[187]つばさの党・黒川敦彦とその背後を考える~東京15区の次の狙いは超党派反グローバリズム運動潰し~髙山彦行髙山彦行2024年4月27日 22:19PDF魚拓


極左暴力集団と中国共産党そしてトロツキストの関係

つばさの党を率いる黒川敦彦を知る上では欠かせない要素が極左暴力集団になります。先ず、この極左暴力集団とは何かを理解する必要があります。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_0201.htm
https://www.npa.go.jp/hakusyo/s63/s630101.html
山口敬之さんの有料動画を見ている方ならある程度御存知の内容です。

日本共産党と中国共産党は1966年に喧嘩別れをしています。これは、中ソ対立の末のソ連側の工作による日本共産党の親中路線修正なのだろうと思います。

一方でトロツキーの思想である世界共産革命(ユダヤ系のトロツキーの政敵であるスラブグルジア(ジョージア)系のスターリンは一国共産主義を掲げ、路線の違いで対立。後にトロツキーはスターリンに暗殺される。)を支持する組織が日本トロツキスト連盟になり、それが母体として中核派や革マル派が生まれます。元々は、日本共産党は親中路線だったために、中国との決別により反発した親中勢力が日本共産党と袂を分かちます。(現在は中国共産党と日本共産党は和解しています。)

これが中核派・革マル派を中心とする極左暴力集団(過激派)になります。

2010年のことですが日本共産党の機関紙である「赤旗」ですら、日本共産党と「革マル派」・「中核派」とは関係が無いと言い切っています。(この事は、黒川率いるつばさの党が東京15区の立憲・共産党の公認候補に対しても選挙妨害をしていることと繋がってきます。一種の内ゲバと考えられます。)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-27/20100327faq12_01_0.html
この記事の中に興味深いことが書かれていました。
2001年にアメリカでおこった3千人近くの人命を奪った9・11同時多発テロについて、「画歴史的行為」(「革マル派」機関紙「解放」01年9月24日号)などとほめたたえ、テロ勢力との「連帯」までかかげてきました。
赤旗より

これこそが、トロツキストの本質的部分なのかもしれません。トロツキストであるネオコンと9.11の関係(CIAとアルカイダの関係)、そしてこのテロを称賛するという行為は、イスラエルに対するハマス(ハマスとモサド・CIAとの関係)の”テロ”にも共通します。トロツキスト達の自作自演+自画自賛。
話を戻し、中核派や革マル派などの極左暴力集団は
中国共産党に支援されている
根底にあるのはトロツキスト(世界共産革命)
という2つの性質があるわけです。この「中核派」や「革マル派」は、「世界経済フォーラム(ダボス会議)」や「WHO」と置き換えてることもできるのです。
同根であるだけに、世界経済フォーラムやWHO、国連に対して過激行動は取らないわけです。(ただし、反グローバル運動に対するイメージダウンのためのパフォーマンス的行動を起こすことはあります)
極左暴力集団とはこの2つの性質を持つことを覚えておいてください。

黒川敦彦と極左暴力集団

旧N党(黒川らの内紛により現在は無所属)の浜田聡参議院議員が黒川敦彦の人脈について調査したことを報告しています。(2023/6/19)
https://youtu.be/QDeKvl_e07U
黒川敦彦が、斎藤まさし(本名・酒井剛)や田中正道と繋がっていることを説明されています。(田中正道は鳩山由紀夫と繋がりがあるかもしれないという情報もありました)

それ以外にも、Xを始めとしたインターネット上で様々な証拠が提示されています。

[187]つばさの党・黒川敦彦とその背後を考える~東京15区の次の狙いは超党派反グローバリズム運動潰し~
髙山彦行

2024年4月27日 22:19




 昭和30年代初頭、路線対立等の理由から、日本共産党を除名されたり、離党した者が中心となって、日本共産党に代わって、我が国で暴力により共産主義革命を起こすことを目的とする集団が生まれました。これが過激派です。

 日本共産党が、それまで採っていた武装闘争を「極左冒険主義」と自己批判し、30年7月の第6回全国協議会(6全協)で戦術転換を図ったことから、武装闘争の中心となっていた学生党員等の間で指導部への不信感が生まれました。

 また、時期を同じくして、共産主義者の間で絶対的存在であったスターリンに対する批判がその死後に高まったり、ソ連が同じ共産圏のポーランドやハンガリーに対して武力介入を行ったことから、既存のマルクス・レーニン主義に対する懐疑も深まりました。

