共同親権をめぐる報道まとめ(2024年7月中旬~下旬)ありしん@共同親権反対ですありしん@共同親権反対です2024年7月28日 08:52PDF魚拓




政府は8日、離婚後も父母双方が子の親権を持つ「共同親権」を導入する改正民法の2026年5月までの施行に向け、関係府省庁の局長級による連絡会議の初会合を開いた。学校や病院で生じる課題を整理し、円滑な運用のためガイドライン(指針)を作る。

議長を務める小泉龍司法務大臣は9日の会見で「共同親権の導入が関係法令の適用にも影響を及ぼす可能性がある。こどもに不利益をもたらさないかという観点から問題点を整理して対応を考える必要がある」と述べた。

5月に成立した改正民法は、婚姻中や離婚後に共同親権を選んだ場合、親権は父母が共同行使することを原則とし、単独で行使できる例外規定を設けた。

これにより、進学や転居、医療受診といったこどもの重要事項は父母双方が決めることが原則になる。例外的に一方が単独で決められるケースがあいまいで、暴力から逃げるケースなどではこどもの不利益になるとの懸念の声が上がっていた。

児童扶養手当や奨学金など親の資力を要件とした各省庁の支援策の運用がどのようになるかもあいまいなまま国会審議が終わり、付帯決議では施行までに関係省庁が協議するよう注文が付いた。

政府が共同親権で連絡会議 法相「こどもに不利益ないように」

2024年07月24日




共同親権を導入することになった改正民法は2024年5月に可決、2026年に施行の見通しとなった。以後は父母の協議により共同親権か単独親権かを決定、合意できない場合は家庭裁判所に決定を委ねることになる。すでに離婚している人も適用対象だ。 【マンガ】「死ねばいいのに」モラハラ夫に悩む女性が我が子をネットに晒し始めた理由 可決までに衆参を通して細かい議論が尽くされたとは言いがたく、この導入には弁護士をはじめ医療、教育、福祉関係者など専門家からもさまざまな疑問が呈されていて、今後の課題は多いとされる。 親権をめぐる案件で同じケースはひとつとしてないが、そもそも親の離婚後、従来の単独親権のもとにおかれた子たちは、どんな思いを抱えて大きくなったのだろうか。当事者から話を聞いた。親子の関係や距離感は人によって違うが、今後の共同親権導入について考えるヒントになるかもしれない。 ちなみに現状では離婚の際、親権は父母のどちらかが持つことになっているが、親権を持たず子どもと離れたときでも、子と面会交流する権利は存在する。

10歳のころに親が離婚。父親に引き取られた

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両親の離婚後、まったく母親に会えないまま大人になったショウタさん(42歳)。自身も二児の父になった今なお、実父の気持ちがわからず、ときどき苦しくなると話す。 「両親が離婚したのは僕が10歳ころでした。母は優しい人だった。ただ、地方の堅苦しい家で義両親と同居するのは大変だったと思います。よく祖母に何か言われては泣いていました。実母はもともと東京の人だったから、自由のない田舎暮らしはつらかったんじゃないでしょうか」 「おとうさんとおかあさんは離れて暮らすことなった」と、ある日、学校から帰ると突然、父に言われた。すでに母の姿はなく、5歳違いの妹も一緒に消えていた。 「おまえは長男なんだからこの家を守っていくんだと吹き込まれました。何がなんだかわからなかった。母代わりになった祖母は気分の浮き沈みの激しい人で、祖父はほとんどアルコール依存。朝から酒を飲んで暴れることもありました」
母に会いたいと、どうしても言えなかった

