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『正欲』観てきた 映画感想文

なかなか考えさせられる作品だったね。

昨今のダイバーシティたるものや、今まで曖昧だった性的ジャンルを明確にして分けようとするもので、本当に受け入れるのか?ってことを問われているようだ。
単に嫌煙家による喫煙区画を設けるための情報整理したいだけと違う?

そもそも水に興奮することに共感できる人ってなかなかいないと思うが、これはある例えであって、これ見てどうしても思い出さなければならない人物が浮かび上がってくるのは私だけだろうか。
「酒鬼薔薇聖人」「宮崎勉」「ジャニー喜多川」「徳勝もなみ」・・
彼らは、特殊性癖を満たすために人を殺めてきた人物だ。
昨今騒がれているジャニーズ問題を見ていると、誰しもが後ろめたい気持ちがあるのに、それをひた隠して批判している。
お前は性的に誰かを搾取したことはないんだな?
過去にイエス・キリストが言ったらしい「誰も罪を犯していない者が、この娼婦に石を投げよ」と。
彼らの言い分としては、一応の新たな生命を生む行為としての異性愛のSEXについては認められるのに、なぜ私のパラフィリアについては・なぜ私のサディズムについては・なぜ私のスカトロジーについては、生涯我慢を強いられなければならないのか?
そして一度その欲求を現実に満たした場合、その再犯率は極めて高い。
こうなると、社会から隔絶して生きなければならないのは本人も不本意ながら本意であることは間違いない。
性欲は生ける原動力でもあり、今後の仮想現実世界においてその願望を疑似できない限りは、なくせないだろう。

また一般的に、たまたま結婚して互いの性的趣向を満たし合うことを公にすることに対して、何で私がお前らのちゃんちゃらおかしい性癖公認会を祝福せにゃならんのよって、主人公の気持ちにも共感できないこともない。
ならこれから噴水見てオナニーしますってイベントに会費払って観賞しに来るのか?
どうしたって分かり合えんのよ。

あるいは一昔前は、国策として見合い結婚が大半だったわけで、果たして本当に互いの性欲が満たし合えていたのかどうか、甚だ疑問だ。
私の母は父(夫)を性的に嫌悪していた。
3人の子を生み育てたが、「営み」というよりは「苦行」に近かったろう。
浮気もしていたし、離婚もした。
今となっては身勝手な親を、ごくごく自然に正直に生きたんだと称賛したい。

分かろうとすることに無理があって、そんなものは差別を助長するにすぎない話で、わざと曖昧にぼかしておけばいいこともあるのではないか。
分かり合えないのに私は無理してこの制度に則ってやってるんだと、てめぇのストレスを他人に押し付けんなよ。新垣結衣のデパートのシーンは無言ではあるが、なかなか爽快だったな笑。
てめぇが寂しいだけなのにお節介焼いて、気に入らないからブチギレる、そう言う鬼畜は生涯自己嫌悪の淵でもがき苦しめ。
ではこういったソフト鬼畜とハード鬼畜のどちらが社会にとって害悪か、両方排除したいならこの世界の人の関わりはますます分断していくだろう。
水に興奮する人がいるなら、放っておけばいいんじゃないか?
避ければいいんじゃないか?
そこで災難を食い止めるって、交通事故を食い止めることに等しいかなとも。

もう一つ感じたのは、キャスティングに稀代のペドフィリアに見出されてスターになった稲垣吾郎が「正者?」として演じている点にも表現世界の「皮肉」を感じざるを得ない。

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