学内では校長が憲法より上位扱いなせいでブラック校則かえられないってアニメ黒執事寄宿学校編かよ、私は現実世界では学生時代から底辺層なので校長さんに会ったことないなぁと思いながら学校関連の記事PDF魚拓

学内では校長が憲法より上位扱いなせいでブラック校則かえられないってアニメ黒執事寄宿学校編かよ、私は現実世界では学生時代から底辺層なので校長さんに会ったことないなぁと思いながら学校関連の記事PDF魚拓。



また、2022年12月には、教師用の生徒指導に関するガイドブックである「生徒指導提要」が12年ぶりに改訂され、子どもの権利を尊重すること、校則見直しを進める際には生徒の意見を尊重することなどが記載された。こちらも改善が見られる学校もあれば、私立学校を中心に、生徒が声を上げても、ほとんど聞き入れてもらえないケースもいまだ多く存在する。

このように行ったり来たりをしている校則問題だが、生徒を交えた校則議論が広がるのも今回が初めてではない。過去を振り返ってみると、戦後3回、校則見直しの議論は盛り上がっている。

1回目が、戦後すぐから1950年代。戦後、GHQが日本を民主国家にするため、生徒会(生徒自治会)やPTAを導入し、その時、文部省が作成した「新しい中学校の手引」においても、学校を民主化することが記載された。

生徒会の目的は「生徒をして、民主社会における生活様式に習熟せしめることである」とし、学校の活動は「民主的でなくてはならない。そのためには、学校は、生徒の活動に関する生徒との協議会をいろいろ持つことが必要である。

……いろいろな協議会の中には、校則や、学級のきまりや、学級文庫・学校図書館の規則を推薦するための協議会」と記述している。

これを受けて、各学校で民主的な取り組みが広がった。例えば、都立第一高校(現在の日比谷高校)の生徒会は1949年に「星陵生徒会自治憲章」を制定し、第4条では「(生徒会)会員代表、PTA代表、校長で三者協議会をおき、相互の意思疎通をはかる」とされた。
子どもの権利条約を世界で158番目に批准

しかし、1950年には憲章を改正して校長の保留権が入り、生徒自治から「特別教育活動としての生徒会活動」に転換した。

それでも、千葉県立東葛飾高校では、1969年に生徒会と職員会の二者で「教育制度検討委員会」を設置して話し合い、選択授業・自由研究導入、服装条項以外の生徒心得全廃(1972年に制服廃止)、職員生徒連絡協議会の制度化などの改革を実現し、二者協議会は他の学校にも広がっていった。

だが、進学校で受験シフトが強化されたのに加え、1970年代以降、学生運動に対する反発として、抑圧的、管理教育的なアプローチが取られ、民主的な取り組みは萎んでいった。後述する部活動の強制加入も含め、戦後目指してきた日本の民主化教育から、今へと続く管理教育への転換を考えるにあたって「1969年」は非常に重要な年になる。

戦後2回目に学校の民主化が盛り上がったのは、1990年代。1989年に、国連で子どもの権利条約が採択され、日本は1994年に批准した。これを受けて、子どもの権利条約の意見表明権に基づいた生徒参加論が研究者や日本弁護士連合会(日弁連)などから提起された。
その代表例である、長野県辰野高校では、1997年に学校に関する事柄を、生徒・教職員・保護者の代表者らが話す「三者協議会」を設置。アルバイトや服装の校則、授業が改善されるなど、生徒、教職員、保護者が、学校運営の主体として意思決定に関わっている。しかし、政府の対応が消極的で、自主的な取り組みだったため広がりには欠けた。

日本は1994年に子どもの権利条約を世界で158番目と遅く批准したが、批准した直後の1994年5月20日、文部省は「児童の権利に関する条約」について通知を発出した。

その中で、「本条約第12条1の意見を表明する権利については、表明された児童の意見がその年齢や成熟の度合いによって相応に考慮されるべきという理念を一般的に定めたものであり、必ず反映されるということまでをも求めているものではないこと」と記載し、暗に子どもの権利条約を批准しても、大きな変化がないことを示した。

これにより、先生が決めて児童生徒は従う、というパターナリズムの構造が変わらないままとなった。前述の通り、パターナリズムとは、強い立場にある人が、弱い立場にある人のためを思って、代わりに意思決定することである。しかし、本人の意思は確認しないため、本当に本人のためになっているかはわからない。さらに、数ある選択肢から自分で意思決定(自己決定)する力も育たないなど弊害は多い。

こうした政府の消極的な態度もあり、積極的に子どもの権利条約の中身について周知はされず、子ども本人も、教員も子どもの権利の内容について十分に知らない状態となっている。

公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが2019年に全国の15歳から80歳代までの3万人を対象に実施した子どもの権利に関するアンケート調査結果(「子どもの権利条約採択30年日本批准25年3万人アンケートから見る子どもの権利に関する意識」)によると、子どもの権利条約に関して、子ども8.9%、大人2.2%だけが「内容までよく知っている」と回答し、子ども31.5%、大人42.9%が「聞いたことがない」と回答した。
2000年、学校教育法が改正され、それまで実質的に意思決定機関となっていた職員会議の位置付けを見直し、職員会議は「校長の補助機関」となり、校長の権限が強化された。

