそも元気に産まれてくると思っていた我が子が自分自身のせいで重い障がいを持ってしまったという責任を感じて精神的にも苦しい状況でした。

そのような中、当時は障がい児の育児について周りに相談する人がいなかったり、行政に相談しても「医療的ケアってなんですか」という感じで、使えるはずのサービスを教えてもらうこともできず、とても追い詰められている状況でした。本人は気丈に振る舞っていましたが、周りが一緒になって情報を調べたり当事者の仲間を見つけてあげたりするなどして手を差し伸べないと、自力で頑張り続けることはとても難しいことは明らかでした。

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色々と妹のサポートをしながら気づいたことは、病院から退院をしたその日から、適切な情報や支援も受けられない状況に追いやられてしまう親(特に母親)は、実は本当にいっぱいいることがわかり、何かしないといけないと思ったのがきっかけです。お母さんたちが集まって情報交換をする場、気軽に相談できる仲間を見つける場を提供することが必要だと思い、私が「ウイングス医療的ケア児などのがんばる子どもと家族を支える会」(以下「ウイングス」)という支援団体を2017年に立ち上げて、まだ何も実績が無かったのですが、オンラインで呼びかけると10組くらいの医療的ケア児を育てるご家族が集まりました。周囲に気軽に相談する人がいないということは、親にとって共通の問題だということが分かったんです。

家族の視点も入った画期的な法律案、成立して欲しいと思った

ーーその頃の法制度などの状況を教えてください。

私がウイングスを立ち上げる2年前の2015年に、党派を超えて国会議員や関係省庁の官僚、医療や福祉の関係者などが集まった「永田町こども未来会議」が発足し、定期的に医療的ケア児に対する施策が考えられていました。この会議によって、2016年に児童福祉法が改正され、自治体による医療的ケア児の支援が法律に入りましたが、それもあくまでも「努力しましょう」レベルで、自治体による実際の具体的な支援の拡充につながっていかない状態でした。また、2018年には医療的ケア児向けの施設が増えるように、事業者が医療的ケア児向けのサービスを提供する際の’報酬’も上がりましたが、条件が厳しくなかなか施設が増えませんでした。2021年4月の報酬の見直し時期に、さらに医療的ケア児向けの報酬を上げることが検討されていましたが、医療的ケア児に特化した法律がないことには支援の拡充に限界があることが、2020年の会議の中で言われるようになり、報酬の見直しに合わせて2021年の通常国会での成立を目指して法律の検討が始まりました

少しづつ骨組みができつつあった医療的ケア児に特化した法律(のちの「医療的ケア児支援法」)の原案を初めて見た時には、子どもだけではなく、その親をはじめとした家族を社会全体で支援する視点が入っている点がとても画期的でしたし、妹のようなお母さん達を助けたいと思っていた私は、早く成立して欲しいと思っていました。

医療的ケア児支援法ネット署名の扉絵

ーーキャンペーンを立ち上げられた頃にはすでに医療的ケア児支援法の提出・成立が目指されているという段階だったかと思います。その段階でオンライン署名を始めようと思われたのは何故ですか?

障がい児の中でもマイナーな存在である ’医療的ケア児’ は、国会議員の中でも意識的に取り組んでいる方が少なく、官僚の中にも知らない方もいました。そのような状況で、永田町子ども未来会議で法案を検討していた国会議員さんたちが、他の国会議員や官僚に新しい法律の必要性を説得する際、「実際にこれは当事者にどれだけ必要とされているの?」という話になったときのために、成立への後押しとなる当事者の声を集める必要性を感じていたそうです。

法案を検討していた議員の関係者から「本郷さん、何かできませんかね?」と相談されることもありましたが、まだウイングスの知名度も低いし、大きな組織でもない。まだオンライン署名のこともよく知らなかったので、大きなムーブメントを起こすことは難しいなあ、でも何かしたいなあと感じていました。

そんな中、ようやく支援法の原案が国会議員から出てきまして、その内容を議員の方が解説するオンライン勉強会が去年の12月に開催されました。その勉強会に参加したあるお母さんと知り合い、みんなで「 #医療的ケア児支援法の成立を希望します 」 というハッシュタグを付けて呼び掛ける”ハッシュタグキャンペーン”を一緒に始めました。結果、医療的ケア児自体の数が少なく、また多くの家族は全体には非公開のアカウントを使っているため、国会議員や官僚に見せるときに数値化しづらいという問題点に気づきました。

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「そうだ、オンライン署名あるじゃん。」とひらめいた

そのような時、このSNSの情報を見た別のお母さんから、「声を集めるのであれば署名活動が良いのでは?一緒にできないですか?」という相談をもらいました。「署名活動」と最初に聞いた時は、街頭で呼びかけをし、紙を使ってするものを想像していたので、ただでさえコロナ禍の今、医療的ケア児の親であるお母さんたちはそもそも外出すること自体が難しく、非現実的だと思っていました。前年に愛知のリコール署名偽造の問題もあって、紙だからといって信憑性があるとも言い切れず、信憑性を担保するための対策も自分たちで何かしないといけない。つまり、紙の署名活動は総じてハードルが高すぎると感じていたんです。そこで、「そうだ、オンライン署名あるじゃん」と閃いたんです。