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兼業農家だったが祖父はほとんど仕事をしない。朝早く父が畑に出てから勤務先に行っていた。ショウタさんも早朝と週末は父の畑仕事を手伝った。母に会いたいという言葉が喉元まで出ているのに、どうしても言えなかった。 「母が僕に会いたいなら、どんな手段を使っても会おうとするはずだと信じていました。でもなしのつぶてだったし、祖母が『あの女は薄情だ』『おまえは母親の愛情とは縁がなかったね』というので、そういうものかとも思い始めました。 でもあるとき、母が夢に出てきたんです。母は薄情ではなかったと思い出しました。幼稚園に迎えに来てくれた母と一緒に手を繋いで帰るのが好きだった。母はときどき、途中にある駄菓子屋で何か買ってくれるんですが、いつも『おばあちゃんには内緒』と微笑んで……。 僕が5歳のころに妹が生まれたんです。かわいいなあと言ったら、『ショウタもかわいい。ふたりともおかあさんの宝物よ』って。そんな母が自ら僕を手放すわけがない。何か事情があったんだと子どもながらわかりました」 生まれが東京だから、きっと母は東京にいる。いつか上京して母に会うとショウタさんは決めていた。 ただ、母のいない生活は心細かった。祖父が酔って暴れると彼は祖母をかばったが、祖母はお礼のひとつも言ったことがない。それどころか自分はさっさと逃げ、祖父の怒りがショウタさんに向いたこともある。 小学校を卒業するころ、祖父が急死した。祖母がうれしそうに笑っていたのをショウタさんははっきり覚えている。 「父も恋人ができたんでしょう。あまり帰ってこなくなった。畑も縮小して、近所の人にやってもらう始末。父はときどき生活費を持って帰ってきましたが、祖母も何も言わなかった。

父と継母に男子が生まれ、居場所も逃げ場もなくなって……

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僕は何のために母と引き離されたのか。あまりに悔しかったから、あるとき父に言ったんです。『おかあさんに会わせて』と。父は『もう忘れろ』とだけ言いました。それから間もなく、女性を連れて帰ってきて『新しいおかあさんだ。来週、越してくるから仲良くしなさい』って。そう簡単に気持ちを切り替えられるわけもないですよね」 大人の欺瞞に耐えられなかった。母に会いたい。母から自分宛の手紙がないか、母の実家からの昔の年賀状などがないか探したが、すべて処分されていた。彼は思いきって、ひとりで東京へ出かけていった。中学に入ったばかりのころのことだ。 新幹線に乗って東京駅へ、それからうろ覚えだった母の実家へ。だが実家があったあたりは再開発されていて、ショウタさんは混乱して周辺をうろつき回った。そのまま日が暮れ、ついには警察官に保護された。 「事情は話せなかった。父に連絡がいき、翌日早朝、迎えに来ました。父は何も聞かなかったけど、一言、『めんどうをかけるな』と。僕の気持ちなんか想像もしなかったんでしょう」 父と継母には男の子が生まれた。祖母はそれから間もなく、施設に移っていき、父と継母、産まれた子が中心になって生活するようになった。彼の居場所はない。
母にも親権があれば、定期的に会うことができたのか?

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「母に定期的に会えていれば、僕には逃げ場があったんじゃないかと思う。でもそれがなかったから、中学時代は生活が荒れました。気持ちの持って行き場がない。家に帰りたくなくてワルとつるんだりもしたけど、ワルにはなりきれなかった」 もしこの時点で共同親権が導入されていれば、彼は定期的に母親に会うことができ、救われたのかもしれない。もちろん単独親権でも面会交流権はあるが強制力はない。同居している親が会わせないケースも多々ある。 父に、高校は全寮制に行くと告げた。父は「わかった」と言った。そのころにはもうひとり、男の子が生まれていた。もうここに居場所はないと彼は割り切ったという。高校時代、彼は一度も実家に戻らなかった。祖母が亡くなったという報せがあったときでさえ帰ろうと思わなかったという。 大学を卒業し、就職して25歳で結婚した。入社3年目で結婚するのは同期の中でもいちばん早かったが、自分が安定する場を作りたかった。 「相手は5歳年上の職場の先輩です。彼女が『年下の新入社員をたぶらかした』という噂が一部で流れたのが悔しくて、僕は転職しました。彼女は会社で必要とされていたから、噂はいつか消えていくはず。だったら僕が職場を変わろうと思って。幸い、彼女の上司が転職先を紹介してくれたんです」 彼は、妻との「居場所」ができたことで精神的に安定した。妻はすべて受け止め、彼を叱咤激励し、前向きで明るい渦に巻き込んでくれた。妻の両親も明るい人たちで、「ショウタさん、ひとりでも遊びに来なさいよ」と言ってくれる。家庭のあたたかさに触れて、自分は変わることができたと彼は言う。