 こうした状況の中で、スターリンと対立して暗殺されたトロツキーを再評価する動きが国内で高まり、彼の思想であるトロツキズムを研究し、それに基づく革命の実現を目指す元共産党員らが中心となって、32年1月、日本トロツキスト連盟を結成し、同年12月には革命的共産主義者同盟(以下「革共同」という。)と改称しました。これが現在の過激派の二大勢力である革マル派と中核派の母体です。

 また、23年9月に日本共産党の指導下に結成された学生組織である全日本学生自治会総連合(以下「全学連」という。)は、日本共産党の路線変更や、消極的な指導方針に不信と不満を抱き、33年5月に開催された全学連第11回大会では、日本共産党指導部に反旗を翻す全学連主流派と、日本共産党指導部に従う反主流派が激しく対立し、その後、大量の学生党員が除名等の処分を受けました。

 これを機に、全学連主流派は、完全に日本共産党の指導から離脱し、同年12月、独自に共産主義者同盟(以下「共産同」という。)を結成するとともに、35年4月には全学連も共産同系全学連と日本共産党系全学連に分裂しました。これが現在の共産同系各派の母体です。

 この他に、日本共産党が中国共産党との関係を断絶した時期に除名、離党した党員らが中心になって結成した親中共派や日本共産党の綱領論争の過程で離党した党員らが結成した構造改革派、社会党の青年組織である社会主義青年同盟(以下「社青同」という。)に入り込んだトロツキスト集団が後に組織を乗っ取る形で独立した革命的労働者協会(以下「革労協」という。)等が誕生し、現在の過激派の流れを形成しています。

 こうした過激派各派は、続く「60年安保闘争」において重要な役割を果たすこととなりました。
1 60年安保闘争と過激派の暴走

 「安保闘争」とは、サンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安全保障条約の改定等に反対して取り組まれた闘争で、社会・共産の両党や総評等の労組が中心となって全国的に展開された社会運動でした。
 その山場は、昭和35年と45年であり、それぞれ西暦の末尾を取って「60年安保闘争」、「70年安保闘争」と呼ばれました。
 「60年安保闘争」は、34年3月、日米安保条約の改定交渉が本格化する中で、日本社会党、総評等による「安保条約改定阻止国民会議」が結成されたことにより始まったもので、34年4月から取り組まれました。
 これに対して過激派は、同会議の集会、デモ等の大衆行動に介入し、暴力的な行動を煽動するなどして、我が国の治安に大きな影響を与えました。特に、共産同系の全学連は、共産主義革命の理論には必ずしも賛同しない一般の学生に対する働き掛けを強め、「反安保」を軸に結集を図り、自らのもくろみである革命情勢を作り出すために、過激な行動へと駆り立て、国会周辺は連日数千から数万のデモ隊が押し寄せる状態となりました。
 その例として、「国会構内乱入事件」(34年11月)、「国会請願デモ事件」(35年4月)、「首相官邸乱入事件」(35年5月、6月)等の事件を引き起こしました。これらの事件では、共産同系全学連は、角材や石塊で武装し、警備に当たっていた警察部隊と激しい衝突を繰り返し、双方に多数の負傷者を出しました。そして、新安保条約の批准成立を目前に控えた35年6月15日には、「安保決戦」を叫んで、再び国会構内へ乱入し、ついに女子学生1人が死亡する事態に至りました。
 しかし、こうした過激な反対行動にもかかわらず、新安保条約は、同年6月23日に日米両政府が批准書を交換し発効、当時の岸首相はこれをもって退陣を表明しました。このため、反対勢力各派は闘争目標を失い、「60年安保闘争」は急速に沈静化しました。
 共産同はこの闘争の指導責任をめぐって内部分裂に陥り、組織は崩壊することになりました。
 一方、革共同は、33年8月と34年8月の2回にわたり、路線をめぐる意見の対立から分裂を繰り返していましたが、35年9月には、崩壊した共産同から多数の有力活動家が合流し、勢力を伸ばしました。しかし、38年2月、再び路線をめぐる意見対立から分裂し、ここに革マル派と中核派が誕生しました。
 過激派は、「60年安保闘争」以降、大衆を広く引きつける闘争課題を模索するとともに、同闘争で大量の検挙者を出したり、組織が分裂したため、組織の建て直しを図りました。





