最近考えてること1(シリーズ化するつもりなんだ)

いい感じに脳みそがまとまってきたらひとつの記事にまとめます。多分その前に飽きる。

フラットでいること

偏った考え方を持つよりもフラットであるほうが知的でえらいと思い込んでいましたが、それホンマか?と思って色々考えてました。
というか、何でもかんでもフラットである方がいいというのはどう考えても考えが雑すぎた。

「見る」ときは上空に。「主張」するときはその場所に。

フラットであることが正しい!と何となく思い込んでいた私には、そもそも何に対してフラットでありたいのか?という前提が抜け落ちていました。
んで、出てきた考え方が上の見出しに書いたそれです。
フラットでありたいのは「視点」でした。そして「主張」のフラットさにはそこまで大きな意味はありませんでした。

「フラット」の正当性

「フラットな視点」というのは、例えば物事の良し悪しを判断する際に「多角的」な視点を持つという、平坦なんだか角張っているのかよくわかりませんが、そういうものの見方であると思います。そしてこの 視点にはある程度の正当性が保証されているという前提で話を進めます。

んで、私が勘違いしていたのは、「フラットな立場」にいることも正当であるという考えです。
これはつまり全員が中立の立場であるべきだという主張で、全く正しい考え方だとは思えませんが、それをごく自然にそう思い込んでしまっていたみたいです。
あまりにも論理が破綻しすぎていて、この文章を書いている今、現在進行形で恥ずかしいです。

フラットな主張と視点の違い

それで、なぜこのような思考に至ったかという話になりますが、恐らくはこのような構造です。

まず、前述の「視点のフラットさ」のほぼ明らかな正当性を認める。
次に、その正当性を「フラットさ」という抽象的な概念全般に対する正当性へとすり替えてしまう。
結果、「フラットな視点の正当性」を「フラットな主張の正当性」の根拠としてしまう。

このアホみたいなロジックを自然に浮かべてしまった原因はなぜかと考えてみると、自分の中に漠然と「偏りは悪」という思い込みがあったのだと思います。それは左翼だ右翼だ原理主義だ何だという政治、宗教絡みの過激な話題や、偏見、偏食、といったマイナスな言葉など、日常生活の中でこういった「偏り」に関するマイナスイメージを無意識に摂取しまくり、自然に良くない印象がこびりついてしまっていたからでしょう。(まあ偏るという言葉にはマイナスの意味があるので何も間違ってはいませんが)

しかし、何かを主張する。ある立場に存在する。ということは多かれ少なかれ「偏る」ことになります。
そして偏らない、つまりフラットであるとは「主張がない」という状態を意味します。

では「フラットな主張」とは何なのでしょうか。

主張の相対性

例えばここに、とにかくハンバーグが食べたい肉太郎くんと、とにかくお寿司が食べたい魚子ちゃんと、何でもいいからとりあえず食べたい爆腹減り太郎さんがいます。
肉か魚かという視点で考えれば、肉太郎くんは極肉派、魚子ちゃんは極魚派です。そして爆腹減り太郎さんは中立派、つまりフラットというふうに捉えることができます。でもこれは結局「肉を食べたい」「魚を食べたい」「どちらでも良いから食べたい」という3つの主張があるだけで、この3つの主張の中での中立派、つまり「フラットな主張」とは、各々の主張を相対的に見た時の位置付けと言えます。

そして、フラットな主張が相対的な評価であるのに対し、フラットな視点とはあるひとつの基準点からそれぞれの立場、主張を見る絶対的な評価となります。

よいとされるフラットと、悪くない偏り

さて、ここで先ほどの3人の主張の中身を覗いてみます。肉派の肉太郎くんは「賞味期限が翌週に迫った冷凍ハンバーグが冷凍庫で眠っている」と主張します。すると魚派の魚子ちゃんは「近くの回転寿司屋さんで年に一度のセールが開催されている。セールは明日までなので冷凍庫のハンバーグよりも優先度が高い」と主張。一方中立派の爆腹減り太郎さんは「俺は腹が減っているので何でもいいから飯を食わせてくれ〜!」の一点張りを続けていました。

このように、いくら立場が中立だからといっても、その主張が建設的であるとは言えません。あま当たり前の話なんですが。当たり前すぎて笑っちゃいますが。そしてもちろん中立派が絶対悪というわけでもありませんが。

私は前述の通り「偏り」に対してなんとなくの嫌悪感を抱いていましたが、結局、なにか根拠をもとに説得力のある偏りを持つということ自体は、議論をする上ではむしろ必要とされるものでしょう。

主張には偏りが伴いますが、それ自体が悪いことというわけではない。何か主張があるなら、その主張に正当な根拠があるなら、自信を持って偏っていればいいでしょう。
問題なのは、自分の主張と他人の主張を絶対的な視点で見られないこと。客観的な視点で見られないこと。自分の立つ位置から他の主張を評価するのではなく、一度上空から全体を俯瞰して、それぞれの主張、そして自分の主張の位置関係をフラットに把握できると良いですよね。これ、一般常識レベルの内容ですね。

結局なんだったんだ

偏りアレルギーともいうべき何かが自分の中にあったんだけど、こと主張においては偏りがないというのは不可能、意味をなさないから、偏りなんか気にしないで!正しいと思える根拠があるのなら、自分がある位置に立って主張をするということに自信を持って大丈夫だよ!って、自分に言ってあげました。

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