さらにあたかも職員会議で議論するなと言うように、2006年には東京都教育委員会が職員会議で、「挙手」「採決」などの方法で教職員の意思を確認する運営を行ってはならないとする通知を都立学校長に出した。

2014年には文科省が東京都教育委員会と同様の内容の通知を出し、翌年にはそれが守られているかどうかの全国調査を実施して、守っていない学校には是正させた。こうして教員同士の合議制が失われ、生徒に対しても、言われたことを守る態度が求められるようになっていく。

2006年、教育基本法が改正され、そこでは、「国を愛する態度を養う」とともに「規律を重んずる」教育(第六条)が定められ、自分の頭で考えて、批判的に物事を見る子どもより、規律を重んじ遵守する子どもが「良い子」とされた。そして、翌年には文科省が「問題行動を起こす児童生徒」には毅然とした指導を行うよう通知し、「ゼロ・トレランス」と「スタンダード」が広がることとなった。

「ゼロ・トレランス」とは、1990年代にアメリカで広がった生徒指導で、学校側があらかじめ規律と懲戒規定を明示して、それに違反した生徒を例外なく処分するという方法である。トレランスとは、寛容さという意味で、無寛容に対応していくということである。

「スタンダード」は、「授業中は姿勢よく座る」「掃除は黙って行う」「廊下は静かに右側を歩く」といった、持ち物の規定や授業を受ける時の望ましい姿勢などを示したルールである。これが小学校から始まっており、細かく〝正しい〟行動が求められている。こうして、「期待通り」、「上」が決めたルールに自分を合わせる子どもが増えている。


写真/shutterstock

なぜ日本からブラック校則はなくならないのか…校則は憲法より上位の存在、その校則の権限は校長に絶対的に委ねられている現状

なぜ日本でブラック校則がなくならないのか? 若者の声を政治に反映させる「日本若者協議会」代表理事・室橋祐貴氏によると、戦後70年間を経て、むしろ学校側が生徒を管理しようとする風潮は強まっているという。
著書である『子ども若者抑圧社会・日本 社会を変える民主主義とは何か』より一部を抜粋・再構成し、日本の教育の変遷について解説する。



なりすまし問題、本来は女子校での論点ではない?

「まず大前提として、女子校といった教育現場において、なりすまし問題の可能性は限りなくゼロに近いので、論点のひとつになっていること自体がおかしいと感じます。公衆浴場や商業施設のトイレなど不特定多数の人が出入りするような場所と、学校というある意味閉ざされた空間で起こり得る問題は、まったく別ものと考えるべきでしょう。

そして、中学生なら12歳、高校生なら15歳という生徒が女子校に忍び込むために、意図的に性自認を偽って女性になりすますというのは、想定としてあまりに非現実的。自分の家族や近隣住民、教員、友人との密な関わりがある中で、それらをすべて騙して『下心』だけで入学までこぎつけるということを子どもがするでしょうか」(東氏、以下同)


入学後にトランスジェンダーではなかったと気づくことはあっても、女性に対する下心や悪意を持って最初から入学する子どもはいないに等しいとのことだ。

「学校というのは、馴染ある顔ぶれが日常生活を共にし、勉学や諸活動に励む場です。ある意味閉ざされた世界なのであって、かつトランスジェンダーの生徒は完全なマイノリティです。入学前から注目される『学年や学校にたった一人』であるという状況を想像してみてください。

トランスジェンダーの存在が脅威になるかのように語る周囲や社会が、その生徒にとって学校を不安全で生きづらい場にしてしまうことはあっても、その逆は限りなくありえない話なのです。むしろ、そうした語りが子どもの尊厳を傷つけ、教育の機会を奪いかねないだけに、そちらの問題のほうがよほど深刻です」
なるほど、現実的に考えれば女子校へのなりすまし問題はほぼ心配ないということか。とはいえ、保護者のなかにはそれでもなりすましを不安視する層もいるだろう。「なりすまし」を排除するための審査など、対策はどうあるべきなのだろうか。



「戸籍や出生証明書上の性別とは異なる性別で入学を希望する場合、おそらくその生徒は事前に専門外来に連れて行かれるなど、専門家のアセスメントを受けているはず。診断書の提出を求める学校が多いという話も聞きます。しかし、専門家の意見書があり、本人の自己判断・自己決定能力に問題がないことが確認できれば、それ以上の過剰な審査は必要ないと思います。



「なりすまし」といった事件が起こると、「ほらやっぱり」といった声がトランスジェンダーの子どもたちの耳にも届くことでしょう。犯罪者と同一視されたり、そうした疑いの目を向けられることは、当事者にとって恐怖以外の何ものでもないはず。トランスジェンダーの生徒を危険視するよりも、彼らをそうした恐怖から守ってあげるために、私たち大人には何ができるだろうかという想像力を持つことこそが大事ではないでしょうか」
差別を助長するかもという認識が薄いことが大問題

日本では現状、トランスジェンダーの生徒についてどのような対応がとられているのだろうか。

「2016年に文部科学省が発表した、性同一性障害や性的指向・性自認に係わる児童生徒への対応例をまとめた教職員向けの冊子には、トランスジェンダーの生徒のトイレ使用時の対応事例として、『教職員トイレ・多目的トイレの使用を認める』が紹介されています。