二児の父になった今も、親には恨みしかない……

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「妻は『おかあさんを探したら?』と言ってくれるんですが、今のところ探すつもりはありません。もういいかな、と。母にその気があれば、父に問い合わせれば、さすがにもう教えてくれると思うけど、そうするつもりはないんでしょうから」 自分にも子どもがふたり産まれ、彼はますます両親の気持ちがわからなくなった。子どもをひとりずつひきとったということは、兄妹の間を親が裂いたということだ。しかも離婚後はまったく会わせなかったのはなぜなのか。せめて離婚した夫婦が事務的連絡くらいとりあって居場所を把握していてもよかったのではないか。 「考えると親への恨みしかわいてきません。妹はどうしているんだろうとときどき思いますが、30年以上会っていないのだから情のわきようもないというのが本音です。今、いちばん大事なのは妻と子どもたち。それ以上のことは考えたくない」 気にはなっている。常に心に棘が刺さったような状態で、その棘はときどきチクチク痛む。だが、抜くともっと大きな傷になりそうな気もする。過去より、今と未来を見ていたい思いも強い。それでも、母の顔がちらつくこともある。 こういったケースは、共同親権が導入されれば起こり得ないのだろうか。取り決めが遵守されなかった場合は、いちいち家裁に申し立てなければいけないのだが、時間も手間もかかることから、子に会えない親もあきらめるしかなくなるのではないだろうか。 後編記事「#共同親権 9歳のときに親が離婚。父か母どっちを選ぶ?と聞かれ、母と答えるしかなかったが──35歳女性のケース」に続く。

亀山 早苗(フリーライター)

#共同親権 なぜ? 親の離婚後、母、妹と引き離され、一度も会えないまま大人になった──42歳男性のケース

7/25(木) 7:05配信




共同親権を導入することになった改正民法は2024年5月に可決、2026年に施行の見通しとなった。以後は父母の協議により共同親権か単独親権かを決定、合意できない場合は家庭裁判所に決定を委ねることになる。すでに離婚している人も適用対象だ。 【マンガ】「死ねばいいのに」モラハラ夫に悩む女性が我が子をネットに晒し始めた理由 可決までに衆参を通して細かい議論が尽くされたとは言いがたく、この導入には弁護士をはじめ医療、教育、福祉関係者など専門家からもさまざまな疑問が呈されていて、今後の課題は多いとされる。 親権をめぐる案件で同じケースはひとつとしてないが、そもそも親の離婚後、従来の単独親権のもとにおかれた子たちは、どんな思いを抱えて大きくなったのだろうか。当事者から話を聞いた。親子の関係や距離感は人によって違うが、今後の共同親権導入について考えるヒントになるかもしれない。 ちなみに現状では離婚の際、親権は父母のどちらかが持つことになっているが、親権を持たず子どもと離れたときでも、子と面会交流する権利は存在する。

面会を求める父と、父の悪口しか言わない母との板挟みで

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9歳のときに両親が離婚したエリコさん(35歳・仮名=以下同)は、離婚が決まる前のほうが精神的につらかったという。「物心ついたころから、家はいつも両親のケンカの声が響いていた。今思えば、父の浮気が原因だったんでしょうけど、母が泣く、父が怒鳴る。その繰り返しでした」 決定的だったのは、エリコさんの目の前で、父が母に手を上げた日。それは小学校の遠足の日だった。帰宅して母に楽しかった遠足のことを話そうとしたのだが、母は具合が悪いと言って聞こうとはしなかった。夕飯もあり合わせで、ごはんと味噌汁に漬物があった程度。 「父が比較的早く帰ってきて、そのおかずに文句をつけた。『もうちょっと何かないのか。疲れて帰ってきてこれか』と。母はだるそうに『冷凍庫に干物があるから焼けば』って。すると父が黙った。不穏な空気を察して、私が焼くよと冷凍庫を開けようとすると、父がいきなり『子どもにそんなことさせるな』と母を小突いたんです。 母が何をするのよと叫ぶと、父は母の頬を打った。ショックでした。それまで父はしょっちゅう怒鳴っていたけど、母に手を上げたことはなかったと思う。少なくとも私は見たことがなかった」
母には行くところがなかった

