MJ

俺がバスケットボールを始めたのは小学校の2年生のころ。

あまりにも美味しそうにご飯を食べるからという、あまりにも理不尽な理由で両親から過剰なまでに食べ物を与え続けられた幼いころ、俺はクラスの中でも5本の指に入るほど太っていた。

自分の意志で肥えたわけでもないにもかかわらず、太り過ぎてよくいじめられたし、保健室主催の、今だったらとんでもなくバッシングを受けそうな名前だが、「肥満教室」なるものに呼ばれて生活指導を受けていた。

そんな中、いよいよ両親もこの事態を深刻に受け止め、何か運動をさせようと動き出した。

この記事の主な読者であろう10代の若者たちは知らないだろうけど、当時は日韓ワールドカップの前後ということもあり、巷ではサッカーが激流行りしていた。それもあってクラスの男子たちの半数以上はサッカークラブに所属しており、いたるところでサッカーが行われていた。

そんなこんなで両親は自宅のすぐ近くの小学校の校庭で練習していたサッカークラブの練習へ俺を連れ出した。

しかし当時からすでにとがりにとがっていた俺は、流行の隆盛期にあったサッカーに対し拒否反応を示した。それがどうしてだったかは正直よく覚えていないが、クラスの大多数の男子が所属しているサッカークラブに自分も入るのが嫌だったのだろう。俺は今も昔もマイノリティでありたかったのだ。

そうして無理やり練習に参加させようとする父親に「やりたくない!」と駄々をこね、泣き出す始末。しかし、運動はしないといけないことは自覚している。

困り果てた父に対し、俺は湘北高校の三井かのように「バスケがしたい!」と言い放った。

どうしてバスケだったのか?それは遡ること2年前、保育園に所属していた俺は昼休みに皆が泥遊びや鬼ごっこをする中で、一人で庭のバスケットゴールで遊んでいた。その記憶があったため、バスケならやりたいと思っていた。

そうしてなんとかサッカークラブに入ることは免れることができたが、どこでバスケができるのか?クラスメイトにはバスケットクラブに入っている子はいなかったし、室内競技のため、普段の生活の中でなかなかバスケットクラブの存在を目にすることはない。それに今はネットなどもまだそこまで普及しておらず、地域の情報などはインターネットで調べることもできず、チラシや地域の情報誌を頼るしかなかった。

そんな中、母親がある日「スーパーマーケットにバスケットクラブのチラシが貼ってあったよ!」と知らせてくれた。それは意外にも隣町で自宅からも自転車で通える距離だった。

飛び上がるほど嬉しかった。とにかくサッカーや野球は死ぬほど嫌だったのでそれをなんとか回避できたことが救いだった。

そうして俺はバスケットボールに出会い、のめり込んでいった。そんな絵にかいたような典型的なバスケ少年だった俺がNBAと出会うのは時間の問題だった。

当時はBS放送でNBAの試合が週1~2試合ほど深夜に録画放送されており、それをVHSに録画して視聴していた。だんだんとNBAを知っていくうちにマイケル・ジョーダンという選手に行きついた。

マイケル・ジョーダン、通称「MJ」またの名をバスケットボールの神様、シカゴブルズを2度の3連覇に導いた伝説の選手。あまりにも有名なこれらの事実を俺は後々知っていくことになった。

というのも、俺がNBAを観始めた当時、MJは全盛期をとうに過ぎ、2度の現役引退の後に3度目の現役復帰を果たし、ワシントンウィザーズに所属していた普通の選手に過ぎなかった。また、MJは既にその年限りで3度目の現役引退を発表していた。チームはプレイオフ出場争いをしていたが、シーズン終盤にプレイオフ進出が絶望的となり、シーズン最終戦がMJの引退試合となることが決まった。

当時の俺からしてみたら、マイケルジョーダンという今は普通の選手だがなんか昔は凄かったらしい選手がこの試合で引退するから観とこうかなー、ぐらいのテンションだった。

そして迎えた引退試合、アウェー戦にもかかわらずMJがシュートを決める度に大歓声。試合は対戦相手のフィラデルフィアシクサーズ優勢で進み、4Qに入るころにはシクサーズが大差でリードしていた。

そして4Q終盤、ベンチに下がっていたMJに対し、会場からは "We want Mike" の大合唱。その歓声に応えるようにMJは再びコートへ。会場のボルテージは最高潮に達した。誰もがMJをコートで観ることができる最後の瞬間を迎えたと確信した。コートに戻ったMJはファウルを獲得し、2本のフリースローを沈めるとさらに大歓声。その後自チームの選手がファウルで試合を止め、MJはベンチへ下がっていくと、会場全体からスタンディングオベーション。試合中にもかかわらず永遠にスタンディングオベーションが続くのかと思うほど鳴り止まぬことはなかった。

とにかくセンセーショナルな映像だった。スタンディングオベーションのシーンは今も脳裏に焼き付いている。こんなに引退が惜しまれる選手なんてどんな偉大な選手なのだろうと幼心に思っていた。

当時はYouTubeなども無かったからMJの全盛期のプレーを能動的に見ることはできず、たまにテレビ放送の名場面プレイバックなどで流れてくるMJのハイライトや彼の成し遂げた偉業を見て徐々にMJという伝説のプレイヤーの輪郭をつかんでいった。

そして時は流れ2020年。新型コロナウィルスが猛威を振るう中でステイホームを余儀なくされる中、Netflixであるドキュメント作品を視聴した。

それがマイケルジョーダンのシカゴブルズでの6度目の優勝を果たす、そして彼がシカゴで過ごす最後のシーズンを追った "The Last Dance" だ。

この作品を観るまではMJはただ才能があってスコッティピッペンやデニスロッドマンなどの優秀なチームメイト、フィルジャクソンという名コーチなど周りにも恵まれ、6回も優勝したすごい選手だと思っていた。

だが違った。たしかにそれは事実だが、シカゴブルズの6度の優勝そしてMJのバスケ人生にはとんでもなくドラマがあった。

彼はプレイで魅了するだけでなく、それ以上にその人柄や境遇こそが人々をこれほどまでに熱狂させたのだと悟った。それが引退試合での鳴り止まない称賛につながったのだとようやく理解した。

MJがNBAを席巻した時代に生まれていなかったことを後悔した。彼の壮絶な人生を共に生きたかった。

NBAは今もレベルアップし続けているし、プレイだけで言えばMJに匹敵する選手は俺が観ている時代に何人も現れた。コービーブライアントはMJとよく比較されるし、通算得点では彼を超えた。レブロンジェームスも通算得点でMJを超えて、今もなお現役で記録を伸ばし続けている。レブロンはMJ以上のプレイヤーだという声もある。ステフィンカリーも彼らに肩を並べる存在になるかもしれない。

それでもここにあげた選手たちはMJほど心に刻まれる選手にはならないだろうと断言できる。もちろん彼らのバスケ人生にもドラマがあり、数々の苦難を乗り越えて今の地位を確立したことは理解している。

でもMJには敵わない。その答えはThe Last Danceにある。まだ観てない方はぜひNetflixで。



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