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阪神・淡路大震災から26年

「あの日」から、もう26年も経ってしまいました。

1995年1月17日、朝5時46分に兵庫県南部を襲ったマグニチュード7.3の大地震。神戸市や淡路島を中心に多くのビルや住宅が倒壊し、火災も発生するなど甚大な被害が出て、6,500人近い方々の尊い命が失われました。

前にも書きましたが、私は兵庫県で生まれました。すぐに関東へ引っ越したために、兵庫に住んでいた時の記憶は全くありませんが、親は兵庫県人で年に1~2回は関西へ帰っていたので、ある程度の土地勘はありました。

その日は少しゆっくりとした朝を迎えていましたが、親に「関西がえらいことになってる!」と起こされて、テレビから目に飛び込んできたのは高速道路の高架橋が何キロにも渡って倒壊している映像でした。あまりに信じられない光景に、夢じゃないかと何度も確認しました。その日は、災害を伝えるニュースをずっと見ていました。

いてもたってもいられず、その年の5月に神戸に足を運びましたが、震災の爪痕が残る光景の数々に言葉を失いました。

被災者に寄り添ったローカルメディア

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阪神・淡路大震災では、一部の大手メディアがセンセーショナルな映像を追い求めたり、被災された方の心情を害するような取材などに批判が集まりました。その一方で、地域に根差したローカルメディアは安否情報やきめの細かい生活情報を提供し、被災された方々の貴重な情報源となるとともに、不安な日々が続く中で希望の光となりました。

テレビではサンテレビ、ラジオではAM KOBE(現・ラジオ関西)、Kiss-FM、日本初の臨時災害放送局である兵庫県のFM796フェニックス、神戸市長田区の在日外国人向けミニFM局のFMヨボセヨとFMユーメン(後のFMわぃわぃ)、そしてNHK(神戸放送局などのローカル報道)が震災発生後から長時間、そして長期間に渡って情報提供を行いました。

震災は「コミュニティFMの可能性」を示した

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一部の文献や新聞記事で「阪神・淡路大震災でコミュニティFMが有用だったことから、その後全国で相次いで開局した」という記載が見られますが、これは正確な表現ではありません。震災発生当時に運用していたコミュニティFMは全国でわずか14局で、近畿で開局していたのは大阪府守口市のFM HANAKOだけでした(FM HANAKOも震災発生約1時間後から、守口市の被害状況などをきめ細かく放送しました)。

先に挙げた局の中で、ミニFMであるFMヨボセヨ・FMユーメン以外は県域を対象にしていました。これに対してコミュニティFMは、市町村を単位とする狭いエリアを対象にしていて、県域局よりきめの細かい情報を伝えることができる、被災者にとって有意な情報を届けることができる。そういった「可能性」を秘めたメディアだったことから各地で開局が推進されて、翌1996年から3年間は全国で30局以上が新規に開局しました。

この時期に開局したところの多くは、阪神・淡路大震災がきっかけになっています。また、比較的新しい2017年に開局した奈良県五條市のFM五條も、理事長がこの震災で被災したことが開局の原点となっています。

その後に起きた、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震や豪雨、台風などの大規模な災害では、先述の通り「コミュニティFMが有用」であることを示しました。

震災を語り継ぐ地元のコミュニティFM

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阪神・淡路大震災から26年が経ち、神戸の街も新しい建物が次々に建って、すっかり生まれ変わりました。震災の記憶は確実に薄れてきています。

大手メディアでも震災のことを取り上げる機会が減る中、被災地のコミュニティFM局では現在でも震災の悲惨さ、そして災害にどう向き合うべきかを語り継ぐために、1月17日などに特別番組を放送しています。

また、2016年にFMからインターネット放送に移行したFMわぃわぃも、特別番組を放送します。

コミュニティFMは災害発生時に被災者に寄り添い、適切な情報を届ける役割がありますが、時が経てばそのときの記憶を語り継ぐという役割もまた大事だと思います。

1月17日は私も祈りを捧げます。


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