7月9日にはもうセミが鳴くと知った

今朝早く、昔の同僚からラインが届き、元上司のNさんが亡くなったことを知った。

Nさんは私が配属された部署の部長であり、会社の経営者一族の一人だった。経営者一族ということはお金持ちであり、その上スラッと背が高く、余裕と貫禄と遊び心と茶目っ気も持ち合わせていた。

私を含めた同期五人にそんな自覚はなかったのだが、今から思えば入社した当時から我々は非常に態度がでかく、学生気分が抜けきらないというか、常に学園祭前のようなテンションで仕事に臨んでいた。(こいつらホンマに…)と思っている人もいたと思うが、そんな私たちをNさんは面白がり、非常に可愛がってくれた。仕事にとやかく口出しするようなことはなかったが、もう駄目だ…と思うようなピンチの時にはいつも助けてくれた。私や先輩がどんだけ騒いでもお願いしてもどうにもならなかったメーカーとの交渉が、Nさんが一本電話すればすんなりと通る。「最後の最後にはNさんがいる」という揺るぎない信頼があったので、先輩や上司達も楽しそうに仕事に没頭していた。まずはやってみよう。やれるだけやってみよう。そういった活気が部内に溢れていた。だから私もその空気にすっかり染まりがむしゃらに仕事に取り組んでいた。

Nさんはやがて常務になり、取締役になり、直属の上司ではなくなってしまったが、それでもたまにエレベーターで顔を合わせたりすればニヤリと笑いながら「最近どうや?」と話しかけてくれた。ある夏の日は蚊に刺された私の二の腕を見て「蚊に食われとるぞ」と言ってぷっくり腫れたその個所をボタンでも押すように押されたこともあった。他の人が同じことをすれば「何しとんじゃ!」となることでもNさんがすればキュンとしてしまい骨抜きにされてしまう。何をする時もケチな下心など無く、そこには大人の余裕と子供のような無邪気さがあるだけだった。Nさんはそういう人だった。みんなNさんのそこに魅せられていたのだと思う。みんなに愛されたNさんだったが、同じぐらいNさんはみんなのことを愛していてくれていた。

ある時、飲み会の席で人事部長と話す機会があった。採用時の話から今の仕事状況などをあれこれ話していると、ニコニコしながら「チャコさん毎日仕事楽しそうだねえ」と言われた。続けて「採用の時ね、面接したNさんが『絶対チャコさんを採用してくれ!そしてうちの部署に配属してくれ!』って社長に言ったんだよ」と教えてくれた。ほんの10分ほどの面接だったと思うのだが、必死に話す私を見て気に入ってくれたのか…と思うとじんわり嬉しい気持ちになったのを今も覚えている。

Nさんが亡くなったという知らせには勿論驚いたのだが、どこか諦めのような冷めた気持ちもあった。私も歳を取ったのだと思う。学園祭前のような勢いで毎日を過ごす日々は終わったのだ。人は必ず旅立つし、また新しく生まれてくる命があることも身をもって知った。昨日まで考え付かなかったような「まさか」が今日起こることだってある。時間は止まらない。平等に皆の頭の上を流れていく。死をかわいそうなことと感傷的に捉えることは無くなりつつある。ゴールが来たのだなと思う。

Nさんはゴール前、好きだった曲を聴けただろうか?楽しかったあれこれを思い出すことはできただろうか?伝えたい言葉は相手に渡ったのだろうか?痛みや混乱の最中でなく、好きなものに囲まれてその時を迎えることができたのだろうか。どうかどうかNさんが安らかに渡っていけますように。

ありがとうございました。という言葉だけではとても足りない。

大好きでした。でも言い足りない。

一緒に働いたあの時間に感謝します。あの時間がNさんの中にも永遠に刻まれたなら私は幸せ者です。

いつかまた、ここではないどこかで会いましょう。

その時まで、さようなら。お疲れさまでした!

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