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恥晒しか恥知らずか

美輪明宏さんの話をしようかな。
年々昭和を駆け抜けた著名人があっけなくこの世を去る中で、美輪さんも大分ご高齢で、一度は彼のステージを観てみたいと思ってる間にきっと死んでしまうんだろうか・・

彼の人生は深い深い悲しみに満ちている。
長崎で裕福な家庭に生まれて戦争で被曝し一家は破産し、東京へ来てホームレスになり、銀巴里という喫茶店で歌い、貧困の中で化け物とか国賊と言われて青春時代を過ごし、老いることも何のその黄色い髪で毒づいてパンク精神で居座ってやる。
今でも出鱈目な大都会渋谷に住んでるってのが面白い。
そもそも芸能界ってのは非日常を見せるサーカスのようなもので、本来の丸山明宏さんってのは私程度が推し量れるようなものではない。

ヨイトマケの唄を初めて聴いた時は、なんて恥知らずでダサい唄を歌うオカマなんだろうと思ったものだが、これは私たちのこうでなければならぬと言う固定観念を完膚なきまでに叩きのめす一種の破壊を大衆に向けて試みていたんではないかと、やや大袈裟な話だがそんなにずれてはいないと思う。

銀巴里のライブ音源で「あきれたあんた」という曲がある。
淡々と日常を歌う美しいバラードだ。2、3回聞くと妙に引き込まれていく。
寂しくて拾った男が働かなくてイラついて、別れたらどっと喪失感に襲われる女心の唄だ。
なんなんだろうね。美輪さんの歌ってありありとその情景が浮かぶ。
古い唄で「女という生き物」という映画だかPVだったかな・・当時失恋した私はこの曲を聞いて妙に合点がいって諦めがついたのをよく覚えている。この映像どこかにないかな…

昨今「めくる」という言葉がある。
スカートめくりとか古臭い悪戯ではなくね。
美輪さんのやってきたことって、自ら恥を晒してみせることで、人々の自意識の中で自ら仮面をめくらせて各々に恥を晒してやることで「浄化」を図っていたんじゃないかと思う。
暴力でもない。罵倒でもない。嫌味でもない。虐めでもない。無視でも無関心でもない。
決して加害せず、ガンジーのやった非暴力不服従ともちょっと違う。
これって男だろうと女だろうと発想すらできない高等表現とでも言うべきか、別に美輪さんがゲイだからできたなんて言うつもりもない。

簡単に言うと自分の手はボロボロになりながら、黄色い髪を振り乱してトイレを徹底的に洗うみたいな。
人間なんて所詮糞尿しか生まないのに、なんで自分の部屋もろくに掃除できない訳?って綺麗な日本語で問いかける感じ。
実際の美輪さんは掃除してたかどうかなんて知らんよ。

彼が生きている間に、あのこっ恥ずかしい一人ミュージカルや、淡々とした唄(どっちかと言うとこっちが好きかな)を生で聞いてみたいけどね。

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