女子トイレの使用を禁止する理由として挙げられるのは、周囲の生徒への配慮です。ここでもまた、「なりすまし」問題と同じで、盗撮などの性犯罪を目的とした男性が紛れ込むイメージで、トランスジェンダーの生徒が混乱を引き起こす原因として語られ、対策すべき対象として扱われてしまっています。

しかし実際のところ、どうなんでしょうか。トランスジェンダーの生徒が女友だちと仲よく手を繋いで女子トイレに入ろうとしたところ、先生に止められて、多目的トイレを使用するように指導されたというエピソードを聞いたことがあります。別の例では、カムアウトしていないトランスジェンダーの生徒が、いつもひとりだけ遠くにある多目的トイレを使うので同級生が不思議がり、説明に困るといったエピソードもあります」
ちなみに2024年度入学者よりトランスジェンダーの受験資格を認めた日本女子大学では、トイレ問題に対して学内の建物ごとに多目的トイレを設置することで対応しているという。

東氏は文科省のトイレ問題への対応策をはじめとして、日本の教育現場におけるトランスジェンダーの生徒に対する“区別”や“隔離”には、大きな問題点があると指摘する。

「同じトイレを使わせないでと訴える同級生がいないとは思いません。しかし、その理由が不安によるものなら、その不安を解消するための対話や教育など、あらゆる努力をすべきであって、問題解決の手段がマイノリティの隔離であってはならないと思います。


トランスジェンダーを他と区別したり、隔離したりして周囲とは違う対応をすることは、その生徒の尊厳を大きく傷つけることになります。

文科省が紹介しているトイレの対応事例もそうですが、日本ではマイノリティの生きづらさを想像し、問題解消を図ろうとするよりも、『周囲の理解、周囲への配慮』が優先されてしまう。声をあげたくてもあげられない、声をあげても届かない中で、彼らの生きづらさはいつまでも放置されてしまうことになります。

トランスジェンダーの生徒の生きづらさを解消していくためにも、まず何に困っているのか、どんな風に困っているのかに耳を傾け、想像力を働かせることが重要だと思います」

取材・文/瑠璃光丸凪/A4studio 写真/shutterstock

女子中高で“トランスジェンダー受け入れ”が進まない本当の理由「下心ある男がいくらでもなりすませる」などと茶化していていいのか《日本の教育現場が抱える曖昧さ》

いま首都圏・近畿圏を中心とした中高の女子校で、トランスジェンダーの学生を受け入れることへの議論が進んでいる。国内でもすでに女子大では受け入れている大学もあるが、中高生という多感な時期ということもあり不安の声が挙がっている。性科学やジェンダー問題について詳しい、大阪公立大学教授の東優子氏に聞いた。




4月に札幌市の市立中学校で教員が生徒の個人情報が記載された資料を一時紛失した問題。市教委は5月24日の記者会見では「学校外への流出やSNSなどでの拡散は確認されていない」と説明していたが、6月5日、SNS上にその資料とされる画像が流出していることがわかり、ネットでは大炎上。この個人情報記載の資料流出問題を、現役教師たちはどう見たか。 引継ぎ資料で教師たちがよく見かけ、注意する内容とは…

投稿や報道を見て「ゾッとしました」

ことの発端は4月10日のことだった。札幌市内の市立中学校の体育館で行なわれた学年集会で、中学1年生のクラスを担当する女性教員が資料をはさんだファイルを体育館のステージ脇の演台に置き忘れた。 資料には1年生267人分の氏名、性別、学習の状況や友人関係、家族状況、病気、障害などを含む生徒の“個人情報”が細かに記載され、さらには「低学力」「ちょろすけ」「父親うるさい」といった一部の生徒を中傷するような表現もあった。 女性教員は数日後にファイルの紛失に気づき、同僚教師らと捜索するも見つからず、4月18日に体育館の舞台袖から発見された。 その後、市教委は4月25日付で「学校外への流出やSNSなどでの拡散は確認されていない」と公表していたが、6月5日に有名インフルエンサーのSNS上で女性教員が紛失したとされる資料3点の画像が投稿された。ITライターは言う。 「ファイルは複数人の生徒が閲覧した後にスマホで撮影され、その画像が次々と生徒間に出回った後、何らかのルートでインフルエンサーの元に渡ったようです。 SNS上ではこの資料とされる3枚の画像が6月5日15時44分に投稿され、同日22時時点で1500万回以上の閲覧数に上り、6月6日13時に削除されました。ですがすでに複数の“魚拓”がとられており、この画像を完全にネット上から消すことは難しいでしょう」 この一連の投稿や報道を見て「ゾッとしました」と答えたのは埼玉県の公立小学校教師のAさん(38)だ。 「もし自分が流出させてしまったらと思うと想像を絶します。この資料は主に“引き継ぎ資料”などと呼ばれているもので、生徒の現況把握や生徒と接する上で重要な情報をまとめたものです。公立の小中高では必ず作成するもので、クラス替えには欠かせない資料。 一部報道では生徒の行動や特性について『中傷のような内容』と書かれていましたが、生徒が安全に学校生活を送るため、かつ保護者とスムーズにやり取りするための申し送り事項なので、決して教師が中傷目的だけで書いたものではないと思います。 私の職場ではふだんは職員室の耐火書庫に保管されており、職員室外に持ち出しは不可です。扱いには細心の注意を払うものだからこそ、今回の紛失事件の顛末は肝を冷やす思いで見ていました」 では、この引き継ぎ資料、具体的にどのような内容となっているのか。 「今回の流出資料は右から順に『親配慮』といった情報や担任のコメントが書かれていましたが、書き方は学校によっても違い、先生の癖も出ます。 私の学校では1年生から5年生は一番左側に『名前』、真ん中に『運動』『学力』『リーダーシップ』『社交性』などの項目ごとに◯か△で評価する欄があり、一番右に備考欄としてアレルギーの有無や『ケンカっ早い』といった要注意事項や、『◯君と同じクラスにしないほうがいい』などのクラス編成に関係する内容を書きます。保護者の性格などを記すこともあります」
「親の気質や家庭環境のことを記す必要性はある」

