死後探索 ブルース・モーエン ②

前回に続き、以前読んだ残りの2章を引き続き抜粋したいと思います。一部省略しております。この2つの章を記すことに何の意味があるのか自分でも分かりませんが、とにかく書き写したい衝動にかられているのです。今は解らなくても私にとって何か意味があるのかもしれません。文中の「私」はブルース・モーエンのことです。

第7章 三度目のライフライン ー エド・ウィルソン博士との再会

エド・ウィルソン博士は、サトル・エネルギー医学に興味を持っている医師だった。私は、1991年秋にモンロー研究所でゲートウェイ・ヴォエッジ・プログラムに参加した際に、かなり風変わりな体験によって、この医師と間接的にひきあわされたのだった。テープエクササイズ中に、1冊のハードカバーの本のページがパラパラとめくられているのが見え、そのページに、スキップ・アトウォーターという人物の顔が3Dの非物質的な映像となって浮かび上がっていた。その後で私は、モンロー研の研究棟の見学ツアーのときに、スキップと物質的に出会う事になった。このスキップ・アトウォーターという人物が、ウィルソン博士と共同で取り組んでいる、人体の周囲の磁場を測定するための研究について、私に話してくれたのだった。

その同じテープエクササイズのときに、私は「磁気異常センサー」という装置を見せられた。この装置は、エドとスキップが行っていた研究と関係があるようだった。それから、1992年の晩夏、まだコロラドに住んでいた頃、私はレベッカから電話をもらった。彼女がエドと訪ねてくるというのだった。エドは、コロラド州ボルダーの西の山岳地帯に住んでおり、人体の周囲にある磁場を検出するための実験を続けていた。レベッカは、私を彼に紹介したがっていた。私がエンジニアという経歴を持っているため、それがエドの研究に役立つかもしれないと期待したのだ。それから数日後に私たちは会い、コロラド名物の、「壁の穴」スタイルのメキシカン・レストランへ行った。エドは白血病と診断されており、私が彼とレベッカに会ったときには、症状はおさまっていた。人間のまわりの磁場を検知して、それを病気の診断に利用できないか、というエドの関心について、私たちは話し合った。

人間の周囲の磁場検出装置をどう使うかに関しては、エドは、別のもっと秘儀的なアイデアも持っていた。私たちは一緒に、面白いランチタイムを過ごし、かなり長いこと喋り続けた。私は、エドの実験に協力するため、極細の銅線を巻いて大きなコイルを作る装置を設計し、製作することを約束した。その後2ヶ月ほど、私は終業後の機械工場を利用して、コイルを巻く装置の部品を組み立てていた。空き時間には、自宅地下室の作業台の上でも組み立てをした。しかし結局、ウィルソン博士とその研究に、たいした貢献をすることはできなかった。次に私が博士に会ったのは、1993年の11月、私がヴァージニアに引っ越した後、3度目のライフライン・プログラムに参加していたときのことだった。トレーニングセンターの食器洗浄機がまた故障した。2度目のライフライン・プログラムの直前に故障したのと同じ機械だ。前回と同じく、私は、その食器洗浄機を修理する代わりに、三度目のライフライン・プログラムに参加できることになったのだった。このプログラムは定員いっぱいで、通常なら参加者の追加は認められないはずだったが、食器洗浄機はどうしても修理が必要だったため、私はうまくすべりこむことができた。

2日後に、私にとって三度目のライフライン・プログラムが始まった。プログラムが本格的に始まる初日、エド・ウィルソン博士が、ボルダーの西にある山岳地帯の自宅で亡くなった。それからエドは、6日間にわたるプログラムの間じゅう、テープエクササイズのたびに、常に私と行動を共にしたのだった。エドは、死んだ後、私とのコミュニケーションを確立したいという熱意に燃えていた。ライフライン・プログラムで死後世界の探索に集中的に取り組むのは、貴重な時間だと心得ていたようだ。エドは、この6日間で、将来にも続いていくコミュニケーションの手段を確立しなくてはならなかった。そう、エドはとてもしつこかった!テープエクササイズが始まるとすぐに、エドの声が聞こえてきて、私とコミュニケートしようとする。時として、これにはかなりイライラさせられた。テープには、ボブ・モンローの声で短いインストラクションが録音されている。エドの声が大きすぎて、こっちは、ふたりの人間が同時に喋るのを聞かされているようだった。どちらの言うことも理解できないので、何度もエドに、テープのボブの声が終わるまで静かにしていてください、と頼まねばならなかった。

