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脱北者が国籍というものを得るまで(日本編)#21

韓国国籍の取得を諦めた後、看護学校へ進学して日々の生活に追われる中で、あっという間に日本国籍の取得申請の要件である5年が経過しました。その頃の私は看護学校の2年生になっていました。

東京都千代田区の九段下駅から10分ほど歩くと法務局があります。

来日5年を過ぎて2〜3ヶ月経った頃に法務局へ行き、その場で書類の記入を済ませて提出すると、次は指定する日に必要な書類を揃えてもう一度来所するように言われました。

指定された期日に法務局を訪ねると、50代半ばぐらいの女性が対応してくれました。

その時の私は、(韓国国籍を取得しようとした時のように)スパイと疑われるのでないかという不安や、そもそも日本の国籍が取れなければ看護師の国家試験を受けることができないという事情が頭の中をグルグルと駆け巡って、かなり緊張していました。

その日の面接は、そういった私の心境とは裏腹に、本人であることの確認や私のルーツについての質疑応答のような形式で1時間ほど話した頃、淡々とした調子を保ったまま終了しました。

その後、数ヶ月間は何の音沙汰もなく、忙しい日々の中で時に思い出しては忘れてしまうような感じで過ごしていました。

ところがある日、面接を担当した法務局の女性職員から、私を少なからず動揺させる内容の電話がかかってきたのです。

法務局の職員から伝達された事項は(1)家庭訪問(2)同棲相手との電話面接でした。

私が日本に定着して生活できているのかを確認する目的という説明を受け、(拒否すれば申請却下でしょうから)二つ返事で承諾したものの、電話を終えてから急に心臓がバクバクしました。
”そっか、私、同棲してること話したんだった…”

夫に事情を説明すると、対応を快諾してくれたものの、後になってから「受け応え間違えたらヤバいかな?」と不安げに呟く彼に、悪いことをしたなと罪悪感を覚えたものです。

半月も経たないうちに、夫に法務局の職員から連絡があり、氏名・住所・現在の職業・同棲の確認など、やり取りは簡単な質疑応答のみで終了したそうです。
電話を終えた彼はすぐに私に連絡をくれました。

そして、次は家庭訪問です。

私の部屋にやってきた法務局の職員(別の若い女性)は、靴や洋服、布団、果てはお茶碗やお箸の数までチェックして同棲の実態を確認します。

メインの申請理由である看護学校の教科書とノートも注意深く眺めていました。

最後に冷蔵庫の中身を確認し、間違いなく書類に書いた住所で定住していることを確認をして帰っていきました。

私が大好きな番組の中に、東京テレビの「家ついて行っていいですか」があるのですが、ロケを受けたらこんな感じかもしれません😂

その後、看護学校の実習が佳境に差し掛かり、”生きているだけで精一杯”状態である私に、法務局から連絡がありました。

「ジヨンさん、国籍がおりました。最後の確認ですが、氏名は金ジヨンでよろしいですね?事後的に氏名を変更する場合、家庭裁判所に申し立てをして、変更の許可を得る手続きが必要となります。」

当初は親がつけてくれた名前を、そのまま残す予定でした。
国籍と名前は関係ないと思っていたからです。

しかし、法務局の職員から念押しをされて迷いが生じた私は「すみません。一晩だけ考えさせてください。」と返事をしました。

「もし日本の名前にする場合、使用できるのは常用漢字のみというのが決まりですので、気をつけてください」と言われました。

その晩はなかなか寝付くことができず、悶々と考え続けました。
この先、50年も60年も日本に住むとして、看護師の仕事をする上で朝鮮の名前のままで問題ないのか、そして、結婚をしたり、子供が生まれたりしたときに何か悪い影響を及ぼさないだろうか。

翌朝、日本の名前にしようと決めて、自分の苗字と名前を作りました。
散々調べた上で面倒くさくなって、画数占いに全振りしたのは内緒です😂

日本の名前を決めて申請書に記入したとき、私は生まれ変わって新しい人生をスタートするよう気がしました☺️

それから1〜2ヶ月過ぎた頃に法務局から書類が届きました。
日本国籍の取得が許可されたという通知でした。

その通知を持って役所に行き、手続きを済ませた私は晴れて日本国民となりました。

そして、1ヶ月後にはパスポートの申請にも行き、念願のパスポートを手に入れることができたのです。

看護学校を卒業して、初めてパスポートを持って行った国はもちろん韓国でした。

韓国は私にとってまるっきり「外国」でした。日本人の夫より辛いものが苦手で、誰よりもお寿司が好きな私は、韓国を体験してみた結果”日本に残って良かったな”と心から思いました。

しかし、言葉と文化が通じることもあり、初めての海外旅行にしてはリラックスして臨めたような気がします。韓国で見聞きしたすべてが新鮮で、とても楽しかったことを覚えています。 

その後も知人がいるドイツを訪ね、ついでにオランダ・ベルギーにも立ち寄るという素敵な体験もできました。私は日本が好きですが、陸続きで気軽に隣国へ遊びに行けるのも良いもなと思ったものです。

日本のような自由な国では、私を縛り付けるものは何もないので、子どもたちが大きくなったら、また広い世界を見にいきたいです。

自由って素敵ですね〜💕

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