都内の公立小学校教師のBさん(39)は「“引き継ぎ資料”は基本的に事実に基づいた内容しか記載しません」と語った。 流出した資料には「父親うるさい」などとも書かれており「ただの文句では?」と問うと、Bさんは「親の気質や家庭環境のことを記す必要性はある」と説明した。 「家庭環境を書く必要がある理由は、その影響で提出物が出せなかったり、持ち物の準備ができなかったりする子どももいるからです。例えば、シングルマザーの家庭の子には不用意に父親の話をしないように配慮もします。 また、家庭によってニーズがさまざまで『ちょっとしたことでも必ず連絡してください』という家庭もあれば、逆に『そんなことで連絡してこないで』という家庭もあるからです」 かつて問題児童が多い中学校で教員の経験があるCさん(39)は親に関してのこんな書き込みを目にしたという。 「『母親がシングル。1月、2月と母は家を空けることが多く祖母宅から通学していた』といった記述や『家に母親の交際相手らしき人物が長く同居。その後、母親はその方との間の子供を出産』との書き込みも見ました。 教師としては子どもの通学ルートを把握するのは大事なので、自宅ではないところから通学しているのであれば、それは必要な情報です。また、母親の交際相手がどんな人物であるかや、子どもが生まれた後の精神的ケアが必要な場合もあるのですべて重要事項といえます」 Cさんはこうも続ける。 「今回、流出した資料は一般の方が見たら中傷にしか見えないかもしれませんが、教師の立場としては、よく見る内容だなという印象です。例えば流出資料内に『鼻をほじって不潔』などの記述もありましたが、これも潔癖な生徒と席順を隣同士にしないなどの配慮のためにも必要です」

「LGBTQ傾向」と記載するのはトイレや宿泊学習での対応のため?

前出のBさんも同じ意見だった。 「流出資料内に『LGBTQ』との記載があったことについて、Xでは『LGBTQって書いてあるけど診断されてるの?』『決めつけだろ』という意見もありましたが、診断がなかったとしても、教師の視点の注意事項としては引き継ぐべき内容です。LGBTQ傾向の子供はトイレや宿泊学習時の配慮も必要ですから」 また、流出した資料には子どもの発達面に関する記述があった。これについてネット上では「生徒への中傷だ」などの声が多くあがっていた。都内中学教師Dさん(43)の学校では「ADHD」などの特徴は明記せず「もっている」などと書くことが多いという。 「私がかつて受け持っていた女子生徒は医者からADHD診断をされていたので『もっている。勉強が苦手。授業中に空気を読まず発言してしまう』などと記載しました。また、親もちょっと対応に注意が必要な方だったので『親要注意。長文メールが来る』と具体例を書いたことがあります」
生徒の生死に関わる事項が書かれることも…

取材に答えた教師たちからは“引き継ぎ資料”の中身について一定の共感や擁護の声がほとんどだったが、体育館に持ち出した上に置き忘れたことについては「ありえない」と口をそろえた。教師たちはふだんこういった資料をどう扱っているのだろうか。 「私の学校では、流出を防ぐために、データで共有するか、印刷したら会議後すぐにシュレッターにかけています。基本的に持ち歩くものではないです」(Aさん) 「校長室にある耐火書庫に入れて保管しており、鍵を開けた教員の名前や持ち出し日、返却日を書くような仕組みになっています」(Bさん) 「紙に書くのが怖いから、指紋認証しないと開けないiPadに情報を書き込んでいます」(Cさん) 都内の小学校のスクールカウンセラーや高校の非常勤講師として勤務歴のある50代の公認心理士のEさんは「引き継ぎ資料には生徒の生死にも関わる事項が書かれることも多々ある」と話す。Eさんは高校の非常勤講師として勤めていた時に、同僚の教師からこんな相談を受けた。 「公立の小中高には特別支援コーディネーターという生徒のケースカンファレンスを行なう先生がおり、その方から『ある女生徒が希死念慮を訴えており、学校の屋上から飛び降りるなどと言っている。 どう対応したらいいか』と引き継ぎ資料を見せられながら相談されたことがあります。引き継ぎ資料は子どもを守る上で大事なものです」 それならば今回のような流出が二度とないように学校関係者には重々気をつけてほしいものだ。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

集英社オンライン編集部ニュース班

「親うるさい」「低学力」といった生徒の個人情報記載の資料が札幌の市立中学から流出で大炎上。現役教師たちは「どこの学校でも作っている」でも…「置き忘れたのはありえない」  