エドは、言語を使ったり、映像を使ったり、直接の思考を伝えたりしてコミュニケーションを取る練習をした。エドは奇妙な姿勢で立っており、私がそれを説明すると彼の友人たちは確かに彼だと認めた。エドは、自分が住みついた場所を見せてくれた。石造りの巨大な建物に隣接して、よく茂った緑の芝生があり、エドはその上に小型のテントを張っていた。建物はフォーカス27にある図書館か何かだった。外壁はなめらかな石でできており、磨き上げられた御影石の一枚板のように見えた。エドが死ぬ一週間たらず前のこと、エドはレベッカに電話をかけて、コロラドに来ないかと誘っていた。エドは、レベッカがモンロー研の環境から抜け出して、クリエイティブな才能を開花させてほしいと願っていたのだ。レベッカは、モンロー研でヘミシンクの音響パターンの研究に従事していた。画期的な研究のいくつかにも関わっていたのだが、エドは、レベッカが自分で自由にそれを追求できれば、素晴らしいことが起こるかもしれないと感じていた。

エドは優しく脅しをかけて、コロラドへ「遊びに来る」ことをレベッカに承知させた。エドの死後、彼と私がコミュニケーションを取れるようになると、彼が真っ先に断固として主張したのが、レベッカにコロラドへ引っ越すという約束を守らせてほしい、ということだった。「彼女をあそこから引っ張り出すんだ!」と彼は単刀直入な言葉を繰り返した。「私が彼女とその話をするチャンスが来るまで、私がきみにプレッシャーをかけて、彼女をここから離れさせようとしているんだと、彼女に伝えてくれないか。彼女が私に耳を貸さないなら、きみが彼女を引っ張り出せ!」そのとき、最後に息子と娘に会ってから2ヶ月がたっており、「彼女を引っ張り出す」ために、またコロラドに戻るという考えは、私としては大歓迎だった。だが、結果的に、レベッカに無理強いをする必要はなかった。レベッカが死後世界でエドとコンタクトしたときに、エドが彼女に約束を思い出させたので、彼女をそれを守ることに同意したのだった。

エドとボブ・モンローは、ふたりとも物質界で生きているとき、友好的なライバル同士だった。私がこのライフライン・プログラムの間に、ボブへのメッセージがあるかとエドに尋ねてみた。すると、場面が変化した。それは整然とした庭園のようで、ゆっくりと流れる小川が、覆い被さる木々の下を曲がりくねって流れていた。黄昏時の映像のように薄暗い場面だったが、その小川は木々の下から開けたところに出てくると、小さな三段になった人工の滝へと静かに注ぎ込んでいた。レベッカもエドからボブへのメッセージを受け取っていた。大昔の修道院のような場面で、ボブとエドが一緒に成し遂げたプロジェクトについて談笑していた。彼らはひとつの構造物を建てており、そこから巨大な鐘がぶら下がっていた。その鐘は建物の近くに据えられており、風がふさわしい方向から吹くと鐘が鳴って反響するようになっていた。

修道院の他の者たちが静かに祈りや瞑想をしているときに鐘が鳴って反響するようになっていた。エドたちは、修道院の他の者たちが静かに祈りや瞑想をしているときに鐘の音がしばしば鳴るので、クスクス笑っていた。こうして邪魔されるのを、みんながみんな喜んだわけではなかった。どうやら、ボブとエドはある人生を一緒に過ごし、音を使って遊んでいたようだった。

エドのキャンプ地は、周辺からいささか浮いた感じだった。誰もたいして気にかける様子はなかった。エドは非物質界で情報を掘り出して、それを伝えるのを楽しんでいた。エドは、物質界で生きていたときに興味をもっていたことを手当たり次第に伝えてきた。その中に、電磁気的重力理論というものもあった。ある朝、目を覚ましたとき私は、まだエドと他のふたりの人たちと会話を続けていた。エドはあちこちさまよううちに、このふたりに出会い、ふたりが理論を伝えるのに手を貸そうとしたのだった。私は目を覚ました時、私たちの交わした議論が、重力と何か関係があるということはわかっていたが、思い出せたのはそれだけだった。その日はそれから、夢での会話からよみがえってきた詳細を書き留めたり、エドが続けている説明を聞いたりして過ごした。これは長くて詳細にわたる理論だ。興味のある方は、付録A(注1)をご覧いただきたい。

