今年の〈情況〉

2014年は、どんな年だったかと、後世の人に問われたら、真っ先に私は「菅原文太が死んだ年だった」という言うだろう。
それぐらいに菅原文太が死んだというのはでかい。言うまでもなく、『仁義なき戦い』以降の実録映画の象徴になることで、菅原文太は同じく今年死んだ高倉健と並ぶ存在であろう。
だがしかし、これを以て「昭和は遠くなりにけり」と言ってしまう様な御仁をみると、いまだ昭和は終わりえないのだろうと感ずるばかりである。
例えば美空ひばり、例えば王貞治、例えば田中角栄の様な、「昭和の象徴」が死ぬたびに〈昭和は遠くなりにけり〉と言う輩がいる。昭和的である様な人物がなくなったとしても、昭和は終わりえない。むしろ昭和の問題はいまだ誰も答えられぬまま放置されているではないか。

昭和の問題とはなにか。それは1979年に終焉した明治政府の後の物語を誰も紡いでいないということではないか。1979年に明治の時代が担保しえた、自己表出と指示表出の補完関係は崩壊した。その象徴が、柄谷行人という文芸評論家である。柄谷は、78年に『マルクスその可能性の中心』79年に『隠喩としての建築』80年に『日本近代文学の起源』の様な、なにも本質的な事を問わないが故に現実に対して統制的になりうる官僚制度と、本質的であるが故に現実になにも影響力を及ぼさない文学という、明治以来、日本を保守し続けてきた二元的補完制度を相対化した。これは単に柄谷行人という個人が疑っただけという話ではなく、柄谷は時代の要請に答えたのだと私は据えている。現に、79年以降、日本の独自性としての〈田舎〉は、コンビニやチェーン店の登場により姿を消し、村上春樹という固有性を持ちえない作家の登場も79年である。しかし、この明治の終焉というのは、言いかえれば、黒船来航から、日本がこの方やってきた、近代化の完成ということであり、そう考えると、近代化により失われていくものを敢えて擁護する振る舞いをし続けてきた近代文学というやつも意味がなくなるというのも分からなくはない話である。

本質的にいまだ昭和は終わってない。いや、〈明示以後〉は終わっていないと言った方が正確だろう。それが2014年の情況である。

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