6/8(土) 9:02配信







不登校や休みがちな子どもの状況は他の教員たちと共有している。 松下さん 「出勤前にお迎えに行って、午前8時くらいに行って、そこから家出るところから(学校の)下まで一緒に来ている。夏休み明けは午前4時に寝ているということがあった。ふらふらやった」 教頭 「子どもがきのう何時に寝たかを言ってくれるの?」 松下さん 「正直にいってくれます」 こうした会議は長時間にわたることもある。公立学校の教員には月給の4%が支給される代わりに残業代は出ない。中央教育審議会の特別部会は5月、4%を10%以上に引き上げるなどの提言をまとめた。 しかし、現場からは「残業時間の削減にはつながらない」などと批判の声もあがっている。 松下さんは日夏詩さんのお迎えを毎日続けていた。 ちょっとした変化も松下さんは見逃さない。 松下さん 「早くなったやん。きのう何時に寝たん?」 日夏詩さん 「午前2時」 松下さん 「ちょっとずつ早くなっているやん。4時が3時、2時って。何してたん?ゲームしてたん?」 中国からやって来たホさんはひらがなを覚え、漢字の読み書きができるようになった。クラスにも馴染んできている。 松下さん 「できなかったが、できるようになったときの喜びようが、ものすごいんですよね。こんなに喜ぶんやと。こんなに喜んでくれるんやって。子どもが喜んでくれる姿を見て、こっちも嬉しくなる。ああ教師になってよかったなと思う瞬間ですね」 ■児童に伝える“先生の仕事” 「疲れているのに、そういうの見せないのかっこいい」 2023年秋。2学期も半分が過ぎ、松下さんはある授業を計画した。将来の仕事について考える総合学習の時間だ。 松下さん 「将来なりたいお仕事はなんですかアンケートをしたんや。どんなお仕事がトップ10に入っているでしょうか?」「この中で一番ちょっとしんどそうやな。これはちょっとなー。続かんやろうなというのは?」 児童 「先生。教師」 松下さんが取り出したのはあの絵本だ。作った理由を初めて子どもたちに話した。
松下さん 「これを作るきっかけは担任していたときに『先生ってブラックなんですか?』って聞かれたんよ。めっちゃびっくりして、『なんで知ってるの?』って…。だけどその男の子は認めたんやと思ったんやろうなと。不安やったんや。しんどい部分も楽しい部分も伝えたいなと思って作りました」 教師という仕事をどんな思いで務めているか。少しでも知ってもらいたい…。 松下さん 「ねえねえ、先生ってどうして先生になったの?先生は、先生が子どものときの先生に憧れてなったんだよ。困ったことがあったら助けてくれて、でも悪いことをしたときは本気で叱ってくれて、そんな先生に憧れてなったんだよ。夢いっぱい、やる気いっぱいのみんなといられて幸せだよ。先生のお仕事は本当に虹色だよ」 児童 「本当は疲れているはずだけど、子どもたちにそういうところを見せないのがかっこいいなと」 児童 「授業のことを考えたりするのはわかっていたけど、そんなに大変だったというか、大変さをわかってなかった」 ■「もっとできることあったんちゃうかな…」 子どもと向き合う教師の本音 2024年3月。卒業の日を迎えた。 ホさんがこの学校に来て半年。休むことはほとんどなかった。 ホさん 「僕は将来医者になりたいです。そして人を救いたいです」 そして、日夏詩さん。卒業式の3か月前、『これからはひとりで登校させてほしい』と松下さんに申し出たそうだ。 日夏詩さん 「私の夢はキャビンアテンダントになることです。なので中学校にいったら英語を頑張ります」 「卒業できたのも松下先生のおかげです。忙しいのに、送り迎えしてくれてありがとうございます。将来は優しくて、先生みたいな人になりたいです」 子どもたちからは感謝の言葉が伝えられた。けれど、松下さんの思いは複雑だった。 松下さん 「できるかぎりのことをやってきたけど、やっぱりまだまだ教えないといけないこと、みんなにもっともっとできることあったんちゃうかなと。いくつもいくつも思い浮かぶ」

子どもにとって、教師との出会いはその後の人生に影響を与え、時に指針となる。だからこそ、心に余裕を持って、子どもたちと向き合いたい。それが松下さんの本音だ。

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学校はブラック職場? 先生に密着…“不登校や外国人”追われる対応、教育現場のリアル【報道特集】

6/8(土) 6:32配信




学力が低く、授業についていくことができない「教育困難」を抱える生徒たちを考える本連載。今回お話を伺った長瀬さん(仮名)は、偏差値40の教育困難校の卒業生です。教育困難校について「学力が低い」、「不良が多く、学校が荒れている」、「授業が成立しない」といったイメージを抱く人が多いかもしれませんが、実際に通っていた卒業生からは、どう映っていたのでしょうか。また、その経験を彼自身はどのように捉えているのでしょうか。自身も15年前に教育困難校を卒業した濱井正吾氏が、教育困難校の実情について伺いました。 【写真】教育困難校から努力の末、長瀬さんは慶応に合格した。写真は入学式の様子。

■教育困難校から慶応に合格  「学力が低い」「不良が多く荒れている」「授業が成立しない」。そうした学校は、しばしばネット上で「底辺校」、あるいは「教育困難校」と呼ばれています。  今回お話を聞いた長瀬さん(仮名)も、生徒が「タバコ、喧嘩、妊娠で退学」するのが日常茶飯事だった、偏差値40の教育困難校を卒業した人物です。  長瀬さんは高校在学時に、自身が置かれた環境に対して失望し、大学受験をしようと決意します。しかし、授業の内容が物足りないことに加えて、周囲からも勉強をしていることをバカにされていたそうです。

