東京裁判

思えば不思議なもので、こんな内容の文章を投稿していてもアメリカの映画、特にSFや戦争、ホラーが好きで、アメリカには魅力を感じる。
それは日本と違って資源が乏しくなると精神論的に狭小な枠を攻めざるをえなくなる、壊滅的な状況に追い込む事が比較的少ない考え方をするところに魅力を感じているのかもしれない。
もちろん、日本の精鋭主義も光るものがあり、それはそれで美しく力強い魅力を感じるのだが、アメリカは物量的に多くを持って攻め、あくまで論理的、数字的に思考する部分に共感するのかもしれない。
そこには滅びるというよりも、救うという概念が残されている気がする。
結局のところ、現代の欧米を批判したい訳ではなく(過去の欧米の行為は批判する事がある)、自分は過去の日本の志や想いを救出したいのだろう。それは多くの国民に忘れさられ、誤解されてしまったものであり、その部分を救出していく事が自分の内なる現代への反映を救う事にも繋がるのかもしれない。
これからの新時代への創造に向けて、自分にとってそれは必要な事なのかもしれない。

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