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54歳でも続ける鉄拳8 その20

やっとこ臥龍からワンランク上がって真龍になれた。

1260試合もかかってやっとこさっとこ上がった

前にもいっぺんだけ昇格試合があったのだが、そんときは、相手が名前は覚えていないのだがなんか占い師みたいな這いつくばり戦法を使う蜘蛛女めいたキャラで、今まで一回も当たったことのないキャラだったこともあり、何がなんだかわけが分からないまま負けてしまい、「なんでこんなドマイナーなヤツによりにもよって昇格試合で当たるのよ? 原田くんそのへんどうなってるわけ?」と憤懣やる方ない思いで枕を濡らしたのだが、今回はよく見かけるジンだったので、何とか勝てた。

思うに、全国的にお盆休みで、どうも対戦相手が普段よりやや弱い感があるらしく、今までの苦労はなんだったのかと呆れるほどにあんまり苦労せずにランクが上がってしまった。

実際、私の操るリリ嬢は以前と対して戦闘力に変化はなく、擦る技も今までと同じだし、壁際で起き上がれずに雪隠詰めのまま死亡するのもいつものことだし、相手を壁まで追い詰めてもなんだかしょうもないコンボしか入れられずに微妙な空気になってしまうのもいつものことである。

で、まあ、一応真龍まで上がったから、さすがに「初心者」の域は脱したと言ってよいと思えるのだが、出来ていることと出来ていないことを比べると、圧倒的にできていないことの方が多いわけで、鉄拳道は実に果てしなく長いものだと思わざるを得ない。(思わざる終えない、やむ終えない、という誤表記がネットでは散見されるが、「を得ない」が正しい表記である)

さて、ここまで私は延々と(永遠と、という誤表記がネットでは散見されるが、こちらが正しい表記である)リリ様を使い続けてきたわけだが、ひとまず現時点での全体的な反省をまとめておこう。私はこの先もリリを使い続けるつもりなので、いったん自分の操作確度も含めてリリに関しての整理をしておこうと思う。

私の個人的な感想では、リリというキャラは「あれもこれもいろいろ満遍なく技が揃っているが、『とりあえず対応できないヤツにはこの連携を押し付けていけ』みたいな連携がないので、TPOに合わせて技をしっかり使い分けていかないと勝てなくなってくる」ような印象である。

レーダーチャートでいうと、どの項目も75点は超えているが、しかし95点超えの項目は一つもない、みたいな感じである。別の言い方をすれば、一つ一つの技は明確に強い部分を持つものが揃っているが、しかしそれらは対処がさほど難しくないので、使い所を誤ると致命的な隙を生む恐れもある、と言ってもいいのかもしれない。

エバークエストで言うドルイドみたいな、ウルティマオンラインで言うタンクメイジみたいな、銃で言うアサルトライフルみたいな、剣で言うロングソードみたいな、すごい苦手な分野もないけど、これだけは負けないみたいな明確な強みもない、みたいな感じである。

と言って決して弱くはない。

上でも書いたが、一つ一つの技は使いこなせさえすれば相当強力な性能を持っているものが少なくないはずである。

んで、そういうリリの「満遍なくそれなりに強いけど、多彩な技を使いこなさないとポテンシャルを発揮しきれない」という強みアンド弱みが、そのまま私の弱点になっている感がある。

以前も書いたが、私は繰り出す技のバリエーションに乏しい。お猿さんのごとく、いっぺん覚えた技を性懲りもなく繰り返すことが実に多い。近距離ならLPLPから2LKRKorWP、少し離れたら3LPか2LK、遠間なら6RKか3WK、立ち上がり途中は専らRK、と、この程度のバリエーションしかない。確反にはRPRKとか、下段の大技をガードしたら立ち上がり途中RPで浮かせるとか、追い詰められたら奇襲の8WKとか、2LPRPからの背向けで択を迫るとか、知識としては知ってはいるが、いざ戦いが始まってしまうと綺麗サッパリ頭から抜け落ちていつもと同じことを繰り返してしまう。

多彩の値が低いことがお分かりいただけるだろう。

で、また悪いことにそんなんでも勝ててしまうことが結構あって、だから対策されてもつい同じことばかりしてしまう。ランクが上がれば上がるほど相手の対応力は上がっていくから、こちらもそれに応じて攻め手をいろいろ工夫するべきなのに、どうしても慣れ親しんだパターンから離れられないのである。

だからやっぱり今後は、上記の反省点を心に刻み、もうちょっとでいいからリリのポテンシャルを引き出せるようにしていきたいと思う。

*

話は変わるが、盆休みを利用して自宅と事務所のPCをWindows11にアップデートした。私がWindowsを使い始めたのは、確かWindows98が出て間もなくの頃で、初めて購入したWindowsPCはVAIOノートだった。そのVAIOノートで初代Diabloで外人と殺し合いをしたりUltimaOnlineでパンツ一丁で右往左往したり、まあその辺の思い出は機会があれば書くとして、ともあれ、かれこれ25年以上Windowsを使い続けているわけだが、アップデートするたびに操作感が変わることに本当に辟易している。