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目の前で、母は泣き崩れた。父は「出て行け」と怒鳴りつけた。母は家を飛び出していった。玄関まで走って追ったエリコさんに「明日、必ず迎えに来るから」と母は言った。その夜、エリコさんはずっと泣いていたが、いつの間にか眠ったのだろう。目が覚めると母がいつものように台所にいた。自分が夢を見ていたのだろうかと思ったそうだ。 「母には行くところがなかった。実家は遠方だったし、近くに親戚もいない。夜、受け入れてくれる友人だっていなかっただろうと思う」 当時、母は今のエリコさんと同世代だったが、結婚してからずっと専業主婦だったから孤独だったのかもしれない。 「そのときはどうやって折り合いをつけたのかわからないけど、結局、それ以降も両親はほとんど口をきかないような状態でした。家族でどこかに出かけることもなかった」 そしてある日、母から「おとうさんとおかあさんは別々に暮らすことになるけど、あなたはどっちと一緒にいたい?」と聞かれた。母と言うしかなかった。父が母を打ったショックからエリコさんは立ち直れていなかったし、母と過ごした時間のほうがずっと長いのだ。父と答える選択肢はなかった。 「父と別れる日、『ときどき会おうね』と言われたんですが、素直に頷けなかった。それから環境が一変しました。一軒家からアパートへ越して母とふたりで暮らすようになった。母は仕事に出て、私はひとりで留守番して。それでも父は多少の生活費と養育費は支払っていたようです」 だからこそ父は、娘との面会を求めた。

親子3人で会うことになったのは、なんのため?

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両親が離婚してから半年ほどたったころ、母がエリコさんに「おとうさんが会いたいって。会う?」と言った。離婚前から、そして離婚してからも、母は常に元夫の愚痴を娘に吹き込んできた。そんな母に、父に会いたいとは言いづらい。だが、会いたくないと言えば父が傷つくのだろうかとエリコさんは考えた。しかたがないので「どっちでもいい」と言った。 「じゃあ、3人で食事をしようと母が言うんです。当時はわからなかったけど、会わせないなら養育費を止めるとかなんとか言われたんじゃないでしょうか」 それから毎月1回、土曜の午後に3人でランチをし、ときにはどこかに遊びに行ったりするようになった。 「正直言って、ちっとも楽しくなかった。父は同居しているときより私に気を遣って、いつもプレゼントをもってくるんですが、それは私が好きではない人形だったり絶対着ないような洋服だったりするんです。でも母は『あらよかったわね。似合うわよ』ととってつけたように言う。父もにこやかで満足そう。 あるとき、私はふたりを満足させるための存在なんだろうかと思いました。ふたりとも『形として』家族でいる時間を作らなくてはいけないと考えていたのかもしれない。私自身はふたりから愛情を注がれているとは思えなかった」 いつも父の悪口を言う母をかわいそうだと思っていたし、自分だけは母の味方でいようと決めていた。父と3人で会うとき、母はいつもひきつったような笑みを貼りつけていた。本当は父と会いたくないのだろう、娘の私が会いたくないと言うのを待っているのだろうとエリコさんは察した。 たとえ小学生の子どもであっても、親同士の雰囲気には大人が思うより敏感だ。本当は面会などしたくないと思っても、同居の母親に気を遣う。客観的に見て、エリコさんの母にとってモラハラ夫かどうかはわからない。
私は母のトイレ……!?

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共同親権が導入されると、その決定は家庭裁判所に委ねられる。たとえ妻が「モラハラ夫だった」と訴えても、家裁がそうではないと判断すれば単独親権にはならない。そのとき、元妻や娘がどんなに嫌でも面会は続けなければいけないのだろうか。そして、受験や転居などについても相談をしなければいけないのだろうか。身動きのとれなくなる母子家庭が生じるだけではないのかという危惧も起こる。 「私自身も面会の時間が苦痛でしたから、小学校6年生になったころ、忙しいから会う時間がとれないと父に電話で言いました。父は1ヵ月に1回じゃなくてもいい、会いたくなったら連絡してほしいと。わかったと言って電話を切り、母に『もう会わない』と言ったら、母はすごくうれしそうでした」 自身が夫に会わずにすむことになったからなのか、これで娘が夫と心を通わせることがないと決まったからなのかはわからない。ただ、母は心からホッとしたような笑顔を見せた。 長じるにつれ、エリコさんは母を疎ましく思うようになった。母は自分の人生がうまくいかないのはすべて他人のせいだと言うタイプだった。自身の実の親、かつて自分を振った恋人、元夫(エリコさんの父)、元夫の両親……口を開けば過去に関わりのあった人たちの悪口だった。職場の人たちの悪口も多かった。 「私は母のトイレだと思いました。母が排泄する汚いものを受け止めるだけ。このままだと私自身が汚れていく。この人から離れなければ。そう思ったとき頭に浮かんだのは父でした」

