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おばあちゃんのつづりかた 生まれる

1941年12月8日真珠湾攻撃、
その頃、わたしは男が女かわからない、母の胎内で臨月ギリギリ今日出るか明日にしようか、と思案をしてた。
それから、4日後この世に生を受けた。東京の下町の商店街の一角で女の子として、認定された。
ふぎゃーと叫んだか、おぎゃーと母音を強調したのか、覚えていないが、後で父、母が言うには男の子ばかりが続いて、久々の五番目の女の子で、ニヤニヤしたらしい。実はその前に、一人三番目に女の子が生まれたらしいが、幼い時にジフテリアで死んだらしい。その生まれ変わりで、小さいが元気で鼻ぺちゃで日焼けしたような赤ちゃんで、赤くなかったと言う話。

父がこの子お嫁にいけるかなー、と生まれたばかりの娘に思ったらしい。もし聞こえていたら、胎内に戻ろうかなーと思ったかどうか。こうしてわたしは、はじめの一歩をふにゃふにゃとした体でこの世に着地した。
わたしがゼロ才の時の話です。

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