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1ミリも色褪せない記憶



どんなに月日を重ねても
毎年"その日"が来ることを受け入れられない日が
1年に数日だけ、、、存在する。



"その日"が近づいてくると…
テレビが"あの日"から何年経過したのかを
当時の映像と共に伝えてくれる。


"あの日"は当時のわたしの給料日だったので
叔母にランチをご馳走する約束をしていた。

3才のわたしが叔母にした不義理のお詫びとして
「次の給料日にランチ奢ってくれたら帳消しにしたげる」
叔母から提案された約束の日、、、。


叔母の昼休みを待っている間、
テレビからは信じられない光景が映し出されていた。
建物に見覚えのある車体の電車が衝突していた…。

そわそわしていると突然携帯が鳴った。
叔母が職場で倒れたらしいと…。

急ぎ叔母の勤務先に車を走らせた。
オフィスに駆け上がると叔母が床に横たわっていて
救急隊員の方が叔母の服を割いて手当てをしていた。

信じたくない光景を目の前にして
立ちすくみながら数分を過ごしてしまう。

ふと我にかえり叔父の職場に連絡をした。
早急に叔父を駆けつけさせてくれるとのこと。

救急車で搬送される叔母を見送る。
噂を聞きつけ駆けつけてくれた叔母の友人から
帰宅して入院の準備をするように言われる。

従妹の学校と叔母の長男の職場の学校にも連絡をした。
従妹は授業中で取り次いでもらえなかった。
私立の進学校の担任を担っていた従弟は…
「授業が終わり次第そちらに向かいます」
「母に万が一があればこちらに再度連絡をください」
「母が望んだ職を全うします」
静かにわたしにそう告げた。

また携帯が鳴った、、、。

「荷物はいいから今すぐ病院に来なさい!」
「それまでは機械で繋いでもらうから…」

震えてしまって運転が出来なくて
事情を知り駆けつけてくれた知人の車で病院へ。


向かう道中従弟に連絡すると
「今から授業なので終わり次第向かいます」
「産んでくれてありがとうと伝えてください」
わたしは言葉を詰まらせるしかなかった。


救急治療室に横たわるたくさんの管に繋がれた叔母…
『それではお別れを、、、』と病院の人に言われる。

横たわる叔母にかろうじて従弟からの伝言を伝える。
わたしは立ちすくむことしか出来ないでいた。

病院に先に到着していた叔父が
病院の人からの囁きに下を向いて頷く…。
心筋梗塞の手当てが及ばす
延命装置が外されるのだと耳打ちされた。

叫びながらそれを阻止しようとすると
病院まで駆けつけてくれてた叔母の友人たちに抱えられて
わたしは…気づけば病院の駐車場にいた。

『私らがついてるから!!!』
『しっかりつとめることが一番の供養なんやで!』
『泣くのは全部終わってからでええんや!』
『ここまで受けた恩は今返さなあかんのやで!』


叔母の友人たちに囲まれて言われた言葉が
今でもしっかり耳にこびりついている。


そこから従妹が帰宅するまでの記憶はない。
帰宅した従妹が激しくわたしに問う。

『名前は呼んでくれた?』
『ほら、名前を呼んだら引き返すって!』
『何回も何回も名前を呼んでくれた?』

あの時のわたしは…声が出なくてただ見ていた。
あの時のわたしは一度もただの一度も叔母の名前を呼ばなかった。

そのことを告げると従妹から泣きながら責められた。

『なんでなん?なんで呼んでくれんかったん?』

泣き崩れる従妹に泣いて詫びていたのが
17年前の4月25日の今くらいの時間…。

テレビは今年も痛ましい出来事を報じている。

何を食べても味がしなくて
気を緩めると涙がこぼれる1日がもうすぐ終わる。

たった17年では記憶の鮮度は落ちない。



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