 それでも、慶応義塾大学に見事合格し、現在は教育関係の仕事に就いています。長瀬さんは、この環境で育ったことに「後悔はない」と言い切ります。  彼から見る教育困難校は、どのような環境だったのでしょうか。そして、彼が学校で得られた経験とはどのようなことだったのでしょうか。今回は、教育困難校の卒業生の1事例を見ていきます。  長瀬さんは、高卒の両親のもと、東京都で生まれ育ちました。祖母・姉・妹と一緒に住む、6人家族でしたが、親戚を含めて大卒者が1人もいなかったそうです。

 「私が生まれ育った地域は、都内でも田んぼがあるような、のどかでのんびりした場所でした。『勉強をしなさい』という家庭ではないので、塾には通わないまま、公立中学校に上がりました」  小学の成績は「普通」だった長瀬さんですが、中学1年生の最初の定期試験で、初めて「勉強ができない」ことに気づいたそうです。  「中学のテストでは、しっかり対策しないと点数が取れなくなってしまいました。私は小学校時代の基礎がまったくできておらず、そもそも試験対策をする必要があることすら、自覚していませんでした。5段階評価はすべて2~3。授業態度は悪くなかったので、1は取りませんでしたが、ここで初めて自分は『学力的にほかの人より劣っている』ということを実感しました」
中学2年生になるころには、「もう勉強では周囲には追いつけないと、諦める気持ちがあった」そうですが、学力を頑張って伸ばそうとは思わないまま、時間だけが過ぎ、受験シーズンに突入しました。  「中3になって、先生に『このままだと、行ける高校はないよ』と言われたのは覚えています。親からは『私立高校は(学費が)高くて、通わせられない』とも言われていました。一般受験のために勉強をしても間に合わないため、確実にいける通学圏内の普通科高校を探し、そこに推薦で進学しました」

■入る前から「あの高校だけはやめておけ」  彼が進学したこの高校こそ、当時偏差値が40の、いわゆる「教育困難校」だったのです。  「入学した高校は、ヤンキー校として有名でした。入る前から『あの高校はやめておけ』と周囲に言われていました。私も実際に入学するまでは不安だったのですが、『とりあえず高校生になりたい』とは思っていましたし、勉強ができなくても、好きなことにのめり込んでいる生徒がいるイメージだったので、自分と同じような価値観の人とも出会えるだろうと思っていました」

 しかし、特段進路について意識しないまま高校に入ってしまった長瀬さんは、入学してからその環境に驚いたそうです。  「タバコを吸っている人や、妊娠して退学する人などがいて……。びっくりしました。同級生が他校の生徒や、高校に通っておらずワルさをしている人たちと喧嘩をするという話を聞いたときは、本当に怖かったですね。よく覚えているのは、金髪にピアスをしているチャラついた集団が、バイクで出待ちをしていたことです。とんでもないところに来てしまったと思いました」

■270人いた同級生、1年で20人が退学  長瀬さんの学校は、「どのクラスにも必ず退学者がいる」ほど荒れていたようで、入学して1年で270人いた同級生のうち、20人が退学したそうです。  「退学する人たちは、個々の事情があるので、具体的な理由まではわかりません。ただ、気づいたら不登校になっていて、そのまま退学していたパターンが多かったです。おそらく、学校の勉強についていけなかった子たちが多かったのではないかと思います」
 「学校に行くのが怖かった」と語る彼は、入学してすぐ、自身の選択と、かつての怠惰な日々への後悔の念に苛まれることになりました。  「ここに居続けるとまずい」と思った彼は、できる範囲内での勉強を始めようと決意します。  「高校生活では、合わないと思う子が多く、価値観が合う中学のときの友達とつるむことが多くなりました。その子たちは育ちのいい子たちで、みんな偏差値60以上の高校に通っていました。  私は学校の中でよくないことが起こっても『これが普通なんだ』と錯覚してしまう部分があったのですが、中学の友達にその話をしたら、『普通じゃないよ』と言ってくれたことで、自分の状況に危機感を抱けたのが、とても大きかったと思います」

 この環境から脱出するために、勉強を始めた長瀬さん。手始めに学校の授業をしっかり聞いてみました。偏差値40の教育困難校の授業といえども、世間的なイメージとは違い、授業のレベルは極端に低くはなかったそうです。  「受験するという観点では、物足りないですが、アルファベットや掛け算・割り算といった初歩中の初歩のレベルまで遡っているわけではありませんでした。たとえば英語は中学英文法など、中学レベルの復習がメインで、日本史では高校の教科書を扱ってはいたものの、簡単な問題の空欄を埋めるといった、受験レベルというよりも、一般常識レベルのことを学んでいました」

