映画監督になれなかった映画批評家と、シルバニアファミリー以下のわれら。

子供がシルバニアファミリーで、人形に自分を投影させて遊んでいる。朝食が出来たと思った瞬間に落っことして失敗する寸劇。2階から転落して痛い痛いと叫ぶリス。まだ2歳なのにコメディを創作して遊んでいる。

一方で我々も、映画の主人公に自分を投影して遊んでいる。模倣というその遊びの本質はシルバニアファミリーと何ら変わらないし、しかも我々は他人の脚本をなぞっているのだから、むしろ子供よりも創造性で劣っている。

いったいどこの時点で、我々は自分でストーリーを作るのを止めたんだろうか。夢の中では自由にストーリーは紡げるのに、目覚めると止まってしまう。

「映画批評家は、映画監督になれなかった人だ」という言葉があるが、目覚めている時は批評するのに忙しくて、創作している暇などないのだろうか。

まだちゃんと話せないのだから、批評をするわけもない子供が無心でシルバニアファミリーをしているのを見ながらそんな事を考えた。

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