エドの死から1週間後、レベッカと私は車でテネシー州へ行き、エドの追悼礼拝に参列した。そこで会った遺族の人たちに、エドの死後にコンタクトしたことについて話をした。遺族たちは懐疑的ではあったが、私たちが言わずにおれなかったことを受け止めてくれた。教会での礼拝が終わると、追悼式のために全員で墓地に行った。みんなでエドの墓標を囲んで輪になって立ち、参列者が彼について短く話をするのを聞いた。司式の牧師が、祈りをするために、全員に頭を垂れるようにと言ったとき、かなりびっくりすることが起こった。目を閉じて頭を垂れると私は、旋風のように渦巻くエネルギーに気づいたのだ。音を立てない竜巻のように渦を巻いており、一番下の直径は祈っている人々の輪と同じだった。そのエネルギーに満ちた渦巻きに注意を集中してみると、私はエドがみんなと一緒にいることに気づいた。エドは輪の周りを回りながら、ひとりひとりの前で立ち止まり、二言三言、言葉をかけるのだった。

彼が私のところに来ると、私は目を閉じたままで、彼をはっきり見ることができた。彼は私のほうに歩み寄った。「ブルース、きみがコロラドへ来たら、一緒に仕事をするのを楽しみにしているよ」と彼が言うのが感じられた。「エド、あなたにここで会えるなんて、嬉しい驚きですよ。こちらこそ、一緒に仕事をするのが楽しみです」それから彼は後ろに下がり、次の人—私の右にいたレベッカのところへ進んだ。彼がレベッカに歩み寄り、ふたりが短く言葉を交わすのが見えたが、その言葉は聞き取れなかった。エドはそれから、立ち去る前に最後の人のところへ行った。その女性は、エドがこちらでの人生で最後の何年かを共に過ごした伴侶だった。エドは彼女のほうに歩み寄り、ふたりは目くるめくようなピンクと金色の光のシャワーに包まれて抱擁しあった。牧師の祈りが終わると、エドは彼女から離れ、空に舞い上がって見えなくなった。

私がヴァージニアからコロラドへ引っ越す直前のこと、私はまた、ボブ・モンローへのメッセージを受け取った。今度はエド・ウィルソンからではなかった。その年の初めに亡くなった、ボブの妻、ナンシー・ペン・モンローからだった。ボブは、日曜の午後のフットボールのゲームを一緒に観ようといって、山にある家に私を招待してくれた。私はダイエットの炭酸飲料を何本か飲んで、膀胱がいっぱいになり、トイレにいきたくなった。トイレのドアを閉めて、便器のフタを持ち上げたとたん、ナンシーがそこにいるのが感じられた。「ブルース、もしよろしければ、私のメッセージをボブに届けていただけないかしら」と彼女が言うのが感じられた。「もちろんいいですよ」私はトイレに来た目的を果たしながら、気もそぞろに答えた。「あら!ごめんなさい!終わるまでよそを向いているわ」「ありがとう、でもご心配なく。プライバシーなんていう幻想は、とうの昔になくしてしまっていますから」私は笑いながら答えた。

私が用を済ますと、彼女はもう一度、頼みごとをしてきた。「ボブに、私がまだここにいて、彼のことを今もとても愛してるって、伝えてくださいな。彼がここに移ってくるときが来たら、私は待っていますって、伝えてください」「喜んでお伝えしますよ。私が実際にあなたとコンタクトしたんだと信じられるほど、ボブが私の能力を信じてくれるかどうかはわかりませんけどね」「それが彼の反応なら、それでいいんです。伝えてくださる?」「もちろんですとも」ナンシーの感謝が感じられ、そして彼女は去っていった。私はフットボールの試合を見に戻って、ボブにトイレで起こったことを話し、ナンシーのメッセージを伝えた。彼のリアクションからして、私の言ったことをたいして信用していないことがわかった。彼は、ナンシーが行ったところには、誰も半年以上留まっていることはないのだ、という自説を話してくれた。そう言いつつ、彼の顔にはつらそうな表情が浮かんだ。彼が私を信じられればいいのに、と私は思った。生涯の愛を捧げた相手がまだ待っていてくれると知れば、きっと慰めになったはずだ。

1ヶ月半のうちに、私はレベッカと一緒にコロラドに戻った。またコロラドで子どもたちのそばに住めるのは、とても嬉しかった。彼らを残していった目的は達成された。私は子供たちをいったん手放し、そして今また、子どもたちは私の人生に戻ってきたのだ。


注1・・・付録Aについては次の記事で紹介します。


個人的な感想

ブルースは死後世界の人物とかなりの頻度でコミュニケーションを取っていたことがうかがえる章でした。また、次の付録Aを読んでもらうと分かるのですが、元エンジニアだけあって物理などに詳しいですね。彼だったからこそ、その道の知識基盤を必要とする人物とコミュニケーションできたのでしょう。そして、トイレでの出来事はあるあるだと思いました。私はそこまでリアルなコミュニケーションはないのですが、トイレでインスピレーションや会話が降りてくる、ということはしばしばありました。私の場合は、それが想像や妄想なのか、チャネリングなのかは証明できませんが。それではまた。




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