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『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』#100(2024.3.9)

FM HOT 839(神奈川県相模原市)の『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』です。というわけで、第100回になりました!リスナーの裾野を広げるため、マニアックな分野をやろうということで始まったこの番組。いろいろあった約2年ですが、節目の回を迎えることができました。

放送日:2024年3月9日(土)22:00~22:30
パーソナリティー:コシバタカシ/ゲスト:トトロ大嶋。
(ヘッダー写真提供:トトロ大嶋。)


オープニング

今日でこの『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』が100回目の放送を迎えました。普段から聴いて下さってるリスナーの皆さん、このような場を与えて下さったFM HOT 839、そして番組にご協力下さった全国のコミュニティFM各局の皆様の支えがあり、100回を迎えられたと思います。そこで今回は特別企画をご用意しました。

100回記念・コシバの知らないコミュニティFM史(前半)

今回は番組初のゲストとして、コミュニティFMなど数多くのメディアに関わってきた、放送作家のトトロ大嶋。さんをお招きして、「コシバの知らないコミュニティFM史」と題してお送りします。

コシバ トトロさんとラジオの関わりは?

トトロ いま、ちょうど50才の団塊ジュニア。両親とも働いていて家にいなかったので、兄が家に残していたラジカセをいじって遊んでいるうちに声が聞こえてきました。3才の頃にはもうラジオが友だちになっていました。

コシバ 1970年代後半だと思いますが、その頃のラジオはどんな感じだったのですか?

トトロ 1970年代はAMラジオが昼も夜も賑わっていましたが、FMラジオは東京近郊でもFM東京(TOKYO FM)とNHKの2つしかなく、ダイヤルを回しても空き地だらけ。ざーっというノイズしか聞こえませんでした。地方では民放FMもない地域もたくさんありました。
信じられないと思いますが当時のFMは音楽ファンのためのもので、「エアチェック」のために二ヶ月前くらいから決まった選曲を流すような番組ばかりで、1985年にFM横浜が開局するくらいまではトークや生放送は少なかったです。

コシバ そして、1980年代前半に起こったのが「ミニFM」ブームでした。

トトロ 当時、日本ではラジオ局が少なく、ラジオ局を作るためには莫大な資金やスタッフが必要で、国の免許が必要でした。
ところが、アメリカやヨーロッパは手続きが違っていて、日本に比べると小規模で、自由な形で実現できました。地域ごとのラジオ局であったり、特定の音楽だけを流す専門のラジオ局であったり、大学などがキャンパスから放送するラジオ局だったりと、たくさんのラジオ局が開局していました。
そうした海外の状況を知って、日本でももっと多くのラジオ局が作れるようになるべき!!と運動した人たちがいました。また一方で、70年代から理系の大学生などが、送信機を自作して電波を流して放送する「海賊放送」がちょいちょい出てきました。
こうした動きが合わさって、「微弱な」電波(1980年代当時でおよそ半径100~200m)の範囲であれば、国の許可や免許がなくとも電波を出して小さなラジオ局ができると考えた人たちが、渋谷や青山、湘南といった地域で「ミニFM」局を名乗り、放送するようになったのが話題になりました。映画『波の数だけ抱きしめて』などでもその頃の様子が描かれてます。文部省(当時)の調査では、全国でおよそ6,000のミニFMがあったと言われています。

コシバ それで、トトロさんもミニFMをやっていらしたんですよね?

トトロ ミニFMブームが始まった頃はまだ小学校低学年だったので、なかなか実現するお金も力もなかったのですが、中学校に入ってすぐに東京都大田区の自宅をスタジオにして、「FM POPCORN」というミニFM局を開局しました。1996年の春までおよそ9年、休まず放送を続けていました。

トトロ大嶋。さんが9年間運用していた「FM POPCORN」(写真提供:トトロ大嶋。)

(当時の音源を少し流す)

トトロ 毎週土曜の夕方におよそ3時間の生放送、今でいうニコニコ生放送とか17LIVEみたいな感じでコミュニケーションをとる感じで、電話をかけてきたリスナーとつないで会話をしていて、電話回線も3つ持っていました。
スタジオも自宅でしたが普通に開放していて、同世代の人たちが遊びに来て、8畳間に最大で24人集まったりしました。