「国会構内乱入事件」
(昭和34年11月27日、東京)(PANA) 


2 70年安保闘争を主導した過激派

 昭和41年9月、いったんは崩壊した共産同が紆余曲折を経て再建にこぎ着けたのに続き、同年12月には、中核派、社学同、社青同解放派による、いわゆる「三派系全学連」が結成されました。
 こうした中、過激派は、45年6月に安保条約が再び延長の期限を迎えることから、「70年安保闘争」を主要な闘争課題に据えたほか、戦後米国の統治下に置かれていた沖縄の本土復帰を求める運動に介入し、両者を絡めた「安保・沖縄闘争」を掲げて、「60年安保闘争」時の高揚を再現することをもくろみました。
 その手始めとして、過激派は、42年10月と11月に、佐藤首相の外遊を阻止するため、羽田空港周辺を混乱に陥れることを画策し、ヘルメット、覆面姿に角材、石塊で武装した活動家多数を動員し、警備に当たっていた警察部隊に組織的、計画的な攻撃を加え、双方に多数の負傷者を出すとともに、空港ロビー等を破壊しました。
 続いて、43年1月の「米原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争」、同年2月から4月の「米軍王子野戦病院開設阻止闘争」等、当時激化していたベトナム戦争に伴う反戦闘争にも取り組みました。
 さらに、同年10月には、ベトナム戦争に反対する各種労組、市民団体等の呼び掛けによる「国際反戦デー統一行動」で、過激派はこれまで以上に激しい闘争形態をとり、特に新宿駅では駅構内に侵入して関係施設を破壊し、騒ぎで集まった群衆をも巻き込んで周辺は大混乱に陥ったため、警察は27年5月の「皇居前メーデー事件」以来16年振りに騒擾罪を適用し、多数の関係者を逮捕しました(「新宿騒擾事件」)。
 この後も過激派は「安保阻止」を掲げて、街頭での武装闘争に明け暮れ、警察部隊との衝突を繰り返し、この間双方に多数の負傷者を出し、警察官が殺害される事件も発生しましたが、46年11月の「渋谷暴動事件」と「日比谷暴動事件」で、約2、000人もの活動家が逮捕され、闘争はひとまず終息しました。
 一方、こうした闘争の拠点づくりのため、過激派は学生運動への介入を強め、全国の大学では、ストライキやバリケードによる封鎖が横行し、大学は正常な授業ができない状況に追い込まれました。元来学生運動は、学費値上げに伴い大学側の経営姿勢を問いただすなどの目的で一般学生の間で自然発生的に生まれた活動でしたが、これに過激派が介入し、次第に暴力的色彩を強めていったという事情があります。
 44年1月には、東大構内に立てこもる過激派を警察部隊が排除した「東大封鎖解除事件」がありましたが、こうした事態に反発した世論の後押しもあり、8月には「大学の運営に関する臨時措置法」が成立・施行され、全国の大学も正常化に向かいました。







「沖縄返還協定調印反対闘争」
(昭和46年6月、東京)  「米軍王子野戦病院開設阻止闘争」
(昭和43年2月~4月、東京) 





早稲田大学の封鎖解除のため構内に
入る機動隊(昭和44年9月3日、東京)(読売) 

https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_0201.htm




渡瀬裕哉

@yuyawatase

NHK党幹事長の黒川さんはセクトの皆さんとの関係をご説明くださいね笑、おじいちゃんの頃からの話じゃなくて貴方自身の話なので。

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引用



らいばれ@まんなか派

@raibare

·

2022年6月25日

黒川敦彦氏が無反応なので彼が極左活動家斎藤まさしの手先、鉄砲玉である証拠動画を上げます 「斎藤まさし氏始め背中を押して下さった人が『あと何とかするから先に山口に行ってこい』って」 「山本太郎氏もアイディアを出して下さって」 また中核派疑惑の村上さとこや田辺よし子との関係も暴露

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午前0:34 · 2022年7月23日

https://x.com/yuyawatase/status/1550504657872736260?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1550504657872736260%7Ctwgr%5E7579a4f54625bca154a4ad07e7599e8327f80c0a%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fhikoyukitakayama%2Fn%2Fnba12f0882134




らいばれ@まんなか派

@raibare

極左活動家の田中正道や斎藤まさしの質問するとランナウェイする黒川敦彦氏wwwwww https://youtu.be/x2eRqIoFIM4?si=kq749vr6ZQWDVyg-