同時期に、自分たちで支援法の勉強会を開催したいというお母さんたちもいらっしゃったので、この方たち全員でチームを作ってオンライン署名活動をすれば大きなムーブメントにできるのではないかと思いついて、今年1月末、署名活動のコアとなる4名のお母さん方たちと「医療的ケア児支援法の成立を希望する会 」を発足させました。

ーー誰でも最初はたった一人、もしくは数人規模で活動を始められることがあると思います。署名活動を始められる前のお気持ちを教えてください。

最初は何人集まるんだろうという思いはありました。「医療的ケア児」ってマイナーな存在で、全国でも2万人程度しかいないと言われています。この子どもたちのご家族のうち10%の人たち、つまり2,000人が賛同してくれたら成功だな、というくらいだったんです。それくらいの人数で成立に向けての後押しになるかはわからないけれど、とりあえずやってみようと。

あとは、私たちは戦う集団ではないということを大切にしていました。一昔前は、障がい者に対する差別や偏見が今よりも遥かに強く、当事者達も「戦う」「権利を”勝ち取る”」という姿勢での活動が多かったように感じます。もちろん未だ差別は残ってはいますが、一般的に「差別はいけない」という共通認識が随分と広まった今、”戦う”というアプローチから、理解者・協力者を見つけることを私たちの活動の方針にすべきと考えています。怒りを起点としたキャンペーンではなく、仲間を見つけて変えていこうというメッセージの伝え方をしようと、一緒に活動するお母さんたちには最初に伝えてから活動を始めました。

情報交換会「ウイングス・カフェ」の様子

「ずっとそうやってやってきたんだから、社会になんとかして欲しいというのは甘い」と思われる方もいる

ーー出る杭は打たれるという風潮が強い日本で声を上げることは、否定的な声や心ないバッシングが来ることもおありだったのではないですか?

私自身が直接バッシングを受けることはありませんでしたが、今回活動を一緒にしていたお母さんのご友人(医療的ケア児の親)の一人に、「私はそんな法律はいらない」とはっきり言われたということがありました。その方は、「法律を作ることで、またバッシングを受けてしまう。」という気持ちになってしまっていて、おそらく普段から ‘障がい者は周りに迷惑をかけているんだ’ ということを日頃から言われているんだと思うんです。その経験が「支援法を作ることでさらに周りに”迷惑”をかけるならまた私は叩かれる。風当たりが強くなるなら、法律なんていらない。協力もしません」という返事になってしまったのだと思います。こうやって同じ境遇を持つ人の人の中でも意見や気持ちが割れることはありました。

ーー胸が苦しくなります。そのリアクションは、本郷さんや皆さんにとって意外でしたか?

同じ境遇にいるお母さんの中でも「私が全責任を持って死ぬまで面倒を見るんだ」 という決意を持っている人もおられます。それは、その人がこれまで周囲から「いまあなたが大変なのは産んだあなたの責任。子どもに怪我や病気をさせたのはあなたのせい。だから家族で解決して、社会が面倒を見るものではない」と言われ、傷ついた経験を持つ人たちもいると思うんです。なおかつ、もう少し上の世代になると「自分たちもずっと同じことを求めてきたけれど叶わなかった。ずっとそうやってやってきたんだから、社会になんとかして欲しいというのは甘い」と思われる方もいる。社会にさらに支援を求めることを認めてしまうと今まで我慢してきた人生を自己否定することになるので、なかなか認められないのだと思います。その人達も最初から強かったわけではないのに、社会がそうさせてしまった。なのでそういう人たちのことも考えた上で、私たちは活動していかないといけないと思っています。

親も子も、自分の人生を生きることができるのが本来のあるべき社会の姿であると思います。私たちの団体も含め、親が安心して子どもを社会に送り出せ、親が先に亡くなっても子どもが自立して生きていける制度を整えること、そんな社会を作っていくことが結果的にその方達も楽になると思います。

医療ケア児の家族の声が集まったコメント欄

ーーそういった声を聞いた時の気持ちの切り替えはどのようにされていたんですか?

そういう声があるのは承知していましたし、そういう人たちと戦って無理矢理に考えを変えるのではなく、賛同してくれる仲間を見つけて多数派を作れば、世の中は変わっていくと信じて活動していました。

ーーまだ賛同者が少ない時に支えになったエピソードや人の声があれば教えてください。

賛同してくれた人がまだ少ない段階でも、「この法律を通したいです!」とキャンペーンページ上でコメントしてくれたり「署名活動してくれてありがとうございます」とメッセージが来たことで、励まされました。そういったメッセージが来ることで、こちらももっと頑張ろうと思える。「次は10,000人を目指そう!」と、メンバーみんなで楽しく活動できましたね。

ーー「当事者の声を集める」ということを目標に動いておられたと思いますが、キャンペーンページ上のコメントは役に立ちましたか?