以下、気に入らない点を列挙する。

まず、タスクバーである。デフォルトの幅が大きくなり、今までは上下左右好きな位置に配置できたのに、縦にできなくなった。私は事務所では縦にモニタを並べているので、上とか下では距離が遠すぎて不便極まりないのである。よってタスクバーを縦にして使っていたのだが、それができなくなった。ひとまず今は有志の作ったTweakツールで縦にしているが、なんで今まで出来たことができなくなるのかさっぱり理解できない。

そしてスタートメニューも気に入らない。10の頃は各種アプリをジャンル別に並べて、アイコンの大きさも変更できたから結構便利に使えていたのに、今はただズラズラとアプリが並ぶだけになった。誰がどういう思考でこういうデザインにしたのか頭がおかしいとしか思えない。また、これまではシャットダウンが左下にあったのに、今回は右下になった。これも、位置を変えることにどういうメリットがあるのか皆目見当もつかない。

そんで右クリックメニューもダメだ。コピーだのカットだの貼り付けだのがこともあろうにちいせえアイコン表示になりやがって、「えーとこれはコピー?カット?貼り付け?」とかいちいちカーソルを合わせて少し待って説明を見ないといけなくなった。しかもアイコンもちいせえから見づらいったらありゃしない。こちらもTweakツールで従来の右クリックメニューに戻したが、こんなもんどっちか好きな方を選べるようにしとけっていう話である。

だいたい、Windowsの右クリックメニューには昔から大きな不満があって、それは「ショートカットの作成」と「削除」と「名前の変更」が上下に隣接していることなのだが、この3つの動作というのは完全に相反する動作だからうっかりマウスがすべって違う方を選んでしまうとくそめんどくせえことになる。たとえばダウンロードフォルダの不要になった雑多な多くのファイルを一括選択して「削除」しようとしたときにうっかり「ショートカットの作成」なんぞを選んでしまうと「消したかったファイルすべてのショートカットがずらっとそこに並ぶ」という阿鼻叫喚の地獄絵図が完成してしまうのだ。このUIデザインは本当にウンコで、天下のマイクロソフトがこの欠陥を25年以上放置していることが本当に信じられない。

話を戻してWindows11だが、さらに言えば各種ファイルのアイコンデザインがウンチである。特に、「フォルダ」と「圧縮ファイル」の視認性がめちゃくちゃ良くない。この両者の違いは、真ん中に見づらいチャックみたいな波線があるかないかだけなのだ。ファイルの表示法もなんだか知らんが妙に間が開く珍妙なUIになってファイルアイコンが小せえことも相まって、「詳細」で並べると、フォルダなんだか圧縮ファイルなんだか目を凝らさないと分からない始末である。アイコンの変更方がないかと調べてみたが、どうもないようで、この辺も実に気に入らない。

だいたい、OSなんてのは自己主張がない方が健全なのである。アップデートしたって、それは性能を充実させるとか、動作を軽くするとか、不便な点を解消するとかが求められているわけで、求めてもいない余計なツールを勝手に起動させるとか、慣れ親しんだUIを意識高い系の見栄えばかり気にした劣悪な使い勝手なものに変えるとか、あろうことか今までできていたことをできなくするとかは「アップデート」ではないのだ。

なんつーか、時々X辺りで話題になる「デザインの敗北」とか「何を表してんだか皆目見当がつかないピクトグラム」とか、そういう系と近しい匂いを感じるような、誰も求めていない見当ハズレのオシャレさ、みたいなものがよりによって日々使いまくるPCのOSたるWindowsにも顔を出しつつあるのが末恐ろしい。このまま行くとWindows20くらいではもうピカソかダリかみたいなシュールレアリスムの域にまで達してしまうのではないかと戦々恐々とする毎日である。

無料だし、Windows10のサポートが終わるし、しょうがないからWindows11に変えたけれども、本当にコイツはクソなOSである。OneNoteもなんか妙にスクロールがかくかくするようになったし、アップデートして良かったと思うことが一つもない。

私はスマホはAndroid派なのだが、それはかつて使っていたApple社のアイポッドタッチの使いにくさ、有り体に言えば操作性の押しつけが嫌だったからである。今のアイフォンは知らないが、出始めたころのアイポッドタッチは、何から何までApple社の決めたやり方や規格に従わないと何も出来なかった。ユーザーの自由になるところがほとんどなかった。ホーム画面の壁紙だけは辛うじて変えられたが、アイコンの配置さえ自由にできなかった。そういう「お前たちは俺達が決めたように使ってればいいんだよ。お前らの自由にさせたらこっちが大変なんだよ」みたいな意識がなんとなく透けて見えたので、スマホはAndroidになったのだが、昨今のWindowsもなんだか往年のApple社のように、「お前ら愚民は俺達エリートの決めた使い方を守ってればいいんだよ」みたいな方向が徐々に出てきた感があって、気持ちが良くない。

百歩譲ってスマホは今では万人に必須のツールになってしまったから自由度が低いというのもまあある程度はしょうがないと思うが、PC界隈ぐらいはもっと自由であってほしいと心から願う54歳であった。


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