育ち直し5-⑥2人旅
憧れの時間と場所へ
一年前オフ会のために訪れた岡山県倉敷市と瀬戸内の島
今年ももう一度行きたいと夏からずっと考えていた
憧れの方とその仲間と一緒に過ごした時間や自分で初めて飛び込んだチャレンジが忘れられなかったのだ
倉敷の大原美術館は自分のマイミュージアムとして、後援会に入っているため、 時折届く案内のお手紙がとても嬉しい
住まいから離れている場所なのに、自分の場所として迎えてもらっているようだ
これが最後かな? 3号との2人旅
今回は3号と旅に出た
最近心身ともに落ち着いた生活をしている彼を誘ったとき、一度は勘弁してと言われたのだけれど、もう一度声をかけると「島ってなんだかノスタルジックだよね」とのお返事
「そうなのよ!わかる?」と弾む
2人旅は何度目だろう?なかなか海外には一緒に行けないので、ミニトリップとして、だいたい近場への国内の一泊2日
必ず彼の好みの場所は押さえて、コースを決めていた
東京と劇団四季、自衛隊好きな3号のリクエストの呉と尾道・広島や横須賀、さらに舞鶴・天橋立・伊根の舟屋と渋いけれど味のあるところばかりだ
今回は全て私の好みで計画をした
倉敷→宇野→直島の一泊二日の旅
新幹線と在来線とバスと船 さてどうなることか
倉敷と街とアートと人々と
自宅から3時間半 ピューっと新幹線で倉敷に着く
「阿智神社」にお参りして、高台より「いらかの波」と喩えられる街の屋根を見下ろす
まずは朝ごはんから昔懐かしい雰囲気の「喫茶ウエダ」でモーニングを
テキパキ働くお姉さんとマダムのお二人で切り盛りする賑わう純喫茶のお店でいただくジャムバターとゆで卵のモーニング
スルッとむけるゆで卵に感動する3号
もう少しおしゃれに、ボリュームのあるお店がよかったのかもとしれないが、昭和の香りを感じる朝に2人で微笑む時間となった
マイミュージアム「大原美術館」では、大広間にある絵に3号の足が留まる
「レオン・フレデリック」
『万有は死に帰す、されど神の愛は蛮勇をして蘇らしめん』
前回より丁寧にゆったり時間を使って鑑賞する
今回は「有隣荘」の特別開館があり、また3号の足が留まる
「ベルナール・ビュッフェ」
『アナベルの像』
ベルナール・ビュッフェは地元にも美術館があり、小学生の時ビュッフェ展で入賞したことがあったのを思い出したようだ そんなこともあったなと私も微笑ましく思ったのだ
宇野港へ
宇野での本日の宿はUNOHOTELへ
昨年利用した時にとても使いやすかったこと、ホテルの方がとても素敵な対応をしてくれたことがあったので、今回も利用したのだ。予約がギリギリだったことと連休中だったので、セパレートルームを利用した
一つのブースに10人程度のアコーディオンカーテンで仕切られた個室になっている
3号がどんなふうに感じるかちょっと心配だったけれど、一人旅の経験や集団での合宿的な活動に慣れていたせいか「快適だよ」っと心配無用だった
さらに近くの「たまの湯」で夕飯を兼ねて過ごしたのだが、食後はそれぞれ自由時間として過ごせたのだ こどもの成長ってこういう時に改めて感じるんだなと思う
直島は世界のもの?
直島に来るのは初めて
雨上がりの緩やかな空気と色々な言語が飛び交う不思議な感覚があった
昨日の「たまの湯」で教えてもらった「ガラスの階段がある神社」そして予約している「地中美術館」、もちろん、「草間彌生のカボチャ」を目指した
島の交通機関は、公共のバスと貸し自転車という
昨年訪れた豊島も同様で、一人旅であったので電動貸し自転車で「スイー」っと
回っていたので、なんとなく島の規模感を予測していた
一番驚いたのは、バスの料金が100円 この価格は何なの?こんな価格で島が潤うのかなと心配になったのだ
ヨーロッパ圏やアジア系の旅行客が多く、休日なのにほとんど日本人旅行客がおらず、アートが目的の旅行であることは間違いない
豊島よりも直島はベネッセミュージアムがあることもあり、世界に広く知られていることがわかる
全ての外国人旅行客とは限らないまでも、かなり余裕のある層のお客さんだとみて取れるのだ
Voicyでちきりんさんと木下さんが話していたことは、まさにその通りだった
アートと自然と時間のながれ
移動はバスと徒歩
普段は自家用車や決まった時間の電車で移動して、つなぎの時間いら作らないギチギチの生活をしている私たちにとって、今回の旅は、「つなぎ」というか、「あそび」の時間が多すぎて、なんだか戸惑った
10月とはいえ、雨上がりの蒸し暑い島の風と、多言語と文化の違う人たちが行き交う美術館エリアで、居心地の悪さからか3号の体には蕁麻疹がでていた
3号は「こんなに何もないなんて」と呟く
私はうずくまる彼の背中をゆっくりと摩り、ただただ寄り添っていた
彼が「高校生活」に苦しんでいたとき、こんな風にゆったりとした気持ちで横にいることはできていなかった
「ごめんね」と無理をさせてしまったかなと応える私に「いや、そうじゃなくてね 待つことや退屈って本当は嫌いじゃないんだよ」
「少し違和感を感じるだけ」
おたがいに「本」や「音声」や「音楽」や「会話」にも飽きて、「ぼんやり」や「何にもしない」が心地良くなっていく
これはアートがなせる技なのか? 自然に包まれた島の時間のせいなのか?
それはイライラした気持ちから、緩やかな心地よさに移行し始めているのだった
優雅に飛んでいく
一通り、島の美術館エリアのアートを見終えて、バスを待っていた
そこにあまりみたことのない「蝶」が一頭はらりと飛んでいた
ふわり、はらりとゆったりと軽やかに飛んでいるその姿になんともいえない気持ちになった
検索すると、その名は「アサギマダラ」 日本全国に分布する長距離の旅をする蝶だという
2人でその姿を目で追った 「ゆったりしてるねー」「島に似合うね」
「あなたの名前と同じだね」と3号の名前の由来を思い出した
そうだった あなたは、上の2人のお兄ちゃんたちと年齢が少し離れて我が家に産まれた3人目の男の子
私が仕事や家事で多忙で余裕もなく、上の2人を急いで育ててしまったと反省していた私は、3号には「ゆったりと、まったりと、大きく育ってほしい」と願って17年前に名前をつけていた
「アサギマダラ」はそんなことを思い出させてくれたのだ
子育ては18歳までが大きな区切りだと考えている それまで、あと半年もない
私は、ぼんやりと彼が子どもでいる間のあとわずかなひとときを、もう少しゆったりと眺めていたいなと考えていた
はらり、ふわりとこの子も飛んでいってしまうのだろうなと、寂しさや頼もしさや
何ともいえない気持ちで「アサギマダラ」を見送っていた
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?