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現在のはなし11新しく造られる言葉について考えてみた。



新しい言葉が広まるとき、
いままで何も無かったところからエネルギーが生まれ、人々の行動や思考を変化させると感じたので、その事について書いていきます。

行動を変化させるという意味でいうと。。
例えば おやじ狩り トー横キッズ たちんぼ
というように言葉が生まれることで、
考えたことも無かった世界観を知ることになります。
ちょうど経済状況や環境と重なることで、
そっちの方向に引き寄せられた人に対して、行動を変化させてしまう力があると思った。
そのような人々がおかしいという事では無く、
その言葉を"知らなければ"動かずに済んだ人もいたのではないかというひっかかりがある。

他にも、
ウイルス騒動中に。。
マスク警察 ソーシャルディスタンス 3密 クラスター ステイホーム 
最近では。。
◯◯ハラスメント (10種類以上あるようですが、沢山ある事が逆に言葉を過剰に作りすぎていないか?という疑問を抱いた)

このような"造語"が生まれることによって、
さまざまな状況での分断を生みだしてしまうことになった。

これからも似た状況が起こった場合
自分が正しく、相手が間違っているという思考は一旦横に置き、お互いの状況に想いを巡らせたり考え方を尊重できる"余裕"さえあれば、小さな分断は防げるのではないかと思った。
対立を起こしている間に、
その姿を遠くからワインでも飲みながら映画を見るように眺めている人々がいる。
(見ている視点が違う人)
そういった人々の精神状態はやはり同じように"余裕"があるのではないかという事を想像できる。

なぜ、このような"造語"を生みだしメディアで繰り返し流されるのだろう?という部分まで思考が辿りつかずに流されてしまう人々の末路は、
気づいたら全体の空気にコントロールされて過激な行動を起こす可能性があるのではないか。そこに対して一番恐れている。 
(普段はまわりと歩調を合わせられる優しい人柄が、
非常事態においては流されやすく弱い部分がマイナス方向に働き、危ない行動を起こしかねない脆さ)

そういう状況にならないことを願っているし、
自分自身にも弱い部分があるからこそ、このような気づきが頭に浮かんできたのだと思う。
なんて世知辛い世の中だと錯覚してしまいそうになりますが、これも"造語"という現象の中で感じた1つの角度から見た、主観的な話です。

同じものを見ても、感じ方、気づく事、人それぞれ。
だからこそ、その違いが楽しくもあり、苦しくもある。

そんな感じで、、

お時間割いて読んでいただき、ありがとうございました!










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