そうですね。ただ「賛同します」だけでなく、「私は医療的ケア児の親です」「脳性麻痺の子を持つ親です」「この法律は必要です」という声も多く集まりました。キャンペーンを通して医療的ケア児とその家族の笑顔の写真を集めた試みをしたことも意味があったと思います。私や活動のメンバーだけではなく、賛同した親達自身も励まされるというポジティブな流れになりましたね。

署名提出時の様子

成立への後押しになった26,000人の声

ーー実際に26,000を超える署名簿を衆議院厚生労働委員会与野党筆頭理事の橋本岳議員と長妻昭議員に提出されましたが、反応はどうでしたか?

署名の最終的な宛名は衆議院厚生労働委員会の委員長他多数になりましたが、代表して衆議院厚生労働委員会の与野党筆頭理事に対して提出しました。提出児には26,000人の声を受け法案の早期成立に向けて審議を進めていくとご挨拶があり、また、臨席した国会議員やその関係者からは「よくこんな短期間で26,000人も集まったね。」「これで支援法が求められていることが伝わる。」と言ってくださいました。

さらに、法案を検討した永田町子ども未来会議の国会議員さんたちが、法案を国会に提出する前に、全会一致で法案を可決・成立させるために同じ党内や他の政党の国会議員たちに法案の意義を説明して回る際に、署名簿や署名のコメント一覧も併せて持っていかれたそうです。それまで関心の高くなかった国会議員さんたちも「この法案はこの国会の会期中に通さないといけないね」という反応に変わって、成立への後押しになったそうです。それくらい、26,000人というインパクトは大きかったと思います。

ーーめでたく医療的ケア児支援法が成立しましたが、今後のご予定を教えてください。

法律ができたからといって、行政側がすぐにこちらの思い通りのサービスを提供してくれるというわけではないんです。そこでもやはり声をあげることが必要で。理念法と言われる今回の法律は、具体的な支援のオプションの中身を決めていくためには当事者の声をまだあげていく必要があります。

今後は各都道府県に医療的ケア児の親の会を作り、署名活動も上手く使って都道府県との連携を作っていきたいと思っています。

支援法成立時の集合写真

どうしても母親にばかり負担がいく現在の社会の仕組み

ーー今までのお話やウイングスさんのウェブサイトを拝見していると、やはり子育ての負担がいくのは往々にして 「お母さん」なんですね。そこにも社会における大きな課題があるようにも感じます。

本当にそうなんです。この課題については、東京都に対する要望書を提出するなどしていて、これからも継続的にやっていきたいと思っているんですが、お母さんに全ての負担が行きやすいのは、そもそも社会全体で子どもたちをケアするものだという制度や考え方が浸透していないことも大きいと思います。高齢者に関しては介護保険法ができたりして、社会全体でお世話しようという流れに変わってきましたが、それは子どもも一緒なんですよね。それが実現できれば、それは結果的に親の自己実現にもつながると思うんです。

母親に追いかけたい夢や理想とする生活があっても、現状の制度では親が世話することが前提で、なおかつ、そもそも女性への社会的差別が根強い。同じ働きをしていても女性の方が給料が低かったりして、父親がいくら女性の社会進出に協力的でも、現実的に収入格差があるので母親の方が家のことをするという家庭内の役割分担を簡単に変えることができない。

行政の窓口に行っても「障がい児のお母さんは働かないのが当たり前だよ」と言われることもあるそうで、、お母さんが世話するのが当たり前だという世間の風潮や、女性が大半を占めている職業の賃金がなかなか上がらない現実など、改善すべき点だと思います。

古い考えの男性が中心となって社会の制度を決めている現状ではなかなか改善が難しいので、実際に生きづらさを感じている女性が中心に立って世界を変えていくためのサポートもしていきたいと思っています。

声をあげないと、その人たちの意見が世の中には存在しないと見なされてしまうこともある。

ーーそもそも社会に蔓延しているジェンダー差別によって家庭内での役割分担すらもできないことは、とても深刻な問題ですね。同じく声をあげたい方に対して、メッセージをお願いします。

声をあげたいことがあるなら、声をあげるべき。と言いたいです。オンライン署名は声をあげる方法としてハードルが低く、ハードルが低いにもかかわらず効果があるので、ぜひチャレンジしてみて欲しいと思いますね。

人によると思うんですが、こういったオンラインのツールに対して懐疑的な人や、操作がわからないから自分にはできないと感じている人もいらっしゃると思います。でも人に聞けば意外と思っているより簡単にできちゃうので、ちょっと勇気を出してやってみると意外とめんどくさくないことがわかると思います(笑)。声をあげないと変わらないし、声をあげないと、その人たちの意見が世の中には存在しないと見なされてしまいますから。

このオンライン署名を使うといいよと私が言い出しっぺで4名のお母さん方と一緒にやりましたが、私は、プロデューサーとして本当に裏方で文章のチェックや活動の方向性を示していたくらいなんです。お母さんたちが主体であって、全部お母さんたちの手柄だと思っています。自分が目立ちたくないんですよ(笑)。声をあげるのは当事者の声が一番なんです。今なんらかの理由で動けないという人は、周りを頼って仲間を見つけてぜひ行動に移して欲しいと思います。

ーーありがとうございました。