見出し画像

音楽劇 ヘブンズ・レコード 感想

音楽劇 ヘブンズレコード
10月10日 14時30分
有楽町よみうりホール

作・演 岡本貴也

貴城けい・荒牧慶彦 回

10日の夜に有楽町で別作品を観に行く予定があり、時間があったので当日券でふらっと観てきました。

初めてよみうりホールに入ったんですが、なんか2階席の作りが、面白いですね。なんだあのサイド席スロープ。
1階席で見てきたんですが、段差はあんまりないですが椅子が好きな椅子でした。

そんなこんなで、前知識は荒牧さんが関西弁を苦労してしゃべるしかなかったんですが、キャラクターじゃない荒牧さんを初めて観れたので新鮮でした。

お話は3部構成。
それぞれの短編オムニバスで、貴城さん井上さん荒牧さんはストーリーテラーという立ち位置でした。
ピアノの生演奏が、やさしく奏でる中で震災の記憶を語る朗読劇は、自分が実際に体験していない震災ながらも恐怖と、亡くす苦しみと悲しみと、向き合うための力と希望を感じました。

これを書くと年齢がバレるんですが、私は阪神・淡路大震災の時の記憶はありません。テレビでも見た記憶がありません。
ただ、小学生の頃に父が当時の小学生が阪神・淡路大震災について書いた作文集を自分に買い与えたことがありました。
なんの意図をもってその本を父が買ったのかはわかりません。けれど、自分と同じくらいの年月を生きたかつての小学生の書く文章が、ひどく生々しいもの、まだ実感がわかないもの、苦しいもの、前を向こうと必死なものとたくさんの感情で溢れていました。

何度も読んだその作文集を、そこでその先で生きていた人がを、朗読劇をみて感じました。

どの話の方も震災の記憶を語るとき、少し遠い記憶で、あんなことあったね…みたいな切り口から入るんです。まだ受け入れきれない感じを受けました。
けれど話すことで、聞くことでまた体験する。それはただ辛い思いを共有するためじゃなくて、前を向くためのものなんだなと思います。

だから全部聞いてる、たけると店長が最後の話であの慰霊碑の場所に行くことで、特に若い世代として描かれているたけるが、震災復興が震災を忘れるのではなく、風化するのでなく、起きたことを受け入れて前に進むことへの希望として描かれたと感じました。

わりとこういう話には弱いので、涙が止まらなくなりながら観ていました。
私は運良く東日本大地震も直接の被害がないので、阪神淡路も東日本も冷たく行ってしまえば他人事です。画面の向こうです。
けど生身の人間が語ることで、目を向けさせる力を感じました。なかなか無い機会です。
ふらっと立ち寄ってよかったです。

第1話
最初から本当に衝撃的な話でした。
幼い娘と生まれたばかりの息子のいる夫婦の話です。地震が起き、瓦礫の下から娘と妻を助け、息子を見つけた時にはもう亡くなっていた。絶叫し、苦しみ、悲しみ、妻に「泣くな!」と叫ぶあの必死なシーンが苦しくて苦しくて。そのあとに語るんです、「息子の足を掴んだ時、冷たかったんです。でもの顔は綺麗なんですよ。おしゃぶりしたままで」の言葉が悲しくて、必死に嗚咽が溢れないように聞きました。

苦しみながらも、生き残った妻と娘と必死に生きていく中で、妻が偶然に出会った彫刻家の先生に「息子を作って欲しい」とお願いをします。彫刻家の先生は、変わり果てた神戸の街を見て、お地蔵さんとして彫刻を作ります。

この時、夫が大反対するんです。息子は見世物じゃないって。家の前において晒し者にするなって。ずっと、この人は怖かったんだなって思いました。いまだにこの人は息子の死を受け入れられない。事実として理解しついても、気持ちが受けいれられない。息子を亡くした悲しみを、受けいれられてないんだと思いました。

最後、娘と妻と大きく衝突しながら、息子の死を受け入れます。お地蔵さんになった息子に近所の人は、お供え物をしてくれます。
遠方から来た、震災で娘を亡くした母親は、お地蔵さんをみて救われたと言います。

夫はずっと、怖かったんだと思います。ここに息子がいたことを受け入れてしまうと、助けられなかった、亡くしてしまった、いろんな後悔が込み上げてくる。きっとそれは彼が生きるためには耐え切れなかったんだと思います。生き残った娘と妻と、生きることに必死で、必死だから目をそらしてたんだと思います。