コシバ そんなミニFMが、コミュニティFM制度に繋がっていくんですね。

トトロ ミニFMが社会現象になると、法律を逸脱するような問題も出てきたので、新たな敷居の低いFM放送を日本でも作りましょうという話が出て、当時の郵政省の方から話を聞きたいと行ったことがあります。
同じように話を聞かれた人がいらっしゃって、市川うららFM(エフエム浦安)やレディオ湘南のざいつきげんさんなど、ミニFMからコミュニティFMになったところもいくつかあります。なので、ミニFMブームはコミュニティFM制度が早く導入されるきっかけになったと思います。
ちなみに、当時ミニFMをやっていらっしゃった方の中に槇原敬之さんもいて、実家の電器屋さんで弾き語りを披露していました。私も聴いたことがあって、すげーなこの人と思いました。

100回記念・コシバの知らないコミュニティFM史(後半)

コシバ コミュニティFMの制度が生まれるきっかけのひとつに、80年代のミニFMブームがあったというお話でしたが、実はその前にトライアル的なものもあったんですよね?

トトロ イベントFMのことですね。1980年代後半、世の中はいわゆるバブル時代でした。そんな最中に全国各地で地域おこしを兼ねて、地方博ブームというのが起こります。
まず、1985年に茨城県の筑波研究学園都市で「科学万博つくば'85」というのが開かれまして、このときはAMで「ラジオきらっと」というイベントFMの元祖とも言える、臨時のラジオ局が作られました。
これが好評だったのでイベントFMが制度化されて、1990年代初頭にかけて各地で開かれた名古屋の世界デザイン博覧会、横浜博覧会(YES'89)などの会場で、周辺の自治体に会場内の様子を伝えるメディアとして活用していました。来年の大阪万博でもやる予定と聞いています。

1989年にみなとみらいで開催された横浜博覧会(YES'89)

コシバ トトロさんはイベントFMにも携わっておられたとか?

トトロ 夢だったプロとして放送の現場に携わるために、高校生のときからラジオ番組の制作会社やFM東京などに出入りして、ちょこちょこアルバイトをさせてもらってました。
その流れで、1990年の夏に湘南の海岸線沿いで行われた相模湾アーバンリゾート・フェスティバル「SURF’90」というイベントに合わせて、会場周辺の交通情報やおしゃれな音楽を流すために、小田急片瀬江ノ島の駅近くにSURF’90FM(ジョーズFM)というのが開局しまして、それをちょこっとお手伝いさせてもらったりもしました。

コシバ 当時の思い出は何かありますか?

トトロ 当時のイベントFMは何社かの制作会社やそのいわゆる二軍の方が結構やっていらっしゃっていて、東京の現場よりもちょっとのんびりした空気でやらせてもらってました。SURF’90は湘南地域に早くコミュニティFMが開局したきっかけになったと言われています。

コシバ そして、いよいよ1992年にコミュニティFM制度がスタートします。

トトロ 最初の頃は全国にポツポツできている感じで、当時のイベントFMや初期のコミュニティFMは立ち上げにお金がかかる(8,000万円~1億円)など、ラジオ放送ってまだ敷居が高かったです。

コシバ 当時のコミュニティFMの雰囲気ってどうでしたか?

トトロ すごくきっちり作っていて、安心安定感のある放送はできるんだけども、県域局と違いがなくて、一方で「地域」のための放送という観点からするとどうなんだろうな?という疑問も感じていました。
コミュニティFMが多様化していくのは、数がもう少し増えてきた90年代後半になるのかなと思います。

エンディング

トトロさんにFM草創期からミニFM、イベントFMのお話を伺っていたら、あっという間に時間がなくなってしまいました。そこで、次回の第101回もトトロ大嶋。さんをお迎えして、「コシバの知らないコミュニティFM史」の続きをお送りします。

お知らせ

全国のコミュニティFM局関係者の皆さん、ぜひ『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』に参加してみませんか? ジングルと写真、3つのキーワードを頂ければ、番組の中でがっつり紹介させて頂きます。よろしくお願い致します。

配信やっています!

各種Podcastで『コミュニティFM大図鑑』を配信しています。新作は地上波オンエアの概ね3日後から配信します。お気に入り登録もぜひ!


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