午後10:34 · 2024年4月19日

·

https://x.com/raibare/status/1781315469850694095?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1781315469850694095%7Ctwgr%5E7579a4f54625bca154a4ad07e7599e8327f80c0a%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fhikoyukitakayama%2Fn%2Fnba12f0882134


(IWJテキストスタッフ・花山)

特集 山本太郎

 「私は30年以上選挙をやってきたが、あれだけたくさんの人たちが、ボランティアで勝手に動いた選挙は知らない」──。

 2014年9月17日、名古屋市中区のLive & Lounge Vioで、全国で街頭演説を展開中の参議院議員、山本太郎氏と、山本氏の選挙戦を支えて当選に導いた斎藤まさし氏によるトークイベント「山本太郎キャラバン ~名古屋トークセッション」が開催された。



 30数年、選挙に関わってきた斎藤氏は、「一番強い選挙はボランティア選挙だ。自分の関わる選挙戦はお金もないし、人もいない。だから、いつもカンパやボランティアを集める」と言う。

 山本太郎氏や三宅洋平氏の選挙(2013年参議院選挙)は、まさにボランティア選挙で、バックが付いていなくても永田町を驚愕させる得票が得られた、と斎藤氏は語った。

 そして、「既存政党や団体すべてを敵に回しても、無党派層を代表する候補者をひとつにまとめて、選挙の争点が明確だと勝てる。そういう候補者が出ると同時に、普通の人たちが『ボランティアで応援する』『カンパを出す』『自分たちの選挙にする』と動く。これがカギになる」と力説した。

「カンパとボランティアだけでやる選挙ほど、強い選挙はない」 ~山本太郎氏の選挙参謀、斎藤まさし氏が語る選挙のセオリー 2014.9.17

記事公開日:2014.9.26取材地:愛知県 テキスト動画



しかし、大石氏は2019年4月の大阪府議選には社民党と新社会党の推薦候補として大阪市淀川選挙区から出馬している。定員2名の選挙区に3人が出馬したが、大石氏は最下位と惨敗し当選はならなかった。

元々大阪府の職員だった大石氏は、社民党から大阪府議選への出馬を促されて府を退職したと言われている。本来社民党に所属していたはずの大石氏が、なぜ昨年の衆院選ではれいわから出馬したのか。
 
このナゾを解くカギを握っているのが、斎藤まさし(本名・酒井剛)という人物だ(下記動画左から2人目)。



上智大学在学中の1970年代から新左翼の極左活動に参加していた斎藤氏は各種のインタビューや対談で国際テロ組織「赤軍派」への共鳴を公言、「革命一筋。この30年間他に何も考えたことはない」「僕は革命のために選挙をやっている」「目的は革命なんだから、最終的には中央権力を変えなければならない」と述べ、極左思想に基づく政府転覆を目指す意向を隠していない。

1980年代以降は菅直人など旧民主党左派や旧社会党勢力と連携。「市民の党」という左翼政党を率いる傍ら、立憲民主党・社民党などと組んで国政選挙や地方選挙で極左活動家を出馬させてきた。

2011年4月に行われた三鷹市議会議員選挙では、代表を務める市民の党から、赤軍派のよど号ハイジャック事件で国際手配を受けている森順子氏の長男・森大志氏を出馬させた。



出典: https://ameblo.jp



森大志擁立について斎藤氏は「北朝鮮でよど号の人間や娘たちと会った」「その中には森大志の姉もいた」「そうした縁もあって、長男が帰国してきてからつながりがあった」と述べ、今なお数多くの無辜の市民を惨殺した極左テロリスト集団である赤軍派の残党と連携していることを公言している。

今年の夏、唐突に外国人に住民投票の投票権を与える制度を強行しようとした松下玲子武蔵野市長を「政治家にした」のも斎藤氏だ。

2005年の東京都議選で、旧民主党の菅直人前代表と結託して、民主党候補を下ろして松下玲子氏
に一本化し、当選させたのだ。

武蔵野市では、松下市長の唐突な外国人参政権拡大について違和感を表明した米穀店が過激な営業妨害を受けるなど、不穏な事態が続いている。
そして、2012年以降は山本太郎氏の国政進出を強力にサポート。山本太郎氏が「れいわ」を立ち上げる際には事実上のブレーンとして党綱領の策定や選挙戦略について山本氏へのアドバイスを続けた。