だから、周りのおかげで、娘のずっと弟はここにいるよって言うことで、受け入れていいんだと、受け入れて悲しんでいいと思えたんだなって思いました。

私はこのお話は、妻が本当にすごいなって感じました。震災のあの日、妻に「泣くな!」って夫は言ったんです。だから妻は涙を流さずに、必死に真正面から息子の死を受け入れていました。まだ生後間もない大事な息子の死を、真っ直ぐに受け入れた妻の、救いの形がお地蔵さんだったんだと思います。だから、夫がやっと息子と向き合えた時「もう泣いていいんだよぬ」と言っていたセリフが印象的でした。母は強いて言いますが、本当に強い愛情を持った人だと感じました。

非常に重い話です。
臨場感のある震災シーン。映像じゃなく生身の人間が語るからこその生々しさに圧倒されました。

第2話
被災した地域で真っ先に営業を再開した、街の小さな銭湯の話です。
元気なお母ちゃんが、いろんなところを駆けずり回って、電気をガスを、水を、そうして煤まみれ、泥まみれの人々にお風呂を提供する。

たけるもお風呂に入りにいったってことで、元気なお母ちゃんに会っているので、元気な力の溢れるお母ちゃんの姿が印象に残っているって話から、お母ちゃんが亡くなったって話が受け入れがたかったです。

自身も病気をしながらも、周りを元気にする力を持ったお母ちゃんと気の弱いながらもずっと寄り添う旦那さんが、とても素敵で、2人で寄り添って、2人だからこそ頑張れる姿が優しかったです。

銭湯を閉める理由が、区画整理っていうのが生々しくて辛くなりました。綺麗事ではなく、区画整理で店じまいを余儀なくされる。お母ちゃんが亡くなっても近所の方に愛されながら銭湯を経営するという終わり方じゃない。
奥さんがよくかけていたCDを、売りに来て、どうしようか悩む。
そこに、残された人間が、生き続けることの大変さを垣間見ました。

旦那さんが「ちょっと休んでも良いんだよな。頑張らなくていいんだよな」がすごく苦しかったです。

自分にとってはフィクションの世界だけど、綺麗事ではいかない遣る瀬無さなどを感じました。

第3話

若い夫婦になる話です。
この話は未来への話。

第1話が過去、第2話が現在、第3話が未来への話という感じかなと思いました。

たけるの同級生が結婚する話です。
同級生も同級生の彼女も共に震災で両親を、亡くした2人です。
同級生は、もう一度両親に会いたい。自分は笑った顔も思い出せない。死んだ時の顔が頭から離れないということに苦しんでいます。
彼女は、両親が亡くなった後多重人格に悩まされます。もう一つの人格として出てくるのがお母さんというのが辛いなと思いました。

前の2話に比べてコメディタッチで、比較的楽しく見れましたが、やはり2人が生きていくことを受け入れ歩み出すまでは、とても苦しんだろうなと感じました。

慰霊碑に挨拶をするシーンが、寂しくも切なくも美しく感じました。
ただ寄り添い、苦しい悲しい記憶に蓋をするのではなく、その記憶も含めて生きていく。
若い2人がメインだからこそのお話ですが、きっととても必要なことなんだと思います。

3つのお話を通して、震災に対して風化させてはいけない強い意志を感じました。
大きな地震や災害が続く中、綺麗事ではなく、自分たちが何ができるのか、何をしなくてはいけないのか考えさせられる機会となりました。

最後のお話。
復興事業の際に起きた事故で寝たきりになってしまった父と支える娘と、隣人だった人のお話。
誰もが誰かの支えとなるし、支えがないと苦しいって感じを強く受けました。
今、結婚しなくても1人でも生きていける時代で、他人との関係も希薄になっていく中で、誰か心を許せる人が救いになるんだなって思いました。

なかなか考えさせられる作品。
綺麗なピアノと、ひまわりを持って挨拶するカーテンコールが印象的でした。
ひょいと軽い気持ちで足を運んだら、返り討ちにあいましたね。

ーーーーーーーーーー

荒牧慶彦さんが、初の関西弁に挑戦してと言っていたので、どうなるかなって思ってたんですが自身も関西出身じゃないので良し悪しは全くわからなかったです。ですが、コツを掴むと上達が早い方なので、すぐに習得しそうだなって思いました。

印象的なのは、若手の朗読が体を動かし感情を乗せてるのに対して、ベテラン勢がどっしりと構えてて、朗読劇ながらも、演技へのアプローチがそれぞれみれて面白かったです。

#観劇感想
#ヘブンズレコード