こどもの声を聴く
なかなか書けない日が続いていた。
イベントのことやアウトプットのために書こうかと思っていながら、ずっと心に引っかかっていることがあった。
この頃ずっと「こどもの声を聴く」ことに集中していた。
わかもののまち サミット 2023
尊敬している土肥さんが菊川の街づくりについて推していたので、なんだなんだ?といつもの好奇心で参加をしてみた。
私が作りたい場所も、わかものの力が必要であり、菊川の取り組みも知りたかった。知らない街に飛び込んでみようとPeatixで申し込んだのだ
オープニング 全体会ではパネリストとして、菊川市市民協働センターの笠原さん、こども家庭庁の佐藤さん、菊川こども若者参画協議会の高校生の戸塚さん、鯖江市役所JK課 女子高生のお二人の皆さんが順番に登壇され、皆ご自分たちの活動を愉快に話されていた。こんな和やかな会は初めてかも知れなかった。
バラバラな年齢層の参加者とときどき赤ちゃんの声がする会場は、自然と笑いと穏やかな雰囲気を作っていた。
鯖江のJK課のお二人へ土肥さんが学校での活動について問いかけると、「先生は私たちのやりたいことを全否定してくるからだめ、市役所は好きなように話をさせてくれる」と会場の笑いを誘う、私は失笑してしまった。
私の声はどうやったら届くのか?
分科会は場所を代えて、「プラザきくる」で行われた。このきくるは「地域住民が集うことのできるにぎわいの場」として多目的エリアやフリースペースがあり、高校生をはじめ、市民が気軽に使っている公共ではかなり有効活用されている場所とのこと。お昼の交流タイムでは、現役高校教師✖️社会教育士の方や、こどもの居場所やみんとしょを作っている社会教育士になると言う女性やワクワクしている人々と繋がることができた。
分科会は「こども若者の声が反映される学校をつくる」に参加した。
常葉菊川高の総合的な探求の時間や、NPO法人しずおか共育ネットのピッチから始まった。新しいことを学校で始めることについて、興味津々であった。特に後者は私の職場での実践であり、俯瞰してみると、とってもこどもたちの居場所としてゆうこうなのだと改めて感じた。
グループワークでは、女子高校生を囲んで、教育行政のおじさまと教育公務員の私と、わかものの言葉を聴いていた。
「私のような小さな声が、学校づくりや街づくりのために、届くのか?」
彼女の自信なげな言葉。
逆におじさまたちは、どうやったら若者の言葉を集められるのか?と模索していた。こんな片思いのような交差点を作ってくれた本日のセッションにこそ価値があるのでは?とひとりほくそ笑んでいた。
終始和やかに、充実した1日だった。小さな街の一人一人の声と取り組みが、社会を変えようとしていると強く感じた。
「助けて」が言えないこどもの生と性を巡る4つの風景
オンラインでの講座 私の職場に来てくれているスクールソーシャルワーカーさんたちが運営する寺子屋おーぷん・どあ事務局が開いている講座に参加した。
「助けて」が言えない子どもたち〜大人が信用されるために必要なこと〜が当日のテーマであった。
ワーカーとして長年経験され、市の委託事業や一般社団法人てのひらを運営されている川口さんは、出会ってきた子どもたちのことを訥々と話してくれた。
普段から「ロクでもない大人たちにひどい対応をされてきた」子どもたちを温かく、時に強く接してくれるこの方の言葉は心にドスンと落ちてくるのだ。
教室でのマルトリートメント(教室で繰り広げられる不適切な関わり)や、自殺を取り巻く状況など胸がつまる話が続いた。
私たちにできることとは?
「SOSに気づく」こと。
「社会的居場所」として安心してありのままの自分を受け入れてくれる関係と場
私には、何ができるのか? まずやってみようと思う。
ある日の出来事
欠席日数が多くて、進級できない。学校も友達も親とも何にもうまくいかない。毎日がイライラするし、めんどくさい。というこども。
毎日、私のところに来て「話を聴いて」のサインを出してくれるこの子には、いま安心して、自分で居られる居場所はここしかないよう。家庭は安心できる場でもなく、母も同居の男性とも関わりは薄い。頑張っても報われることがないと言う。
「ひとっつも いいことがない」「なんでこんなに悪いことしかないの」「なんかした?」と
泣き出す毎日。
ひたすら聴く。
大きな声を出しても、余分なことを言ってしまう大人にキレかかっても、寄り添うのみ。
そして、落ち着くまで、耳を傾ける。
「聴いて」のHELPが出せるようになって、ひと月。
態度が悪い、言葉遣いが悪い、授業に出ないことが悪いとだけ言っていた周りの大人が変わってきた。
見えている事象だけでなく、こどもの言葉を聴いてみようよ、
どうしてそうなってしまうのか原因・結果を考えてみようよと伝え続けてきた。
生い立ち、生活環境、敏感な心の動き、理不尽な大人の対応、要因は一つじゃない。
そんなひと月。
こんな私でも、心が揺さぶられてしまっていた。疲れているなと自分でも感じた。
心配していたある日、暴言とも思われる大きな声を出して、興奮してしまった。別の部屋へ連れ出そうと2人で移動するとき、ほっとしたような顔をするこの子を見たとき愛おしく思う自分がいた。そして、心配する男性たちを「大丈夫なので、問題行動としないでくださいね」と頼んで、「さてどうしたものか」と考えていた。
すると、ひとり、2人とそっと部屋に入ってくる女性たちがいた。皆、この子に何が必要かわかっていた。
ポツポツと話し始めるこの子は、受け入れてくれる人を求めていた。
本当は、家庭に、身近な人に、お母さんに。
いつもこの子が最初に言う言葉は、
「ただ話を聴いて欲しいだけ。」
私たち大人は、どうして「聴いたつもり」で聴くことができないのだろう。
相手は教えて欲しいなんて思っていないのに。
私は声を声を聴けているのだろうか
毎日 学びと学びの毎日である
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