父との交流が復活、母とは──

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大学受験について相談したいと父に連絡を入れた。父は快く会ってくれたが、すでに再婚して子どももいるため学費を全額出すのはむずかしいと言われてしまう。 「結局、私立大学に入学したんですが、それでも初年度納入金の半分は出してくれました。母は合格したと言っても、お金はどうするのと一言も聞かなかった。聞きたくなかったのか、父に相談しているのを知っていたのかはわかりません。足りない分は奨学金を借りました。本当は家を出たかったけど家賃がかかるのは避けたかった」 あれから今に至るまで、父との交流は続いている。就職と同時に独立し、逆に母とは疎遠になった。「父から愛されていたかどうかはわかりませんが、少なくとも対等な関係にはなれた。母は私に刷り込みばかりして支配しようとしていた」 結局、単独親権だろうが共同親権だろうが、育っていく過程で家族関係は変化していく。完璧な親子関係などないのだとしたら、そのときどきで、両親が「今、この子にとってどれだけの幸福と利益があるか」と共同で考えていくしかない。ふたりともがそう考えられるかどうかが問題なのだろう。少なくともエリコさんの父は、娘の申し出を受けていったん退いた。それがかえって娘の気持ちを取り戻したともいえる。 大学を卒業して第一志望の会社に就職、仕事が楽しいと話す今のエリコさんは、親が離婚したことによる影響をあまり考えないようにしているそうだ。自分は自分の人生を歩むと決めた。そして彼女はこの秋、結婚する。子どもができて、もし離婚することになったらと不安がないわけではない。だが、そのときは子どもにパートナーの悪口だけは言うまいと決めている。 離婚した夫婦とその子どもたちが、従来の単独親権のもと、その後どういう人生を送っていったのか、そして共同親権が導入されたときに優先すべきことは何なのか、今後も実例から探っていきたい。 前編記事「#共同親権 なぜ? 親の離婚後、母、妹と引き離され、一度も会えないまま大人になった。42歳男性のケース」はこちら!

亀山 早苗(フリーライター)
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9歳のときに親が離婚。父か母どっちを選ぶ?と聞かれ、母と答えるしかなかったが──#共同親権 35歳女性のケース

7/26(金) 7:00配信







民法の「親権」や「離婚」に関する条文が77年ぶりに改正され、「共同親権」が導入されることになった。これまでは父か母のどちらかが親権を持つ「単独親権」のみだったが、改正法の施行後は、親権を父母の双方が持つか、どちらか一方が持つかを選ぶことになる。話し合いで決まらなければ、家庭裁判所を利用し、DVや虐待のおそれを家裁が認めた場合は、単独親権となる。改正法は2026年までに施行される。 改正の背景には、親が離婚した子どもの7割が、別居親から養育費を受け取れていないという現実がある。改正民法が機能するかどうかは、親権を「親の権利」ではなく「親の義務」と捉え直すことができるかどうかにかかっている。果たして「子どものいる離婚」をめぐる価値観は変わるのか。積み残された課題や、2年後の施行までになすべきことは。3人の識者に聞いた。(取材・文:神田憲行/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

法改正で法定養育費を当面請求できる仕組み導入 二宮周平さん(立命館大学名誉教授)

二宮周平さん 立命館大学名誉教授(家族法)