 一方で、勉強に集中できるような環境ではなかったようです。長瀬さんに当時のことを深くお聞きしたところ、強く印象に残っていて未だに覚えているエピソードがあるそうです。それは、国語のテストの「未曾有事件」だそうです。  「授業中はみんな寝ているか、スマホをいじるか、先生の授業を妨害するか、というほぼ3パターンでした。そのような状況なので、生徒も勉強を真剣にはしていません。  例えば、国語の授業で『未曾有』という漢字を習い、テストでその読みを問われたのですが、あまりにも正答率が低くて先生も呆れていました。読み方を『みぞうう』と書いた生徒もいましたが、『もうそれが正解でいいよ……』と先生が言って、マルをつけてしまったんです。あの時のことは、未だに鮮明に覚えています」
■勉強しているとペットボトルを蹴りつけられる  このように、授業に集中するのが難しい環境の中で、長瀬さんは1人で孤独に勉強をしていたそうです。それが周囲からすると、異様に映ったようでした。  「休み時間に参考書を開いて、勉強しているのは自分だけでした。校内は治安が悪く、他の生徒が、床に落ちていたペットボトルを、私に対して蹴りつけてきたこともあったので、怖い人たちとは関わりを持たないでおこうと、彼らを避けていました。

 また集団の中で私の行動が異質だったので、まったく関わりがない人たちに、勉強をすることに対して陰口を叩かれたりしました。『勉強する自分がおかしいんじゃないか』と錯覚しそうになりましたが、中学の環境を経験していたので、勉強を続けることができました」  頑張って受験勉強に取り組んでいた長瀬さんでしたが、在学当時の学校自体も、決して勉強に協力的な環境ではなかったそうです。  「うちの学校は、生徒を怒ったり、勉強について厳しく指導するという空気ではありませんでした。生徒たちが『俺ら勉強なんかできない感じだし』といって諦めていたので、先生方の間でも、『生徒を救おう』といった空気ではありませんでした。

 勉強や受験指導に関してはもう、諦めの雰囲気が漂っていたんです。1人ひとりの勉強に真摯に対応してくれるというよりは、できない生徒を1人でもなくすという方針だったようで、私の受験勉強の質問などになかなか対応してくださる時間がありませんでした」  「勉強することがマイナス」という長瀬さんの高校に広がっていた価値観は、彼らの過酷な環境や、成功体験の少なさとも関係があるようでした。  「高校の同級生は、両親のどちらかがいない家庭が多かったようです。また、勉強だけではなく、何かを頑張って成果をあげたことがある人が少ないと感じました。『努力することがダサい』と思っていて、人の努力に対して無関心どころか、否定的だったのは、そうした要因もあり、自己肯定感が低いことも大きいのかなと思います」

1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場 タバコ・喧嘩・妊娠で退学が日常茶飯事だった

6/6(木) 5:51配信




生活保護世帯から東大で博士号をとるまで #1

貧困問題において、必ずと言っていいほど持ち出される自己責任論とは

「生活保護世帯から東大で博士号をとるまで」。そう題された一連のnote記事が話題だ。そのタイトル通り、生活保護受給家庭で育った著者のR.Shimada氏が東大を志し、数学者になるまでに感じた社会の手触りを克明に記した渾身の自伝になっている。 【画像】R.Shimada氏の人生を変えた一冊 前途有望なアカデミアが自身の専門領域に閉じこもることなく、社会のあり方について発言したことの意図とはなにか。R.Shimada氏に聞いた。

社会への怒りを表明したワケ

無駄のない人だと思った。R.Shimada氏は余分な前置きを排して質問にまっすぐ返してくる。「noteによる発信でもっとも実現したかったことは?」と問いかけたときのことだった。 「貧困という境遇のためにチャレンジする機会さえ奪われている次世代を励ますこと、今なお放置されている格差という問題を指摘すること、が主な目的でした。 ただ、執筆していくうちに、こうした問題の当事者である私が”怒る役割”を担う意味もあることに気がつきました。現代社会において、怒りを表明することはさまざまなリスクが伴います。たとえば会社員であればなにかの拍子に失職するかもしれません。 しかし大学の研究職は、その職務をまっとうする限りにおいては、自らの思想信条を表明することが比較的守られていると考えます。また、数学者である私が政治について考えていることを発言するのも、政治学を専門とする人が言うよりは受け入れられやすいのではないかとも思いました」 R.Shimada氏のnoteはSNSを中心にさまざまな著名人や文化人によって拡散された。狙いは奏効したと言っていいだろう。これほどまでに訴えたかった思いの背景には当然、生活保護世帯で過ごした日々が深く関わる。 「私は高知県に生まれました。漁師だった父は家にお金を入れない人で、母はいつも困っていました。家計はおそらく母の仕事で支えられていたのだと思います。しかし母は精神的にやや不安定なところがある人で、幼少期、妹と私を並べて『どちらかが死ぬか選べ』と包丁を突きつけてくることもありました。 今になれば、母なりに切羽詰まっていたのだとわかります。母方の祖父が亡くなったのをきっかけに家族で祖父が住んでいた家に移り住みましたが、その頃にはもう父と母はあまり顔を合わせなくなっていたように思います。 また、記憶が定かではないものの、小学生のときの私はやや問題児寄りだったのでしょう。担任の先生に髪の毛を鷲掴みにされて、廊下の端から端まで引きずられるほど怒らせたりもしていました。母や教師など、大人を怒らせてしまって、毎日泣いてばかりいた記憶があります」 中学生になると、R.Shimada氏は勉強の真髄に触れることになる。だが当時はまだ、神童の片鱗は見えない。 「友人に誘われて訪れた地元の小さな個人塾での一幕は忘れられません。当時の私は、be動詞について先生が説明しているとき、『A動詞やC動詞もあるのでしょうか?』と真剣に聞いたほど、勉強はできませんでした」
勉強をすれば、母に「迷惑」がかかるのではないか

