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シンる アフターリーディング

ルマンド兄さん改め範頼兄さんのリーディングで情緒がお亡くなりになった話
(下書きしたまま投稿してなかったので今更ながら投稿。せっかく書いたし。)

初見からどうしてあそこまで“棟梁”に固執するのかずっと疑問だった。
あれはある意味、彼にとっての呪いだったのかもしれない。
幼い頃から母に聞かされた源氏の棟梁である父親の姿、その子となる範頼を身篭ったことへの誇り。
父親の討死と平家の台頭で変わってしまった母に幼いながらに源氏の復興を誓ったのは、源氏の血を引くことがどれだけ誉れ高きことなのかを誰よりも理解していたから。
範頼にとってそれが自分の全てだったから。
ある種の呪いであり、業だ。
そしてそれは、神にも匹敵するほどの“棟梁”への崇拝に変わる

範頼兄さんの悪いところは、義経の言葉を借りるなら頭ごなしに決めつけてしまうところだと思うよ。
貴族に育てられたという背景も相まって知識や視点が狭まってるところは否めない。
ただ、自分を律するのは喜びだったという言葉から察するに、源氏の人間としてどう見られておくべきかを常に考えていただろうから、それを表に出すことはしていない。
でもそれは裏を返せば“本心”を誰にも見せていないということでもある。
義時は頼朝の一番の理解者であったし、義経には弁慶と静という思いあえる仲間がいた。
ただ、範頼だけは誰にも本当の想いを理解されないまま散っていくのが苦しくて仕方がなかった。
きっとそこに理解者の顔をした時政が近づいたんだろうけど。

ところで、私がシンる初めて見た時に感じた源氏三兄弟の悪いところ言っていい?
誰も話聞かないよね。頼朝も義経も範頼も。
たぶん3人ともあれで対話してるつもりなんだよなぁ。ただ、あまりにも共通認識が違いすぎるから全員が全員「何故分かってくれない?」になる。
それは生まれ持った性格が、育ってきた環境のせいか、はたまた違う何かなのかは分からないけれど話している言語が違うレベル。
今回のアフターリーディングでは、壇ノ浦での会話が特に顕著だった気がする。
自分という1人の武士を見て欲しかった義経と、自分なんかよりも源氏という血筋と源氏の“棟梁”である頼朝を守りたかった範頼。
真逆すぎて噛み合わないはずだよ。そもそも全ての定義が全然違うんだもの。

義経は個人主義というかわりと現代的な考え方なのに対して、範頼は封建的。ある意味時代に合った考え方をしていた気がする。とはいえ2人とも極端すぎるんだけども。
範頼の一世一代の直訴すら、下賎な者と認識している弁慶の声にいとも簡単にかき消される。
この瞬間まで源氏を思い続け、棟梁を崇拝していた範頼が源氏を裏切る選択をするんだから、それだけでどんなに失望したか分かる。
きっと今まで自分の中で折り合いを付けてどうにか保ってきた糸がぷっつりと切れてしまったんだと思う。

幼い頃からずっと抱いていた崇拝が形を変えた瞬間を北条時政は見逃さなかったわけですね。更に切ない。
たとえ頼朝が討たれたとしても、時政は義経を棟梁にするつもりで、範頼が棟梁になることはないわけで、火付けの大罪人の汚名でも着せられて捨て駒にされるのが関の山。
どちらに進んでも範頼に希望は無かった。

何が1番業が深いかって、かつて平家を憎みながら見下ろした火事を今度は自分が起こしているところ。
「私は火をつけた」
「どこへ?」と問う声の落ち着きようが恐ろしくて仕方なかった。
壇ノ浦の海辺で起こした焚き火と、鎌倉の家々を焼く炎。
範頼にとって“火”はいったい何の象徴だったんだろうね。

頼朝はいつ範頼の裏切りを聞いたのだろうか。そこで彼は一体何を思ったんだろう。
「範頼は時政に唆されて自分が棟梁になるために裏切った」
周りが事実として分かるのはそれだけ。
その裏に隠れた源氏再興への思いと様々な葛藤は誰も知らないまま、裏切り者というレッテルだけを貼られてしまったんだろうか。
だとするならば、とことん報われない人生だ。

話は変わりますが、初見の時から義経・頼朝は家紋を背負ってるのに範頼兄さんだけ背中に源氏の家紋がないの罪深いなぁって思ってたんだけど、アフターリーディング見てたら全然違う気持ちになった。
あれだけ“源氏の棟梁”に固執する範頼が家紋背負えないの何故?っておもってたんだけど、逆だったの。
“源氏の棟梁”に固執しているからこそ、家紋を背負うべきではないと思ってるんじゃないかな

本当に誰より器用なようで、誰よりも不器用な人だ。

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