今回の民法改正は、「離婚後も父母は子どもに対して責任があります」「そのために共同親権という選択肢があるので離婚時に考えてみてください」というメッセージだと思います。離婚は夫婦間だけの問題ではないという価値観の転換です。 日本の離婚の9割は協議離婚です。現在の単独親権制では、子については父母どちらに親権があるか決めればよく、面会交流や養育費について合意や話し合いがなくても離婚できます。その結果どうなっているかというと、離婚母子家庭の7割が面会交流の取り決めをしていません。養育費も7割が一度も受給していないか、途切れています。子どもによっては別居親が自分を見捨てたというイメージを持つのも無理からぬことと思います。 なぜ取り決めをせず離婚するかというと、「相手と関わりたくない」が理由の1位に来ます。他方、親権がなくなった親は子どもに関心を失ってしまう。離婚を夫婦の間だけの問題として捉えていて、子どものためにという視点が欠けている、というのが私の認識です。 法改正によって新たに共同親権を選択できることになりました。共同親権は選択制であり、強制するものではありません。
協議離婚が成立しなかった場合、裁判所を利用することになります。まず当事者同士で合意の形成を図る調停が行われます。家庭裁判所の調査官が中立の立場から子の意向や監護状況を調査し、父母に伝えることで、子のために共同親権の合意が形成される可能性があります。合意が形成されなかった場合は審判に入り、裁判官の職権によって親権について「共同」か「単独」かの判断が下される。虐待やDVの事実が認められた場合には、単独親権にしなければなりません。 共同親権を危惧する人たちから、「家裁の裁判官や調査官に虐待やDVについて調査するスキルがあるのか」という批判があります。職権による調査は現在も行われていますが、今以上の精度が求められると私も思います。研修等による裁判官のスキルアップがちゃんとできるのか。その体制がとれるのか。改正に不安をもっておられる方も多いので、体制の整備はマストです。 法改正に当たっては、衆議院法務委員会で12本、参議員法務委員会で15本の附帯決議が付けられました。附帯決議とは、法律の運用について注文を付けるものです。法的拘束力はありませんが、政府や所管省庁に課題を認識してもらう効果はあります。このうち4本が家裁の人的・物的な体制の整備、職員の増員・専門性の向上(研修)などにかかわるものです。 裁判官は通常3、4年で異動します。しかし家裁は子どもの権利という繊細な事案を扱うのですから、ノウハウのある人が長くとどまれる仕組みにしてほしい。

離婚する際は未成年の子の親権を必ず決定する(図版作成:Yahoo!ニュース オリジナル)

積み残した課題もあります。 まず面会交流が「誰の権利」であるかがはっきり規定されませんでした。親側の感情、論理で語られがちですが、そもそも面会交流は子どもの権利です。その点が明記されなかったのは問題です。 養育費についても、父母間で合意できなかった場合、法定養育費を適用して当面それを請求できるという構造は導入されました。ですが、多くの国で行われている「立て替え給付」や「行政機関による取り立て代行」という根本的な制度には立ち入らなかった。 もっとも残念だったのは、中間試案ではあった「離婚後養育講座」が削られたことです。これは、こども家庭庁がひとり親家庭支援事業の一環としてやっている離婚前後親支援講座とコンセプトを同じくするもので、民法に盛り込まれれば、離婚を考える全ての親御さんに受講してもらう機会になっただけに、残念です。ちなみに韓国ではすでに導入されていて、受講しなければ協議離婚ができません。 施行まで2年あります。その間に附帯決議の内容がたしかに実現されるか、私たちはさらに見守っていかなければなりません。
子どもは権利の主体「意見表明権」入れてほしかった 間宮静香さん(弁護士)

間宮静香さん 弁護士(写真:本人提供)