塾の同級生たちには笑い者にされたが、「起きている間はずっと勉強をしました」と語るほどのまくりを見せ、入塾わずか一ヶ月ほどでトップに登りつめると、県内トップの公立進学校へ入学を果たす。15歳のR.Shimada氏が描いたビジョンはもはや予言と言ってもいいくらいに的中していく。 「私は15歳のとき、数学者になろうと考えました。そのためには大学進学後、独立して生計を立てる必要があります。国公立大学の授業料免除制度を利用し、学生寮に入居し、条件のよい給付型奨学金を得ることができれば、実現できます。当時、条件のよい給付型奨学金は文系の難関大学に限られていました。そこで私は、東大に文系で入学し、理系へ転向する計画を立てたのです」 “理転”と呼ばれるこの方法は、制度こそあったものの、進学先の文科3類からの転向は東大史上前例のない挑戦だった。だがここでも、猛勉強の末に関門を突破してしまう。 もうひとつ、15歳のR.Shimada少年が数学者になりたいと考えた理由に聡明さが光る。 「数学を学び始めた当初、おもしろいとは思いましたが、研究する将来は見えませんでした。なぜなら、人間が作った数学という法則を学んでいるにすぎないと思っていたからです。たとえば将棋そのものはおもしろいとしても、駒の動かし方は人間が決めたことであり、そのルールを研究するのはおもしろくないでしょう。 しかしその考え方が間違いだったことを、私はある書籍との出会いで知ることになります。『ある数学者の生涯と弁明』と題されたその書籍には、数学が自然界の法則にしたがっていることが書かれており、私はがぜん興味がわきました。明確に『数学を研究したい』と意識したのは、このときです」 前代未聞の東大の数学科への転科に成功し、内部進学者の半数が落ちるとされる大学院試験に合格したR.Shimada氏は、大学院生のなかでも特に優秀な成績を修めた者しか獲得できないリーディング大学院(給与が支払われる修士課程の仕組み)に選出される。 だが決して前途洋々とそのキャリアを築いたわけではない。さまざまな給付金制度を組み合わせながら、相当時間のアルバイトをこなし、かつトップクラスの成績を維持し続けなければ、経済的な事情からいつ退学せざるをえなくなるともしれない。節目節目でそうした現実を直視してきた。こうしたプレッシャーもさることながら、別の精神的負荷に悩まされることもあったという。 「私が勉強を続けることで、母に『迷惑』がかかっているという意識は常にありました。そもそも大学進学を望まず、数学者になりたいという夢も持たず、大人しくアルバイトをして家計を助けていれば、母は困っていないのかもという思いはありましたね。 そうした思いを跳ね返すには、『自分には数学者の才能がある』と思い込んで、すべての局面において才能を証明しなければなりませんでした」
自己責任に帰することの違和感

極めて高度なレベルの戦いを一度のミスもなく切り抜け、そのたびに環境によるハンデを直視し続ける人生は、生きづらくはないか。筆者のそんな不躾な指摘にも、R.Shimada氏は極めて理性的に答える。 「確かに、私は生きづらさを感じています。精神的に病んだという自覚こそありませんが、微熱が1ヶ月ほど続くなどの身体反応としてあらわれることがあり、ストレスを感じていることを認めざるをえないでしょう。 私が思うのは、人間が自分のために怒りを継続させるのには、限界があるということです。私はいつからか、自分が辛いことは仕方がないと思えるようになりました。 けれども、同じく学びたいのに環境のせいでそれが叶わない後進がいる社会の実情には、我慢がなりません。次の世代の才能が潰されていっていることに、あまりに社会が無自覚だからです。そして社会に生きる人の多くが『仕方のないこと』と諦めたり、『貧しいのは自分のせい』と矮小化して自己責任に帰そうとしたりすることに、強い違和感を覚えます」 貧困問題などにおいて、必ずと言っていいほど持ち出される自己責任論。複雑に絡み合った因子があるにも関わらず、個人や世帯だけの責任にしていく世の中に対して、R.Shimada氏はこんな独自の視点を提示する。 「たまに、『世の中、たちの悪い数学者みたいだな』と思うことはあります。数学という学問は、本来もっと複雑な事象を単純化して考えるという側面があります。あるいは、現実にはありえない極端な設定にして思考を一旦単純化するんです。そのとき、要素を削ぎ落とす作業があります。もっとも、数学の場合は、考慮すべき重要な要素を削ぎ落とすことは通常しません。 しかし貧困に対する世の中の議論をみていると、『重要な要素を削ぎ落として雑な議論をしたために導き出された結論』になっていると思うことがままあります。本当はさまざまな変数を考えなければならないのに、それをばっさり切ってしまうから自己責任に帰結する。そんな風に思います。 だから、生活保護世帯から数学者になれたという私の例が、『貧乏でも頑張れば成功するから、成功していない人間は努力が足りない』と自己責任論に使用されることを私はもっとも懸念し、嫌悪します」 取材・文・写真/黒島暁生

生活保護世帯から東大で博士号をとった秀才が、「貧乏でも頑張れば成功するという自己責任論をもっとも嫌悪する」と語る理由

6/2(日) 12:02配