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竹内浩三という人

「ぼくもいくさに征くのだけれど」 竹内浩三

街はいくさがたりであふれ

どこへいっても征くはなし 勝ったはなし

三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど

だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら

一体ぼくはなにをするだろう てがらたてるかな

だれもかれもおとこならみんな征く

ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず

蝶をとったり 子供とあそんだり

うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので

どうか人なみにいくさができますよう

成田山に願かけた


竹内浩三という詩人を知ったのはNHKアーカイブスで数年前のことです

大正10年伊勢市の生まれです。

これから書くことは多少の思いちがいを含んでいるかも知れません

日本大学映画科なるところに席をおき中学校時代の友人たちと

詩など投稿する雑誌「伊勢文学」を刊行していたとのこと。

映画監督を目指していたようです。

裕福な家庭に育ち苦労知らずのまま成長して

上京して学生時代をおくる間も親からの仕送りで足らず

姉に金の無心をするような人です。

おんなに振られたら大泣きする純情な不器用なおとこ

他の人は眼もくれないような事に子供のように嬉しがる

内容はドラマ仕立てだったので二十歳すぎの柄本佑が瑞々しく

演じていました。

実際の浩三さんもこんな人かしらと重ねて見てしまいました。


浩三さんが学徒出陣で出征近い頃の率直な気持ちを書いた詩です。

男子として生まれた苦悩 震え やがてあきらめ そして覚悟

この時代に男として生を受けたことをどう思ったのでしょう

その当時はあれやこれやと規制のかかった時代のこと

その時代だからこそ自分が本当にしたい事、楽しいと思うこと 

好きな洋楽を聴くこと、「伊勢文学」の仲間と夜通し討論すること 詩をつらねること 

女の人を抱きたいと思うこと 興味のあることに全力でぶつかる

どこかで追い込まれていく気持ちが渦をまいていながら

ひたすらに自分自身がいとおしかったと思います。


死というのは隣り近所の人から 子供の頃に遊んだ友から

そんな仲間から耳をふさいでも教えられる事実。

そんな時代に軟弱な詩なんぞを書いた浩三さん

(うっかりしていて戦死するかしら)うっかりしなくても戦死を

することに気がついていたのか、生来のんき者だったのか

(どうか人なみにいくさができますように 成田山に願かけた)


思考力などあればあるほど生きていくのに不都合になった

数の多いほうが正義だった。出征するとき近所の人が集まって

「バンザイバンザイ」お国のために戦ってこい 一人でも多く敵を

倒してこい、アメリカ人を殺してこいとハッパをかけて送り出す。

家族も近所の手前泣くこともできない。「お国のために頑張んなさい」

小声で生きて帰れよ どうあっても生きて帰れとつけくわえたはず


入隊後は「伊勢文学」の仲間たちが次々出世していくなかで一人取り残されるように雑用係みたいなことをしていた。

日々の訓練に明け暮れる中、便所の薄暗い明りのしたで浩三は詩を書き続けた。見つかれば没収されてしまう。げんこが飛んでくる。大学出だからそれほどの苦労もせずに出世できたはず。そうすれば少しは楽に詩作に励めただろうにそれが出来ない、軍隊と言う組織はひときわ浩三にとって肌に合わないものに違いなかった。ポケット手帳に綿々と書きつけられた浩三の魂の歌たちは姉から届いた分厚い宮沢賢治全集をくりぬいてそこに納められて再び姉の元へ無事に帰っていった。


しかし浩三は帰れなかった。23才の若さで激戦地ルソン島にて戦死した。

浩三の執着心が彼自身の詩を陽のあたる場所へと向かわせた。

私はこの人の名前を忘れずにいてあげようと思った。

たぶんわたしが男ならば どうか人なみにいくさができますように

うっかり死にませんようにと願をかけたかもしれないから。

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