私は子どもの権利を中心に取り扱う弁護士ですが、今回の民法改正に大きな関心を持っていました。というのは、日本が子どもの権利条約を批准して30年になるのに、いまだにその内容を十分に実現する国内法が整備されていない、と感じるからです。 議論の過程では、共同親権の導入をめぐる父母間の争いがメディアで繰り広げられていて残念でした。子どもに重大な影響のある法改正なのに、子どもが蚊帳の外に置かれてしまっている。大人が勝手に「子どもにとって一番いいことを考える」ということに違和感があります。 単独親権か共同親権かを考える際には、まず「子ども観の転換」を行わなければなりません。「転換」とは、子どもを権利を行使する「主体」と捉えることです。でも改正民法は、というか日本社会全体が、子どもをケアする対象(「客体」)としてしか見ていないのではないでしょうか。 親権というと親の権利というイメージが強いですが、同条約の考えを推し進めていくと、親は子どもが権利主体として自立していくために支援する義務者だってことなんですよね。 改正民法で「子どもの意見表明権」(同条約12条)が規定されなかったことは、大きな問題です。これは同条約3条で規定されている「子どもの最善の利益の保障」とセットになっています。 子どもは一人ひとり考え方、捉え方が違います。親とも違うし、当然、裁判官とも違います。「子どもの最善の利益」を考えるときは、まず当人から話を聞いて、それを前提に、いろんな状況を勘案して最後は大人が責任を持って決める、というのが「最善の利益の保障」です。もちろん子どもの年齢や成長の度合いによって、聞き取り方やアプローチは異なってくるでしょう。明確に「○○したい」と意見表明できないケースもあるかもしれません。それでも、現状を説明し、子どもの気持ちを聞くことは、子どもの権利を守るプロセスのなかで欠くことができないものなんです。
改正法案を検討する法制審議会でも、子どもの意見表明権を条文に書き込むことが検討されましたが、「子どもにどちらかの親を選ばせるのは酷」「子どもに責任を負わせてしまう」という反対論によって見送られてしまいました。意見表明権は、意見を聴かれる権利とも言います。親を選ばせることではなく、子どもの気持ちを聞き、できる限り尊重するというもので、あくまで決定する責任は裁判官などの大人にあります。 今回の法改正に意見表明権が必要だと思うのは、「子どもの手続代理人制度」での経験があるからです。これは離婚調停などが行われている際に、子どもの手続代理人として選ばれた弁護士が、子どもの「代理人」として手続きに参加する制度です。2013年に施行された家事事件手続法で導入されました。 親が離婚するとき、子どもは「同じ学校に通えるのか」「住むところが変わるのか」など、不安が募ります。しかし何も知らされないまま、離婚の手続きがどんどん進んでいく。そこで、子どもの手続代理人弁護士は、「お父さんとお母さんはこんな話をしているよ」「あなたは、どう思う?」と子どもに説明し、そのときの気持ち、意見を裁判所に伝えていきます。私は、「あなたの意見が後から変わってもいい」とも伝えます。家裁の調査官は中立の立場からの参加ですが、子どもの手続代理人ははっきりと子どもの立場から参加します。親が大切だからこそ親の顔色をうかがってしまう子どもにとって、自分だけの味方になる存在は大きい、と私は考えます。 実のところ、子どもの手続代理人制度はあまり利用されていません。最高裁判所家庭局による2021年の調査では、紛争3万件超のうち、利用は64件と、0.2%以下の利用率でした。理由はいろいろありますが、一つは、専門家の間ですら、子どもを権利の主体として子どもの権利の概念や制度が理解されていないことです。子どもの手続代理人の選任は裁判官の職権でもできるのですが……。 親の離婚を経験する未成年の子どもは年間で20万人近くいます。昨年、「こども基本法」が施行されました。学校の先生たちが「子どもの権利を学ばなくてはいけない」という雰囲気に変わって、私も研修に呼ばれる機会が増えました。今回の改正民法もよく読むと練るところはちゃんと練られていますし、全体的には子どもの権利保障に向かっている。少しずつですが前進していることは間違いないと思います。それだけに、親権を子どもの権利の観点から捉え直し、子どもの意見表明権を入れてほしかったという気持ちが強いです。
離婚という「出口」の前に結婚という「入口」の議論を 嘉本伊都子さん(京都女子大学教授)

嘉本伊都子さん 京都女子大学 現代社会学部教授(写真:本人提供)

結婚が「入口」なら、単独親権・共同親権、いずれにしろ離婚の問題は「出口」の話です。 今回、共同親権に対して、反対派も賛成派も議論ができる「場」となったことはいいことです。 面会交流という言葉が離婚届に現れたのは2012 年の民法改正でした。親権者のチェック欄に記入がないと離婚届は受理されませんが、養育費、面会交流について話し合ってないと回答しても受理されてきました。これが世界一、簡単に離婚できる国の協議離婚の実態です。 今回の民法改正で養育費を払おうとしない相手に対して、優先的に差し押さえができる権利が明記されたのは、評価できます。現在、親権者が母親である割合は8割強ですから、離婚が増えるほど「母子家庭」が増えます。少子化→税収減→財政難の無限ループです。元配偶者からの養育費支払いを強化すれば、手当を払う必要性が緩和できると思った財務省からの圧力かしらと勘ぐりたくなります。 日本の家庭裁判所も、家裁の役割を拡充すると言い続けているので、この法改正で家裁にしっかり予算をつけて、本当に実行してくれるなら評価します。ただ個人的な観測では悲観的です。知人のどの家裁の調査官に聞いても、ふたこと目には「家裁には予算がないから」とおっしゃいます。本気で予算をつけるかどうか。その覚悟が、私には見えません。 離婚後、安心して面会交流ができる場所は全国にどれだけあるのでしょうか。家庭裁判所の元調査官が相談を受けているFPIC(公益社団法人家庭問題情報センター)は、全国に11カ所ありますが、全都道府県にあるわけではありません。民間の面会交流をサポートする団体に面会交流を丸投げする裁判所もあります。

共同親権問題は減少する未来が待っている?