斎藤氏は2015年4月の静岡市長選で公職選挙法違反で逮捕され、懲役2年の有罪判決を受けたが、執行猶予がついたため収監されなかった。 

この後も各地の地方選に事実上、市民の党に所属する候補者を「無所属」としてステルス出馬させる一方、立憲民主党左派、社民党、れいわの国政選挙についても暗躍していると言われている。

極左関連の集会で演説した大石あきこ

大石氏は大阪府職員だった2018年2月、「連帯ユニオン」という労働組合の「議員ネット」集会に参加。2019年、2020年も参加し、2020年は議員でもないのにスピーチしたことがわかっている。
連帯ユニオンは、辻元清美氏や福島瑞穂氏など社民党系の議員と関係の深い「関西生コン」をルーツとする攻撃的労組だ。大石氏が参加した連帯ユニオンの集会には「関西生コンのドン」と呼ばれた武健一氏も出席している。
 
関西生コンは正式名称を「全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部」で、生コンクリートの調達を巡り、工事を妨害したとしてこれまでに延べ89人が逮捕されている。 このうちの一部被告については、9月13日の論告求刑で検察は最高で懲役8年を求刑したばかりだ。

そして、連帯ユニオンは中核派や革マル派など、過去に多くの殺人事件やテロ事件を起こしてきた極左暴力集団との深い関係が指摘されている。

例えば中核派は2017年11月27日発行の機関紙『前進』(2897号)の中で、「関西生コンの闘いに学ぶ」と題して、関西生コンの犯罪行為を称揚し見本とすべきと主張。それぞれの集会に互いの幹部が出席して革命のための暴力を厭わない姿勢を共有している。

統一教会は絶対ダメで極左暴力集団はOKなのか

れいわ代表の山本太郎氏は、統一教会問題について以下のような見解を発表している。

「ここ(旧統一教会)と距離を置かない政治なんてあり得ない。これだけの多くの被害者を生み出して、この国に生きる人々からしぼりとったおカネ、かすめとったおカネ、だまして奪い取ったおカネというものを、韓国側にも流されているわけですよね。こういうことはあり得ない」

「反社会的勢力と手をつなぎながら政治に関わり続けることはありえず、そういう人たちには退場してもらうしかない」

中核派や革マル派はかつて数々の内ゲバ殺人事件を起こしたばかりでなく、資本主義社会を殺人などのテロ行為によって転覆することを目標としている極左暴力集団である。

令和2年の警察白書では、中核派と革マル派は合わせて10,200人の組織活動家がいて、爆破や殺戮、盗聴などテロや犯罪行為を行う非公然組織を持っていると明記している。

そして「関西生コン」は威力業務妨害や恐喝などで延べ89人もの逮捕者を出していて、彼らのターゲットとなった民間企業や関係者に数多くの被害者が出ている。

自民党の議員は、統一教会本体のみならず、関係があったとされる団体でスピーチをしたり電報を送ったりしだけで激しく批判され、「距離が近い」「ズブズブ」などと攻撃されている。

れいわ代表である山本太郎氏が「多くの被害者を生み出した統一教会と距離を置かない政治はあり得ない」と主張するなら、自党の政策審議会長を務める大石氏が、中核派など極左暴力集団や89名もの逮捕者を出した関西生コンと関係の深い団体で演説したことについても、きちんと説明する義務がある。そして、大石氏自身も、国政政党の幹部として説明責任は免れない。

022年09月17日 公開

大石あきこ(1) 名誉毀損(2) 伊藤詩織(12)



れいわ・大石あきこ議員と極左暴力集団|山口敬之【WEB連載第16回】

7月26日、大石あきこ氏を名誉棄損で提訴した。派手な宣伝や告知はせず粛々と手続きを進めてきたが、大石氏は私の訴状を受け取るや否や、YouTube動画をアップロード。裁判費用を捻出するためのカンパまで募っているという――。「大石あきこ」とは一体どういう政治家なのか。



原田優美氏 公認取り消しました。 すべて私の軽率な判断が原因です。 お騒がせしてごめんなさい。 中国人のスパイかどうかは判断できませんが、NHK党として、これ以上この問題に対応する事が出来ません。

https://go2senkyo.com/seijika/144511/posts/406619
原田優美氏 公認取り消しました。 すべて私の軽率な判断が原因です。 お騒がせしてごめんなさい。 

2022/5/31