結婚という「入口」に入る前に(アフロ)

結婚という「入口」は、両性の合意のみに基づくのであって、必ずしも男女平等を担保しません。年収しかり、家事・育児しかりです。結婚という「入口」に立ったその時から、大半の女性は不平等に直面します。結婚すると姓を変更するのは大半が女性ですが、戸籍制度と婚姻が密接に関わっている限り、男女どちらかにアイデンティティーの変更を強制します。「共同」するためかもしれませんが、「入口」から不平等を強いることになります。 2021年の最高裁は現行の夫婦同姓制度は「合憲」としました。最高裁大法廷の15人の裁判官のうち、3人の女性裁判官は連名で「96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状は、女性の社会的、経済的な立場の弱さからもたらされている」として、憲法に違反しているという判断を示しました。「制度のあり方は国会で議論され、判断されるべきだ」として立法の府でもある国会に投げかけましたが、「入口」については何も進みません。なぜ「出口」の共同親権だけ法案が成立するのでしょう? 経済的に不利な立場に立たされるのも女性です。既婚女性の就労継続の困難さを解決すべく、2015年女性活躍推進法ができましたが、依然、妻が第一子を生んだ前後の就労継続率は、50%にようやく達しただけです。その不利益は、離婚という「出口」後にも続きます。母子世帯の平均年間就労の収入は236万円、父子世帯の496万と比較すると2倍以上の差があります。 共同親権になった場合、離婚後もその都度、元夫婦間でいろいろ交渉し続けることになります。負の感情を持つ離婚した相手に冷静なネゴシエーションをどこまでやれるのか。離婚に至る前に、もっといえば、結婚という「入口」に入る前に、日本国民は男女間で対等なコミュニケーションをするにはどうしたらいいか、学んできたでしょうか。
結婚に学歴は関係ありませんので、義務教育ですべきですね。ところが、義務教育のなかの性教育ではセックスの話ができないと聞いて、驚愕しました。女子学生に、「なぜ避妊を彼氏に相談できないの?」と聞くと「嫌われたら困るから」と答えます。自分がされたら嫌なことを「嫌」といえない教育が行き届いているとしか思えません。「誰かにとってのいい子」であり続けることしか学んでいない子どもは、自分が何を欲しているのか、表明することができません。自分が「嫌」でも、誰かのために我慢することを学ぶのです。その結果、自分で自分の人生を選択できなくなります。我慢をし続けると、怒りが一息に噴出してしまいます。 毎年新入生に未来のライフコース選択においてアンケートしています。今年は20%の受講生が「DINKs(共働きで子どもがいない夫婦)」を選択しました。今までは10%前後だったのに。新入生は2005年生で、この年は合計特殊出生率が1.26と当時史上最低の記録を更新しました。親世代は就職氷河期を経験した団塊のジュニア世代です。事実、彼女たちの母親世代に近い1975年生まれの女性の生涯未婚率は28.3%(OECD発表)ですから、3人に1人は子どもがいません。その子ども世代で、「おひとりさま」を希望する6%の学生を合わせると、4人に1人、26%が18歳で「子ども」をもたない未来を選択している。子を持つと対等ではなくなる、と女子学生は察知しています。結果として、共同親権問題は減少する未来が待っているともいえるのです。 子どもを産むか産まないかも含め、自分で決められる権利はリプロダクティブ・ライツ、自分の愛する人、プライバシー、自分の性のあり方を自分で決められる権利はセクシャル・ライツです。自分の「性」について、周りからとやかく言われることなく、ご機嫌でいられること(セクシャル・ヘルス)、妊娠・出産する人も、しない人も、心身ともに満たされて健康にいられること(リプロダクティブ・ヘルス)、まとめてSRHR(Sexual and Reproductive Health and Rights)といいます。すべての人の「性」と「生き方」に関わることです。共同親権の前に、真剣に「入口」の「入口」について誰かと話し合ってみることから、始めませんか?

--- 神田憲行(かんだ・のりゆき) 1963年、大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。師匠はジャーナリストの故・黒田清氏。昭和からフリーライターの仕事を始めて現在に至る。主な著書に『ハノイの純情、サイゴンの夢』、『横浜vs.PL学園』(共著)、『「謎」の進学校 麻布の教え』、将棋の森信雄一門をテーマにした『一門』など。

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7/27(土) 10:00配信